「ルートヴィヒ4世 (プファルツ選帝侯)」の版間の差分

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'''ルートヴィヒ4世'''(Ludwig IV, [[1424年]][[1月1日]] - [[1449年]][[8月13日]])は、[[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]](在位:[[1436年]] - [[1449年]])。[[ルートヴィヒ3世 (プファルツ選帝侯)|ルートヴィヒ3世]]と2番目の妃メヒティルド(マティルデ)の子。
'''ルートヴィヒ4世'''(Ludwig IV., [[1424年]][[1月1日]] - [[1449年]][[8月13日]])は、[[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]](在位:[[1436年]] - [[1449年]])。[[ルートヴィヒ3世 (プファルツ選帝侯)|ルートヴィヒ3世]]と2番目の妃メヒティルド(マティルデ)の子。


父の死により12歳で選帝侯位を継承し、[[1442年]]まで父の弟プファルツ=モスバッハ公[[オットー1世 (プファルツ=モスバッハ公)|オットー1世]]の後見下にあった。[[1444年]]に皇帝軍司令官として[[アルマニャック派]]の侵攻を撃退した。
父の死により12歳で選帝侯位を継承し、[[1442年]]まで父の弟プファルツ=モスバッハ公[[オットー1世 (プファルツ=モスバッハ公)|オットー1世]]の後見下にあった。[[1444年]]に皇帝軍司令官として[[アルマニャック派]]の侵攻を撃退した。

2016年5月15日 (日) 10:00時点における版

ルートヴィヒ4世(Ludwig IV., 1424年1月1日 - 1449年8月13日)は、プファルツ選帝侯(在位:1436年 - 1449年)。ルートヴィヒ3世と2番目の妃メヒティルド(マティルデ)の子。

父の死により12歳で選帝侯位を継承し、1442年まで父の弟プファルツ=モスバッハ公オットー1世の後見下にあった。1444年に皇帝軍司令官としてアルマニャック派の侵攻を撃退した。

1445年に母の遠縁であるサヴォイア公アメデーオ8世の娘でアンジュー公ルイ3世の未亡人だったマルガレーテと結婚し、一子フィリップをもうけた。

1449年にヴォルムスにて25歳で死去し、ハイデルベルクに葬られた。選帝侯位は弟フリードリヒが横領した。

先代
ルートヴィヒ3世
プファルツ選帝侯
1436年 - 1449年
次代
フリードリヒ1世