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[[1923年]](大正12年)の[[関東大震災]]は現在のさいたま市域、なかでも浦和と大宮の発展に大きな影響を及ぼすことになる。この時期埼玉県では主要都市中心部で「耕地整理事業」の名による区画整理が始まっていたが、中でも早期に耕地整理事業が進み、震災の時点ですでに中心部付近に整備された碁盤状の街区を設けていた旧浦和町は震災被害も軽微で(死者は3名<ref>浦和市史 通史編Ⅲ</ref>)、壊滅した東京や横浜から人口が流入し、特に[[別所沼]]の周辺をはじめとする地域には画家をはじめとした文化人が移住した。彼らは「[[浦和画家]]」と呼ばれる文化人コミュニティーを形成し、文教都市、浦和の発展に寄与した。一方大宮ではやはり震災を契機として、大宮町・大砂土村境界部に東京・小石川から盆栽業者が集団移転し、盆栽村組合が設立されて厳格な景観に対する取り決めを行い、盆栽村が形成された。これら関東大震災後に浦和、大宮に花開いた文化は現在でも文化的遺産となっている。 |
[[1923年]](大正12年)の[[関東大震災]]は現在のさいたま市域、なかでも浦和と大宮の発展に大きな影響を及ぼすことになる。この時期埼玉県では主要都市中心部で「耕地整理事業」の名による区画整理が始まっていたが、中でも早期に耕地整理事業が進み、震災の時点ですでに中心部付近に整備された碁盤状の街区を設けていた旧浦和町は震災被害も軽微で(死者は3名<ref>浦和市史 通史編Ⅲ</ref>)、壊滅した東京や横浜から人口が流入し、特に[[別所沼]]の周辺をはじめとする地域には画家をはじめとした文化人が移住した。彼らは「[[浦和画家]]」と呼ばれる文化人コミュニティーを形成し、文教都市、浦和の発展に寄与した。一方大宮ではやはり震災を契機として、大宮町・大砂土村境界部に東京・小石川から盆栽業者が集団移転し、盆栽村組合が設立されて厳格な景観に対する取り決めを行い、盆栽村が形成された。これら関東大震災後に浦和、大宮に花開いた文化は現在でも文化的遺産となっている。 |
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[[1927年]](昭和2年)に[[宮脇梅吉]]が埼玉県知事に就任。浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏構想を打ち出した。だが、在任わずかで宮脇は他県に転出し |
[[1927年]](昭和2年)に[[宮脇梅吉]]が埼玉県知事に就任。浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏構想を打ち出した。だが、在任わずかで宮脇は他県に転出して実現しなかったが<ref name="gappeiki">『さいたま市誕生 浦和市・大宮市・与野市合併の記録』(2001)14 - 16頁</ref>、[[1931年]](昭和6年)に宮脇が再び埼玉県知事に就任。日進を加えて三町三村の合併による「'''大埼玉市構想'''」を強く提唱する<ref name="gappeiki"/>。しかし大宮町の負債総額が浦和町を大幅に上回っていたことから浦和町が合併に消極的であったといわれ<ref>『与野の歴史』(1988)228-229頁</ref>、合併は実現せず。[[1934年]](昭和9年)、市制施行により浦和市が発足。これは都道府県庁所在地として最も遅い市制施行であった。また、浦和・大宮・与野・六辻・三橋の1市2町2村の上水道を取り扱う「'''埼玉県南水道組合'''」(後の埼玉県南水道企業団、現:[[さいたま市水道局]])が設立され、「大埼玉市」構想の一部が実現した<ref name="gappeiki"/>。 |
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⚫ | [[1939年]](昭和14年)には浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併を呼びかけ。大宮町も、浦和市・与野町との独自の合併案を提示する<ref name="gappeiki"/>。翌年[[1940年]](昭和15年)埼玉県が仲介し、大宮案での合併交渉に入り、六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意。しかし、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。11月に大宮町は交渉不調に備えて別個に合併交渉を進めていた三橋・大砂土・宮原・日進の4村と合併し、同時に市制施行により大宮市が発足。[[1943年]](昭和18年)には、埼玉県知事の[[大津敏男]]が浦和・大宮・与野との二市一町で埼玉市を設立する合併構想を打ち出すも、戦争の激化により立ち消えとなった。 |
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[[1934年]](昭和9年)、市制施行により浦和市が発足。これは都道府県庁所在地として最も遅い市制施行であった。 |
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⚫ | [[1939年]](昭和14年)には浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併を呼びかけ。大宮町も、浦和市・与野町との独自の合併案を提示する<ref name="gappeiki"/>。翌年[[1940年]](昭和15年)埼玉県が仲介し、大宮案での合併交渉に入り、六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意。しかし、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。11月に大宮町は交渉不調に備えて別個に合併交渉を進めていた三橋 |
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[[太平洋戦争]]中は、埼玉県内を管轄する[[浦和連隊区]]司令部が置かれた。戦争末期の[[1945年]](昭和20年)には、日本の多数の都市がアメリカ軍の[[日本本土空襲|空襲]]を受けた。現さいたま市域でも、4月14日に[[浦和市]]と[[大宮市]]、5月26日に再び浦和市が空襲を受けて死傷者が生じ、また浦和への爆撃予告ビラが投下されるなどしたが、市街の大部分を焼失するような大規模空襲に遭うことはなかった<ref>[https://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/category/categoryArchives/0300000000/0322000000 国立公文書館デジタルアーカイブ「戦災概況図」]</ref>。県内最大の空襲は終戦当日の[[熊谷空襲]]であった。終戦後[[進駐軍]]の占領下になると[[埼玉会館]]に埼玉軍政部が置かれた。 |
