「オットー・ビュッチュリ」の版間の差分

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[[フランクフルト・アム・マイン]]で生まれた。父親は[[スイス]]出身で1830年にドイツに移住した料理人で、母親はドイツ人であった。
 
[[カールスルーエ工科大学]]で鉱物学、科学、古生物学を学び、1865年から古生物学者の[[カール・アルフレート・フォン・ツィッテル]]の助手を務めた後、1866年に[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]に移り、[[鉱物学]]、[[化学]]、動物学の研究で学位を得て、[[ロベルト・ブンゼン]]の助手を務めた。
 
1869年に[[ライプツィヒ大学]]に移ってルドルフ・ロイカート (Rudolf Leuckart) の助手となり、動物学に転じることにして[[線形動物]](線虫)の発生学的研究を始めた。1873年から、[[クリスティアン・アルブレヒト大学キール|キール大学]]でカール・アウグスト・メビウス (Karl August Möbius) の助手を務め、1876年に教授資格を得て、カールスルーエ工科大学の講師を務めた。1878年にハイデルベルク大学の動物学、古生物学の教授となり、引退するまでその職を続けた。

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