「新しいエルサレム」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
m (→‎讃美歌: 「新しいエルサレムでの再開」とあったが明らかに「新しいエルサレムでの再会」の誤字であるため修正した。)
==聖書==
{{Quotation|
われを得る者を我が、わたしの神の聖所神殿の柱とせん、にしよう。彼は再びもう決してでざことはない。わた、又かれはその者の上に、わたしの神の名および我がと、わたしの神の都、すな天より我がより降のもとから出て天から下って来る新しエルサレムの名我がそして、わたしの新しを書き記さんそう。」
'' |ヨハネの黙示録3:12|[[文語新共同訳聖書]]}}
 
{{Quotation|
我ま更にわしは、聖なる都、新しエルサレム、夫のためにる新婦花嫁ごとく準備しように用意を整えて、神のもといで離れ、天より降から下って来を見た。」
'' |ヨハネの黙示録21:2|[[文語新共同訳聖書]]}}
 
{{Quotation|
「都は神の栄光に輝いていた。その輝きは最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。都の城壁には十二の土台があって、それには子羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。」
'' |ヨハネの黙示録21:11~1411-14|[[新共同訳聖書]]}}
 
{{Quotation|
「この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオン(※注:1スタディオン=185 m。12000スタディオン=2220 km)あった。長さも幅も高さも同じである。 また城壁を測ると、百四十四ペキス(※注:1ペキス=0.45 m。144ペキス=64.8 m)であった。これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十は紫水晶であった。また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。」
'' |ヨハネの黙示録21:16~-21|[[文語新共同訳聖書]]}}
 
 
{{Quotation|
「わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。」
'' |ヨハネの黙示録21:22-22:5|[[新共同訳聖書]]}}
 
==讃美歌==
*『[[実用聖書注解]]』いのちのことば社、1996年
* [http://h5t3tt4242.livejournal.com/ "Go and measure"]
 
== 関連項目 ==
* [[ピラミッド]] - [[ジッグラト]] - [[エ・テメン・アン・キ]] - [[バベルの塔]]
 
{{Quotation|
「この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。」
''}}
 
ユダヤ教の伝統では至聖所は立方体であるし、キリスト教の伝統では教会は山と呼ばれる。記述からすると、聖なる都=新しいエルサレムは、縦横高さが等しい立方体とも、底面の縦横と高さが等しい[[四角錐]]とも、解釈できる。
 
{{christ-stub}}

案内メニュー