[[太平洋戦争]]中は、埼玉県内を管轄する[[浦和連隊区]]司令部が置かれた。戦争末期の[[1945年]](昭和20年)には、日本の多数の都市がアメリカ軍の[[日本本土空襲|空襲]]を受けた。現さいたま市域でも、4月14日に[[浦和市]]と[[大宮市]]、5月26日に再び浦和市が空襲を受けて死傷者が生じ、また浦和への爆撃予告ビラが投下されるなどしたが、市街の大部分を焼失するような大規模空襲に遭うことはなかった<ref>[https://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/category/categoryArchives/0300000000/0322000000 国立公文書館デジタルアーカイブ「戦災概況図」]</ref>。県内最大の空襲は終戦当日の[[熊谷空襲]]であった。終戦後[[進駐軍]]の占領下になると[[埼玉会館]]に埼玉軍政部が置かれた。 |
2016年2月8日 (月) 06:54時点における版
さいたまし さいたま市 | |||
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| |||
国 | 日本 | ||
地方 | 関東地方 | ||
都道府県 | 埼玉県 | ||
市町村コード | 11100-7 | ||
法人番号 | 2000020111007 | ||
面積 |
217.43km2 | ||
総人口 |
1,345,724人 [編集] (推計人口、2024年3月1日) | ||
人口密度 | 6,189人/km2 | ||
隣接自治体 |
上尾市、川口市、朝霞市、川越市、 志木市、戸田市、蓮田市、富士見市、 蕨市、春日部市、越谷市、白岡市 | ||
市の木 | ケヤキ | ||
市の花 | サクラソウ | ||
他のシンボル |
市の花木:サクラ 市のマスコット:つなが竜「ヌゥ」 市の愛称:のびのびシティ さいたま市 市の歌:希望(ゆめ)のまち (作詞:福原くにこ、作曲:タケカワユキヒデ) | ||
さいたま市役所 | |||
市長 | 清水勇人 | ||
所在地 |
〒330-9588 埼玉県さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号 北緯35度51分41秒 東経139度38分44秒 / 北緯35.86139度 東経139.64556度 | ||
外部リンク | さいたま市 | ||
ウィキプロジェクト |
さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南部東寄りに位置する市で、同県の県庁所在地。政令指定都市の一つであり、浦和区(県庁・市役所所在地)をはじめ10の行政区を設置している。約127万人の人口を有し、日本で9番目に人口が多い市となっている。かつては浦和市・大宮市・与野市・岩槻市の4市だった。旧武蔵国の中央部。
地理
位置
さいたま市は、関東地方の中央部に位置し、政令指定都市で唯一、内陸県に位置する。埼玉県内においては南部東寄りに位置するが、県内で用いられる地域区分では、「中央地域」に区分されることが多い[注釈 1]。日本の首都である東京の都心部からは北に約20-30 kmの距離にあり、県庁所在都市としては東京に最も近い。
さいたま市の市域は、東西19.6km、南北19.9kmにわたり、面積は217.49km²である[1]。日本の政令指定都市としては川崎市、堺市に次いで3番目に狭い一方、埼玉県内の市町村としては秩父市に次いで2番目に広い。
地形
関東平野の中央部に位置するさいたま市には、山地・丘陵といえる場所は存在せず、全域が台地および低地からなる。全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜1.1m(桜区下大久保羽根倉)、最も高い地点でも海抜20.5m(岩槻区表慈恩寺西)である[2]。市の西境に荒川、東寄りに元荒川が、それぞれ北西から南東に流れており、これらの河川に近い市の西側、南側、東側の3方を低地で囲まれる。一方、市の北西側から南東に向かって、主に関東ローム層によって形成された大宮台地が伸びており、市の中央部を貫いている。この台地の中にも鴻沼川、芝川、綾瀬川などの中小河川が流れている。このような中小河川に沿って谷底平野や沖積平野等の低地が形成されているため、台地はいくつかの「支台」に区切られている。これらの低地には見沼や鴻沼などがあったが、江戸時代に干拓された。鴻沼川の氾濫により甚大な被害を受けた大宮区には桜木調節池が建設されている。
- 一級河川:荒川・芝川・鴨川・綾瀬川・鴻沼川・伝右川・笹目川・元荒川・藤右衛門川など。そのほかの河川は各区の記事も参照のこと。
- 湖沼: 彩湖・別所沼・白幡沼・深作沼・桜木調節池・鴻沼(消滅)・見沼(消滅)
土地利用
東京都心から20km圏内に位置し、東京大都市圏におけるベッドタウンの一つとして人口が急増している。その一方で、1988年(昭和63年)に旧浦和市・大宮市が業務核都市に指定され、2000年(平成12年)にさいたま新都心が街開きをして各中央官庁の地方支分部局が東京より移転してくるなど、業務機能の集積も進んでいる。
東京の北郊に位置するさいたま市は、広域的に見れば東京を中心とする人口密度勾配の中にあり、市北部より南部の人口密度が高い。また、東京都心部に直結する京浜東北線や埼京線、高崎線の沿線に人口が集中する傾向があり、両方の条件が重なる南区から浦和区、中央区にかけては、20000人/㎢以上という高い人口密度の地域が連なっている[3]。
行政・商業・業務などの都市機能の集積は、浦和駅、さいたま新都心駅、大宮駅といった京浜東北線の主要駅周辺において顕著であり、これらが旧市時代からの中心市街地を形成している。また東武野田線岩槻駅周辺にも旧岩槻市の中心市街地が形成されている。
現さいたま市域の大部分では、江戸時代まで農地が広がっていたが、1923年(大正12年)の関東大震災や1940年代前半の太平洋戦争(大東亜戦争)などを契機として、東京などからの大規模な人口流入が生じ、本格的に宅地化が進むようになった。このような宅地化は、まず中心市街地に近い台地上の鉄道駅付近、すなわち浦和駅から大宮駅にかけての東北本線沿線で先行した。浦和・与野・大宮の中心部は、このような地域において互いに近接していたことから、市街地の一体化は早期に進行した。1960年(昭和35年)国勢調査において初めて人口集中地区(DID)が定義された時点において、この3市の人口集中地区は既に連続していた。一方でこの時点では、浦和・与野・大宮の人口集中地区と、蕨市、川口市、上尾市といった他市町村の人口集中地区とは連続していない。
1960年代以降は、首都圏への大規模な人口流入の影響を受けて、現さいたま市域の都市化がさらに急速に進んだ(スプロール現象)。東北本線・高崎線沿線においては、さいたま市の人口集中地区と他市や東京の人口集中地区とが連続するようになり、台地上のみならず、低地や鉄道駅から離れた場所にも宅地化が及ぶようになった。この時期には、岩槻駅周辺の市街地も拡大した。政令指定都市移行後の現在、ほぼ全域で宅地化しているのは浦和区、南区、中央区、大宮区、北区となっている。
しかしながら、現在においてもなお、西区や見沼区などでは鉄道駅から少し離れた場所には比較的大規模な農地が存在するほか、住宅地の中にも小規模な農地が点在している。また、明治時代の度重なる洪水を契機とした治水対策として広大な河川敷が設けられている荒川周辺や、農地として保全された見沼田圃では、開発が厳しく制限されており、人口のほとんどいない地域も存在している。岩槻区とその他の9区との境界付近を流れる綾瀬川の両岸にも農地が多く、ここで市街地が途切れている。 その結果、さいたま市の人口集中地区は岩槻区以外の9区においてはほぼ一体化しているのに対し、岩槻区の人口集中地区と他区の人口集中地区とは連続していない。岩槻区の人口集中地区は、東側に位置する春日部市の人口集中地区に接している。
市内の商業地の公示地価の上位1位~4位が大宮区、5位が浦和区の地区であるのに対して、住宅地の公示地価の上位1位から4位が浦和区、5位が南区となっている[4]。
気候
さいたま市の気候は、ケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候 (Cfa) に属するが、本州の太平洋側に一般的にみられるように、夏季に比べて冬季の降水量が少ない。冬季の降水量の少なさと最低気温の低さは、東京都(大手町)や横浜市、千葉市といった近隣の沿岸部の諸都市と比べ、より顕著である。アメダスのさいたま観測点(桜区大字宿)における平年値(1981年 - 2010年の観測結果による)は、年平均気温は14.8℃、年間平均降水量は1346.0mmである。
さいたま市(さいたま地域気象観測所)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.7 (65.7) |
25.5 (77.9) |
26.9 (80.4) |
31.2 (88.2) |
34.2 (93.6) |
38.0 (100.4) |
39.3 (102.7) |
38.7 (101.7) |
37.4 (99.3) |
33.1 (91.6) |
26.1 (79) |
25.1 (77.2) |
39.3 (102.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.4 (48.9) |
10.3 (50.5) |
13.7 (56.7) |
19.2 (66.6) |
23.8 (74.8) |
26.5 (79.7) |
30.5 (86.9) |
31.8 (89.2) |
27.7 (81.9) |
21.9 (71.4) |
16.5 (61.7) |
11.7 (53.1) |
20.3 (68.5) |
日平均気温 °C (°F) | 3.9 (39) |
4.9 (40.8) |
8.4 (47.1) |
13.7 (56.7) |
18.6 (65.5) |
22.0 (71.6) |
25.9 (78.6) |
27.0 (80.6) |
23.2 (73.8) |
17.5 (63.5) |
11.4 (52.5) |
6.2 (43.2) |
15.2 (59.4) |
平均最低気温 °C (°F) | −1.1 (30) |
−0.2 (31.6) |
3.3 (37.9) |
8.4 (47.1) |
13.9 (57) |
18.3 (64.9) |
22.2 (72) |
23.2 (73.8) |
19.5 (67.1) |
13.5 (56.3) |
6.8 (44.2) |
1.2 (34.2) |
10.8 (51.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −9.8 (14.4) |
−8.8 (16.2) |
−5.0 (23) |
−2.0 (28.4) |
4.8 (40.6) |
11.5 (52.7) |
14.7 (58.5) |
16.3 (61.3) |
9.5 (49.1) |
3.6 (38.5) |
−2.4 (27.7) |
−6.7 (19.9) |
−9.8 (14.4) |
降水量 mm (inch) | 42.4 (1.669) |
39.6 (1.559) |
88.0 (3.465) |
101.9 (4.012) |
121.4 (4.78) |
144.8 (5.701) |
148.0 (5.827) |
164.0 (6.457) |
202.8 (7.984) |
196.8 (7.748) |
70.9 (2.791) |
45.2 (1.78) |
1,371.3 (53.988) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 3.8 | 4.6 | 8.7 | 9.0 | 10.0 | 11.6 | 11.8 | 8.8 | 10.8 | 10.0 | 6.7 | 4.4 | 100.8 |
平均月間日照時間 | 201.4 | 186.4 | 186.6 | 187.1 | 185.3 | 128.4 | 152.5 | 181.9 | 135.6 | 135.1 | 156.6 | 181.1 | 2,018 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1977年-現在)[5][6] |
行政区
政令指定都市であるさいたま市には、10の行政区が設置されている。おおむね、市町村合併前の旧浦和市域に桜区・浦和区・南区・緑区の4区が、旧大宮市域に西区・北区・大宮区・見沼区の4区が、旧与野市域に中央区が、旧岩槻市域に岩槻区がある。ただし、わずかに旧浦和市内や大宮市内で中央区に編入された地区[注釈 2]や、旧浦和市内で大宮区に編入された地区[注釈 3]もある。
10区のうち、岩槻区を除く9区は、2003年の政令指定都市への移行に伴って設置された。9区の区域設定は、合併協議書の合意事項に盛り込まれた『旧浦和市域および大宮市域をそれぞれ4つの行政区に分割』、『旧与野市域を基本とした範囲を1つの行政区とすること』、『さいたま新都心が複数区に分断されないこと』の事項を踏襲して実施された。一方で岩槻区の区域は、2005年に旧岩槻市がさいたま市に編入される際に、旧市域がそのまま岩槻区に移行する形で設定された。
さいたま市の10行政区には、それぞれ「区の色[7]」および「区の花[8]」が制定されている。
区名 | 団体コード | 設置日 | 位置 | 面積 | 人口 | 世帯数 | 昼夜間人口比率 | 区の色 | 区の花 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西区 | 11101-5 | 2003年4月1日 | 旧大宮市西部 | 29.14km2 | 86,939人 | 36,773世帯 | 86.14 | ■ あお | アジサイ |
北区 | 11102-3 | 旧大宮市北部 | 16.91km2 | 145,529人 | 64,261世帯 | 91.64 | ■ ふかみどり | 菜の花 | |
大宮区 | 11103-1 | 旧大宮市南部 | 12.75km2 | 114,996人 | 53,746世帯 | 138.70 | ■ オレンジ | さくら | |
見沼区 | 11104-0 | 旧大宮市東部 | 30.63km2 | 161,083人 | 69,501世帯 | 80.82 | ■ そらいろ | クマガイソウ | |
中央区 | 11105-8 | 旧与野市 | 8.39km2 | 98,940人 | 44,873世帯 | 98.42 | ■ バラ色 | バラ | |
桜区 | 11106-6 | 旧浦和市西部 | 18.60km2 | 95,680人人 | 43,710世帯 | 84.15 | ■ さくら色 | サクラソウ | |
浦和区 | 11107-4 | 旧浦和市北部 | 11.51km2 | 155,810人 | 69,574世帯 | 102.38 | ■ あか | ニチニチソウ | |
南区 | 11108-2 | 旧浦和市南部 | 13.89km2 | 180,325人 | 80,763世帯 | 75.49 | ■ レモン色 | ヒマワリ | |
緑区 | 11109-1 | 旧浦和市東部 | 26.51km2 | 119,060人 | 48,693世帯 | 79.55 | ■ みどり | サクラ | |
岩槻区 | 11110-4 | 2005年4月1日 | 旧岩槻市 | 49.16km2 | 111,169人 | 47,596世帯 | 101.60 | ■ やまぶき色 | やまぶき |
人口
日本において第1回の国勢調査が行われた1920年(大正9年)以来、現さいたま市域の人口は、ほぼ一貫して増加してきた。1920年当時の人口が約12万3千人であったのに対して、2010年にはその10倍弱の約122万2千人である。特に日本の高度経済成長期における人口急増が著しく、1960年には約42万0千人であった現さいたま市域の人口は、1975年には約81万4千人となり、15年間で2倍近くに増加した。旧4市域の合併直前と2015年現在の人口は、浦和市が約49万人(現・約55万人)、大宮市が約46万人(現・約50万人)、与野市が約8万人(現・約10万人)、岩槻市が約11万人(現・約11万人)である。 さいたま市は、日本において、人口40万人以上の複数の市が合併した唯一の例である(人口30万人以上の合併では北九州市がある)。
さいたま市(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
市内に常住する通勤・通学者約75万2千人の23.8%にあたる17万9千人弱が東京特別区部に通勤・通学し(東京特別区部からさいたま市への通勤・通学者は1万8千人弱)、昼夜間人口比率も100%を下回る92.7%であるなど(いずれも2010年(平成22年)の国勢調査による)、さいたま市は埼玉都民に対するベッドタウンとしての性格が強い。その一方で、埼玉県内の他の市町村からさいたま市への通勤・通学者も16万8千人弱にのぼり(さいたま市から埼玉県内の他の市町村への通勤・通学者は9万7千人強)、昼夜間人口比率も1990年(平成2年)の89.8%から次第に上昇をみせるなど、さいたま市は周辺の地域から通勤・通学者を集める郊外核としての性質もあわせ持つ。
地区
さいたま市は、2001年(平成13年)に浦和市・大宮市・与野市の3市が新設合併して誕生し、2005年(平成17年)に岩槻市が編入され、現在の市域が形成された。50万人都市である旧浦和市と旧大宮市の間に旧与野市があり、3市の市街地は一体化している。一方旧岩槻市は3市の市街地から離れており、北部は旧大宮市東部と、南部は旧浦和市東部(浦和美園)と生活圏を同じくする。特に旧浦和市と旧大宮市は、東西方向に細長い市域と50万人強の人口を有すること、中央部に中山道の宿場町(浦和宿・大宮宿)を起源とする中心市街地があり、東西に住宅地や農地が多いという土地利用構成となっていること、Jリーグに所属するプロサッカークラブがあることなどの共通点がある。その一方で、旧浦和市は埼玉県庁などの官公庁、旧制浦和高等学校を起源とする埼玉大学や浦和画家などから文教都市として知られ、旧大宮市はターミナル駅である大宮駅や埼玉県最大の商業地があるという違いを踏まえて、浦和は「政治・教育・文化の中心」、大宮は「商業の中心」と称されることもある。
浦和
旧浦和市は県庁が置かれて以来、地裁や県警、県指定金融機関でもある埼玉りそな銀行の本店や各種政党、メディアの支局など県都としての機能が集積し、県行政の中枢として発展した。また、明治時代に旧制浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)と浦和高等女学校(現・埼玉県立浦和第一女子高等学校)、大正時代に東京帝国大学への登竜門と言われた旧制浦和高校(現・埼玉大学)が設置されたことなどを背景に、文教都市の代表格となっている。関東大震災での被害が比較的小さかったことで大正時代以降、東京や神奈川からの移住者で人口が急増した。また、文化人の移住も相次ぎ、とくに画家の移住者が多かったことから「鎌倉文士に浦和画家」という言葉が生まれた。昭和時代以降はサッカーの盛んな地としても知られるようになった。市内で最も東京に近い旧浦和市域は、高度成長期以降も人口が急増し、1985年に開業した埼京線によって増加に拍車がかかった。1990年代後半には県内最大の人口を擁していた川口市を抜き、最大の人口を擁する都市となった。浦和区の世帯所得は東京都心に次ぐ水準で、浦和駅西側の台地上(岸町・常盤・高砂など)は高級住宅街としても知られる。
大宮
旧大宮市は日本鉄道浦和―上尾間への熱心な鉄道駅の誘致により、1885年(明治18年)3月に大宮駅の開設を果たし、その後も日本鉄道大宮工場(現・JR東日本大宮総合車両センター)や大宮操車場などの鉄道施設の誘致を推進し「鉄道の町」と呼ばれるようになった。戦後は新幹線の開通により、鉄道交通の結節点として商業、業務機能が集積し、駅東口には繁華街が形成された。見沼の水神を祀ったと考えられている氷川神社があり、市名の由来となった。
与野
旧与野市は旧浦和市と旧大宮市の間に挟まれた位置にあり、他の3市に比べて面積が小さく、ほぼ全域にわたって市街化されている。市内を通る国道17号沿いに、自動車整備・修理工場と、自動車ディーラーが集中しているため「自動車の街」とも呼ばれるようになった。市域の狭さや市内のほぼ全域が鉄道駅至近に位置することもあり、市全域が人口集中地区に含まれ、人口密度は合併前の旧4市の中で最も高い。中心市街地は江戸時代に干拓が行われた鴻沼の西側の台地上にあるが、区役所をはじめ行政機関の多くは鴻沼のあった地域に所在する。
岩槻
旧岩槻市は南北方向に細長い市域に城下町を起源とする中心市街地があり、南北に住宅地や農地が多いという市街配置・土地利用構成となっていること、江戸時代には大部分が岩槻藩領であったこと(他の3市は主に幕府領等)、市制施行前の所属郡が南埼玉郡であったこと(他の3市は北足立郡)等の歴史的経緯において、他の旧3市とは異なった特徴を有する。東武野田線・岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積しており、「人形のまち」として全国的に知られる。岩槻駅までの東京7号線(埼玉高速鉄道)の延伸が計画されている。
市域にかつて存在した市町村
歴史
2001年(平成13年)5月1日以前の歴史については、浦和市・大宮市・与野市・岩槻市も参照。
先史時代
現さいたま市域には、旧石器時代より人が居住しており、大宮台地の関東ローム層から大古里(おぶさと、緑区)遺跡、明花向(みょうばなむかい、南区)遺跡などの遺跡から、旧石器時代の遺物が出土している[9]。
縄文時代前期には、世界的な温暖化の進行により海面上昇が進み(縄文海進)、荒川や元荒川の下流域は海面下に没した(奥東京湾)。このため、内陸県である埼玉県や栃木県でもこの時代の貝塚が発見されており、さいたま市内においても、当時の海岸線に近い大宮台地の縁辺部に大谷場貝塚(南区)、大戸貝塚(中央区)、中川貝塚(見沼区)等の貝塚が残されている。寒冷化の進んだ縄文時代の後期・晩期の遺跡は少なくなるものの、真福寺貝塚(岩槻区、国の史跡)、馬場小室山遺跡(緑区)、南鴻沼遺跡(中央区)などの遺跡がある[10]。
弥生時代、古墳時代に入ると、本格的な水稲耕作が行われるようになる中で、低地をのぞむ台地の縁辺部や、低地の自然堤防に多くの集落が形成されるようになった。古墳は、植水古墳群・側ヶ谷戸古墳群(西区)、大久保古墳群・土合古墳群(桜区)など古入間川沿いの台地縁辺部や低地に多く見られる[11]。
古代
律令体制が整備されると、現さいたま市のうち岩槻区は埼玉郡に、それ以外の9区は足立郡に含まれるようになった。和名類聚抄には足立郡に7つの郷が所載されており、そのうち堀津(ほっつ)、殖田(うえた)、郡家(ぐうけ)、発度(はっと)、大里(おおさと)の5郷を現さいたま市域内に比定する説があるが、堀津郷や発度郡はさいたま市外に比定する説もあり、定かではない。延喜式神名帳には、現さいたま市域では氷川神社、調神社、足立神社の3座が所載されている(式内社) [12]。
平安時代中頃には、国司に抵抗する群盗の蜂起が続発して治安が悪化した武蔵国では、地方豪族や荘園管理者などが農民などを集めて武装化するようになり、やがてそのような武装集団が武士となっていった。938年(天慶元年)、足立郡司として現在の浦和や大宮を含む足立郡一帯を支配していたと考えられる武蔵武芝と、武蔵権守の興世王・武蔵介の源経基との対立が生じ、これがやがて平将門の乱の契機となったが、乱に巻き込まれる中で武蔵武芝は失脚し、以降足立氏などが足立郡司として登場した[13]。
中世
1160年(平治元年)の平治の乱の際、源義朝に従って破れた足立遠元は、その後足立郡に逼塞していたと考えられているが、1180年(治承4年)に挙兵して鎌倉入りした源頼朝から足立郡の郡郷領掌を安堵され、以後有力御家人として重用された。足立遠元の屋敷は現桶川市の川田谷に比定する説と、現さいたま市西区の植田谷に比定する説とがある。この他、鎌倉時代に現さいたま市域に勢力を有した武士として、髙鼻和氏、麻弥屋氏、箕勾氏、渋江氏、柏崎氏などがある[14]。
現戸田市西部からさいたま市南区西部にまたがる佐々目郷は、1293年(承応6年)から4度に分けて鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進されたが、1394年(応永元年)以降、鶴岡八幡宮による支配に抵抗する農民の闘争がたびたび生じた[15]。
室町時代の関東地方では幾度にわたる戦乱が生じ、現さいたま市域もその戦乱の場となった。観応の擾乱においては、1350年(観応元年)に羽祢蔵(現:桜区羽根倉)にて合戦が行われ、足利尊氏方の髙麗経澄が足利直義方の難波田九郎三郎らを破っている[16]。
また、1455年(享徳3年)に享徳の乱が勃発すると、現さいたま市一帯は古河公方方と関東管領方との対峙の場となった。1456年(康正2年)には、古河公方の足利成氏の家臣である簗田持助が足立郡に討ち入ってその大半を押領した。また岩付城は、関東管領方の(扇谷)上杉持朝の家臣である太田資清・資長(道灌)父子による築城であるとする説と、古河公方方の成田正等による築城であるとする説とがあり、築城後も太田氏が城主となった時期について複数の説があるなど、両勢力の角逐が続いた。
その後、長享の乱(1487年 - 1505年)における長期間にわたる山内上杉家と扇谷上杉家との抗争を経て、関東地方における上杉氏の力は消耗し、かわって後北条氏の勢力が次第に拡大することとなった。1524年(大永4年)には北条氏綱の勢力がすでに三室郷に及んでおり、この頃から現さいたま市域一帯は岩付太田氏の勢力と後北条氏の勢力の接点となったが、やがて1546年(天文15年)の川越夜戦にて北条氏康軍が勝利すると、武蔵国における後北条氏の勢力拡大はさらに本格化した。そのような状況下で、やがて1564年(永禄7年)には太田氏資がその父である太田氏清を追放して北条氏康に内応し、その結果、一帯は後北条氏の支配体制下におかれることとなった[17]。
しかし、1590年(天正18年)には豊臣秀吉による小田原征伐の過程で岩付城も陥落した。これにより後北条氏による支配は終わり、かわって豊臣秀吉の命で関東地方を与えられた徳川家康が関東入りした[18]。
近世
徳川家康は、関東における支配を固める過程で、江戸の近隣に幕府領や旗本領、譜代大名を多く配置した。江戸時代の幕藩体制下で現さいたま市域におかれた藩としては、岩槻城を藩庁とする岩槻藩がある。現さいたま市域のうち、岩槻区域の大部分はこの岩槻藩の所領であった。一方、他の9区の区域は幕府領や旗本領を中心に、さらに寺社領や岩槻藩領が入りまじり、さらに相給も多いという、複雑で細分化された支配体系下にあった[19]。
江戸時代に、現さいたま市域において街が形成されていたのは、岩槻町、浦和宿、大宮宿、与野町、および大門宿の5か所であった。このうち、岩槻町が唯一の城下町であり、またこの岩槻町と大門町が、将軍の日光参詣や岩槻藩の参勤交代の経路として用いられた日光御成街道の宿場町である。また、浦和宿と大宮宿は、五街道の1つとして整備された中山道の宿場町であり、与野町は甲州街道と日光御成街道を結ぶ脇往還である奥州道中岩槻道の継立場として成立した街である。しかし、大門宿の規模はきわめて小さく、また浦和宿や大宮宿も中山道の宿場町の中では比較的小規模であって、与野町の方が規模の大きい街であった[20]。
江戸時代は、利根川・荒川流域において、多数の河川の付け替えや沼地の干拓が行われた時代であり、現さいたま市域もその影響を大きく受けることとなった。まず、1629年(寛永6年)には関東郡代の伊奈忠治らが、利根川東遷事業の一環としてそれまで現在の元荒川へと流れていた荒川の河道を、現在の熊谷市久下付近で締切り、和田吉野川・市野川を経由して入間川筋に流す河川改修を実施した。この河川の付け替えにより、元荒川筋では水害が減少して新田開発が盛んに行われるようになった反面、入間川筋ではより一層洪水の危険性に晒されることとなった[21]。同じく1629年には灌漑用水の確保を目的として、現在の東浦和駅南東側付近の芝川をせきとめる八丁堤も築堤され、その上流側に見沼溜井が形成された。
1728年(享保13年)には、享保の改革の一環として新田開発を進めていた徳川吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛が、八丁堤を切り開いて見沼溜井を干拓して新田とし(見沼田圃)、それにかわる水源として利根川から見沼代用水(現さいたま市域は見沼代用水東縁と見沼代用水西縁に分流)を開削させた。1732年(享保17年)には見沼代用水西縁から分水する形で高沼用水路が開削され、見沼に続いて鴻沼が干拓された。さらに1731年(享保16年)には、もとの八丁堤があった付近に日本で最古級の閘門式運河である見沼通船堀が開削され、見沼代用水東縁・見沼代用水西縁と芝川をつなぐ内陸水運路となった。
また、江戸時代には現上尾市域から現南区域にかけての広い範囲が、紀伊徳川家や徳川将軍家の鷹場となっていた[22]。
近代
明治維新の過程において、日本の地方行政に関わる制度が府藩県三治制(1868年 - )、版籍奉還(1869年)、廃藩置県(1871年)と移行してゆく中で、現さいたま市域では1869年(明治2年)1月に大宮県が設置されたが、大宮県の実質的な県庁機能は東京府日本橋馬喰町に置かれた。同年9月には県庁が浦和宿(現:浦和区)に移転し、県名も浦和県へと変更された。一方、岩槻藩は1871年(明治4年)7月の廃藩置県により岩槻県となった。その後、同年11月に、浦和県、岩槻県、忍県が合併して埼玉県が誕生、県庁は旧浦和県庁に置かれた。
日本初の鉄道開業(新橋駅 - 横浜駅(現桜木町駅)間)から11年後の1883年(明治16年)には、日本鉄道の上野駅 - 熊谷駅間(現:京浜東北線・高崎線の経路に相当)が開通し、現さいたま市域では初の鉄道駅である浦和駅が開業した。
市域西部を流れる荒川は、1907年(明治40年)8月と1910年(明治43年)8月に水害を起こし、特に1910年の水害は、関東大水害として知られる。荒川をはじめ埼玉県内の多数の河川が大雨により氾濫し、埼玉県や東京府の広い範囲が浸水するなど、大規模なものとなった。これらの水害を契機に、荒川では「荒川下流改修計画」「荒川上流改修計画」が策定され、一体的な治水対策や河川改修工事が行われるようになった。しかしながら、戦争を含む当時の日本の経済・社会情勢の影響を受け、工事は当初予定よりも大幅に時間を要することとなった。現さいたま市域は、荒川上流改修計画に含まれているが、これによる河川改修工事は、開始年が1918年(大正7年)、付帯工事も含めた終了年は1954年(昭和29年)のことである。これにより、さいたま市付近の荒川は、幅2km弱にわたる河川敷を有することとなった[23]。
1923年(大正12年)の関東大震災は現在のさいたま市域、なかでも浦和と大宮の発展に大きな影響を及ぼすことになる。この時期埼玉県では主要都市中心部で「耕地整理事業」の名による区画整理が始まっていたが、中でも早期に耕地整理事業が進み、震災の時点ですでに中心部付近に整備された碁盤状の街区を設けていた旧浦和町は震災被害も軽微で(死者は3名[24])、壊滅した東京や横浜から人口が流入し、特に別所沼の周辺をはじめとする地域には画家をはじめとした文化人が移住した。彼らは「浦和画家」と呼ばれる文化人コミュニティーを形成し、文教都市、浦和の発展に寄与した。一方大宮ではやはり震災を契機として、大宮町・大砂土村境界部に東京・小石川から盆栽業者が集団移転し、盆栽村組合が設立されて厳格な景観に対する取り決めを行い、盆栽村が形成された。これら関東大震災後に浦和、大宮に花開いた文化は現在でも文化的遺産となっている。
1927年(昭和2年)に宮脇梅吉が埼玉県知事に就任。浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏構想を打ち出した。だが、在任わずかで宮脇は他県に転出して実現しなかったが[25]、1931年(昭和6年)に宮脇が再び埼玉県知事に就任。日進を加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」を強く提唱する[25]。しかし大宮町の負債総額が浦和町を大幅に上回っていたことから浦和町が合併に消極的であったといわれ[26]、合併は実現せず。1934年(昭和9年)、市制施行により浦和市が発足。これは都道府県庁所在地として最も遅い市制施行であった。また、浦和・大宮・与野・六辻・三橋の1市2町2村の上水道を取り扱う「埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団、現:さいたま市水道局)が設立され、「大埼玉市」構想の一部が実現した[25]。
1939年(昭和14年)には浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併を呼びかけ。大宮町も、浦和市・与野町との独自の合併案を提示する[25]。翌年1940年(昭和15年)埼玉県が仲介し、大宮案での合併交渉に入り、六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意。しかし、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。11月に大宮町は交渉不調に備えて別個に合併交渉を進めていた三橋・大砂土・宮原・日進の4村と合併し、同時に市制施行により大宮市が発足。1943年(昭和18年)には、埼玉県知事の大津敏男が浦和・大宮・与野との二市一町で埼玉市を設立する合併構想を打ち出すも、戦争の激化により立ち消えとなった。
太平洋戦争中は、埼玉県内を管轄する浦和連隊区司令部が置かれた。戦争末期の1945年(昭和20年)には、日本の多数の都市がアメリカ軍の空襲を受けた。現さいたま市域でも、4月14日に浦和市と大宮市、5月26日に再び浦和市が空襲を受けて死傷者が生じ、また浦和への爆撃予告ビラが投下されるなどしたが、市街の大部分を焼失するような大規模空襲に遭うことはなかった[27]。県内最大の空襲は終戦当日の熊谷空襲であった。終戦後進駐軍の占領下になると埼玉会館に埼玉軍政部が置かれた。
現代
戦後の高度経済成長に伴う東京都心の人口過密によって、至近の現さいたま市域も人口流入が進み、日本で最も人口増加の著しい地域の一つとなった。東京への近さから埼玉都民のための住宅都市的発展が21世紀を迎えても依然続き、区画整理(一覧)事業によって市街地が拡大している。また、市内主要駅周辺部では再開発事業(一覧)が活発化し、高層建築物が増加した。市内で最も高さがある建物は明治安田生命さいたま新都心ビル(168m)、最も階数が高い建物はライブタワー(38階)となっている。戦前(1927年)から数度浮上した合併構想は2001年に結実した(下記)。
合併に関する経過と合併後の沿革。旧市に関する詳細な歴史は各4市の項目を参照。
- 1953年(昭和28年) - 9月、町村合併促進法が制定される。いわゆる「昭和の大合併」の始まり。
- 1954年(昭和29年) - 2月、埼玉県が県内323市町村を81市町村にまで合併再編する合併試案を示し、浦和市・大宮市周辺では浦和市・大宮市・与野町・大久保村・土合村の2市1町2村による合併試案が示される。しかし浦和市は大久保村・土合村を編入する合併、大宮市は周辺6村を編入する合併を構想し、この枠組みでの合併は実現せず[28]。11月、与野町が大久保村に合併を申し込むも、実現せず[29]。
- 1955年(昭和30年) - 1月、浦和市が大久保村・土合村を編入、大宮市が周辺6村(春岡、七里、片柳、植水、馬宮、指扇)を編入。2月、与野町議会に北部を大宮市、南部を浦和市に編入させ、中央部を残存させる案が提出されるも、反対議員や町民が議場を取り囲んで開会できず、与野町はそのまま残る[30]。
- 1958年(昭和33年) - 市制施行により与野市が発足。
- 1962年(昭和37年) - 浦和市議会が、三市と川口・蕨での五市合併を呼びかけ。第一段階で三市、第二段階で川口・蕨との合併をするというものだった。
- 1973年(昭和48年) - 三市の市長が合併に関して初会談。また、北九州市の合併推進派の理論的支柱となった都市社会学者の磯村英一が、三市について「合併しなければ、背を向け続けるであろう」と警告。
- 1980年(昭和55年) - 10月、県南中央地域の都市間相互のゆるやかな連合を掲げ、浦和市、大宮市、上尾市、与野市、伊奈町の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」が発足。
- 1982年(昭和57年) - 4月、従前の首長会議の名称を「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。9月、「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。
- 1985年(昭和60年) - 12月、「埼玉中枢都市圏構想」の名称を「さいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字を組み合わせた名称)に変更。
- 1990年(平成2年) - 7月、「政令指定都市化」を公約にして、新藤享弘が大宮市長に就任。だが、単独での実現は現実的には無理で、合併による政令指定都市化を目指すものだった。これには与野市長の井原勇も同調した。
- 1991年(平成3年) - 4月、「政令指定都市化」を公約にして、相川宗一が浦和市長に就任。これに難色を示した現職の中川健吉を破っての就任であった。
- 1992年(平成4年) - 4月、国土庁が4市1町の圏域を「埼玉中枢都市圏域業務核都市基本構想」として承認。
- 1993年(平成5年) - 6月、旧国鉄操車場跡地に、国の10省庁17機関の移転決定。12月、4市1町の強固な連合を目標とした「彩の国YOU And Iプラン」を策定。以後、合併政令指定都市化の動きが活発化する。
- 1995年(平成7年) - 7月19日 、上尾市が浦和市・大宮市・与野市からの合併協議会設置請求に対し拒否回答。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 1月10日 - 市名の公募を実施。期限の2月18日までに全国から67,665件、8,580種類の応募がなされる。その結果は、『埼玉市』が1位(7117票)、『さいたま市』が2位(3821票)というものであった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が3位(3008票)、『浦和市』が6位(1821票)となったが、大宮市以外の地域からの『大宮市』への応募は24.8%、浦和市以外の地域からの『浦和市』への応募は29.7%と少なく、浦和市からの『大宮市』への応募は1.3%、大宮市から『浦和市』への応募は3.4%であった[32]。また、『与野市』は100位以内に入らなかった[33]。
- 3月26日 - 新市名検討委員会での検討の結果、『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位2495票)・『さきたま市』(7位1374票)・『関東市』(37位217票)の5案が市名候補として選考され、第2小委員会委員長及び小委員会に報告される。
- 4月4日 - 第22回第2小委員会が開催。浦和市・与野市から『さいたま市』、大宮市から『大宮市』の2つの市名案が提案される。なお、『大宮市』の名称は、大宮市の提案で設置された新市名検討案が提出した市名候補5案にはないものだった。
- 4月11日 - 第23回第2小委員会が開催。『埼玉』などの名称を使用しないでほしいとする要望書を提出した、行田商工会議所会頭・行田市埼玉地区自治会連合会会長が招聘される。
- 4月17日 - 第25回第2小委員会が開催。大宮市側は新市の市役所の位置について、「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨[34]を合併協議書に盛り込むことで、新市名を『さいたま市』とすることに合意した[35]が、合併後は「将来の市役所の位置」に関する合併協定書の文言に関する解釈を巡って対立が見られる(市の中心となる浦和市側の反発により、さいたま新都心に設置すると表記していないため)。
- 4月24日 - 第21回合併推進協議会が開催。新市名を 『さいたま市』とする旨委員長報告があり、議案が提出。即日議決される。なお、さいたま市の「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文字)を正式としたが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。
- 4月29日 - 法定協議会「浦和市・大宮市・与野市合併協議会」が設置される。
- 5月5日 - 浦和市、大宮市、与野市の市境域の旧国鉄操車場跡地にて、さいたま新都心がまちびらき。
- 9月5日 - 合併協定調印式。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 11月20日 - さいたま市議会が、「政令指定都市関連議案(区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例案)」を可決。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年) - 4月1日、さいたま市が岩槻市を編入合併し、旧岩槻市の市域を区域とする岩槻区が発足。
- 2006年(平成18年) - みそのウイングシティが街びらき。現在も区画整理事業が進む。
- 2013年(平成25年) - ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムが初開催。
- 2015年(平成27年)
- 4月1日 - 「文化財産等取得基金」を編入し、「文化芸術都市創造基金」が創設。この基金をもとにトリエンナーレなどのイベント開催、浦和区の「うらわ美術館」を「さいたま市立美術館」(仮称)に発展的に開設する構想がある。また、岩槻区の旧区役所跡に「岩槻人形会館」(仮称)を2020年度までに開設する方針としている。
- 11月 - さいたま国際マラソンが初開催
- 2016年(平成28年) - さいたまトリエンナーレが開催される(予定)。
- 2020年 - 東京オリンピックが開催、埼玉スタジアム2002及びさいたまスーパーアリーナが競技会場となる(予定)。みそのウイングシティ内に順天堂大学医学部附属病院の新病院が開院、同時に大学院の新キャンパスも開学(予定)。
- 2020年以降 - 埼玉高速鉄道の浦和美園駅から岩槻駅までの区間が延伸(予定)。
政治
首長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 期・備考 |
---|---|---|---|---|
井原勇 | 2001年5月1日 | 2001年5月26日 | 市長職務執行者 1983年5月1日-2001年4月30日まで与野市長として5期在任 | |
初 | 相川宗一 | 2001年5月27日 | 2005年5月26日 | 1期・1991年5月2日-2001年4月30日まで浦和市長として3期在任(通算4期) |
2 | 2005年5月27日 | 2009年5月26日 | 2期(通算5期) | |
3 | 清水勇人 | 2009年5月27日 | 2013年5月26日 | 1期 |
4 | 2013年5月27日 | 現職 | 2期 |
過去の市長選挙
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 171,876 | 清水勇人 | 無所属 | 現 |
118,362 | 長沼威 | 無所属 | 新 | |
53,513 | 吉田一郎 | 無所属 | 新 | |
24,834 | 大石豊 | 無所属 | 新 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 155,966 | 清水勇人 | 無所属 | 新 |
98,816 | 相川宗一 | 無所属 | 現 | |
62,991 | 中森福代 | 無所属 | 新 | |
32,249 | 日下部伸三 | 無所属 | 新 | |
27,448 | 松下裕 | 無所属 | 新 | |
26,397 | 高橋秀明 | 無所属 | 新 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 135,553 | 相川宗一 | 無所属 | 現 |
121,735 | 中森福代 | 無所属 | 新 | |
63,880 | 沼田道孝 | 無所属 | 新 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 131,822 | 相川宗一 | 無所属 | 新 |
109,552 | 新藤享弘 | 無所属 | 新 | |
49,505 | 岡真智子 | 無所属 | 新 | |
39,323 | 高橋秀明 | 無所属 | 新 | |
21,662 | 沼田道孝 | 無所属 | 新 | |
8,647 | 高瀬広子 | 無所属 | 新 | |
3,377 | 吉田一郎 | 無所属 | 新 | |
2,015 | 山口節生 | 無所属 | 新 |
- 2001年5月27日 - 初の市長選挙。前浦和市長の相川宗一(自由党推薦)が当選。
- 2003年4月13日 - 初の市議会議員一般選挙。議員定数を64に削減。
- 2004年12月26日 - 南区選出議員の市議会議員補欠選挙。
- 2005年5月15日 - 市長選挙。岩槻区選出議員の市議会議員増員選挙。浦和区選出議員の市議会議員補欠選挙。議員定数を71に増加。
- 2007年4月8日 - 市議会議員一般選挙。議員定数を64に削減。
- 2009年5月24日 - 市長選挙。西区・北区選出議員の市議会議員補欠選挙。
- 2011年4月10日 - 市議会議員一般選挙。議員定数を60に削減。
- 2013年5月19日 - 市長選挙。見沼区選出議員の市議会議員補欠選挙。
- 2015年4月12日 - 市議会議員一般選挙。
さいたま市議会
さいたま市議会を参照
国政選挙
- 埼玉県第1区:見沼区、浦和区、緑区、岩槻区
議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|
村井英樹 | 自由民主党 | 2 | 選挙区 |
武正公一 | 民主党 | 6 | 比例復活 |
- 埼玉県第5区:西区、北区、大宮区、中央区
議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|
枝野幸男 | 民主党 | 8 | 選挙区 |
牧原秀樹 | 自由民主党 | 3 | 比例復活 |
議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|
田中良生 | 自由民主党 | 3 | 選挙区 |
県政選挙
本市における県議会の選挙区は、行政区ごとに区分して議員を選出している。その総数は14である。
選挙区名 | 定数 | 議員名 | 会派 | 当選回数 |
---|---|---|---|---|
南第3区 さいたま市西区 | 1 | 日下部伸三 | 自由民主党 | 2 |
南第4区 さいたま市北区 | 2 | 鈴木弘 | 自由民主党 | 4 |
高木真理 | 民主党 | 2 | ||
南第5区 さいたま市大宮区 | 1 | 沢田力 | 自由民主党 | 2 |
南第6区 さいたま市見沼区 | 2 | 田村琢実 | 自由民主党 | 3 |
井上將勝 | 民主党 | 2 | ||
南第7区 さいたま市中央区 | 1 | 伊藤雅俊 | 自由民主党 | 2 |
南第8区 さいたま市桜区 | 1 | 荒木裕介 | 自由民主党 | 2 |
南第9区 さいたま市浦和区 | 2 | 荒川岩雄 | 自由民主党 | 4 |
浅野目義英 | 民主党 | 3 | ||
南第10区 さいたま市南区 | 2 | 宮崎栄治郎 | 自由民主党 | 4 |
木村勇夫 | 民主党 | 3 | ||
南第11区 さいたま市緑区 | 1 | 高橋政雄 | 自由民主党 | 3 |
南第12区 さいたま市岩槻区 | 1 | 小島信昭 | 自由民主党 | 5 |
行政
市役所
さいたま市役所の項目を参照。
広報活動
市の一般的な広報活動は、広報課により行われている。同課内には、一般的な広報活動の企画立案や各区ごとの広報活動の取りまとめを行う「広報係」のほか、行政情報の見える化を推進することを主な業務とする「企画推進係」がある。[36]
主な広報媒体として、広報誌『市報さいたま』(毎月1回発行、全戸配布)、テレビ番組『のびのびシティさいたま市』(テレビ埼玉で放送)のほか、ウェブ媒体によるもの(公式サイトおよびメールマガジン)などがあり、このうち『市報さいたま』については視覚障害者向けにカセットテープ版や点字版も制作されている[37]。また、この他にも市議会や市政の個別テーマ・部局・地域ごとの広報が多くなされている。
市のマスコットキャラクターとして、市内の見沼(見沼田んぼ)に伝わる伝承に因んだ「つなが竜ヌゥ」が2007年9月20日に制定された[38]。このキャラクターは一定の条件(要綱・マニュアルに記載)を満たせば営利目的を含めて誰でも使用することができるほか、着ぐるみの貸し出しも行われている[39]。また、埼玉県の自治体のゆるキャラで構成されるゆる玉応援団にも加盟している。また、やなせたかしによるキャラクター「浦和うなこちゃん」がさいたま観光大使に任命されており、各種イベントにて「ヌゥ」や埼玉県のキャラクターである「コバトン」・「さいたまっち」と一緒に登場することが多い[40]。
市歌として、「さいたま市の歌『希望(ゆめ)のまち』」が制作されている。政令指定都市移行記念として2003年に制定されたもので、公募により880点寄せられた歌詞の最優秀作品に市出身のタケカワユキヒデが作曲および補作詞をした楽曲で、タケカワと二人の娘(武川基、武川アイ)のユニット「タケカワユキヒデ & T's COMPANY」が歌う。この楽曲の冒頭とエンディングに流れるチャント風のエールは、浦和レッズと大宮アルディージャのサポーター有志によるものである。また、このエールをアレンジしたものが市内の複数のJR駅で発車メロディーとしても使用されている。[41]
県の出先機関
- 浦和区
- 埼玉県公安委員会
- 埼玉県教育委員会
- 埼玉県立文書館
- 埼玉県知事公館
- 埼玉県県民健康センター
- 埼玉県危機管理防災センター
- 埼玉県救急救命士養成所
- 県民生活部交通安全課交通事故相談所(埼玉県庁内)
- 埼玉県浦和合同庁舎
- さいたま県税事務所(大宮県税事務所を浦和県税事務所に統合)
- さいたま農林振興センター
- 中央環境管理事務所
- 南部教育事務所
- 埼玉県企業局
- 埼玉県労働相談センター
- 県営競技事務所
- 彩の国すこやかプラザ
- 埼玉県障害者交流センター
- 大宮区
- パスポートセンター
- 競技事務所
- 母子福祉センター
- 自動車税事務所
- 中央区
- 埼玉県創業・ベンチャー支援センター
- 埼玉県男女共同参画推進センター(WithYouさいたま)
- 食肉衛生検査センター
- 産学連携支援センター埼玉
- 南区
- さいたま県土整備事務所
- 荒川左岸南部下水道事務所
- 別所沼会館ヘリテイジ浦和
- 防犯・交通安全課分室(ラムザタワー)
- 就職支援サテライト ヤングキャリアセンター(ラムザタワー)
- 桜区
- 埼玉県浦和大久保合同庁舎
- 企業局大久保浄水場
- 企業局水道整備事務所
- 埼玉県動物指導センター南支所
- 北区
- 埼玉県立職業能力開発センター
- 埼玉県計量検定所
- 中央家畜保健衛生所
- 岩槻区
- 児童養護施設いわつき
県の公社
裁判所
国の出先機関
- 人事院
- 関東事務局(新都心合同庁舎1号館)
- 警察庁
- 関東管区警察局(新都心合同庁舎2号館)
- 埼玉県情報通信部(浦和区)
- 岩槻高速道路管理室(岩槻区)
- 関東管区警察局(新都心合同庁舎2号館)
- 総務省
- 関東管区行政評価局(新都心合同庁舎1号館)
- 法務省
- 財務省
- 厚生労働省
- 農林水産省
- 関東農政局(新都心合同庁舎2号館)
- 埼玉支局(新都心合同庁舎2号館)
- 関東農政局(新都心合同庁舎2号館)
- 経済産業省
- 国土交通省
- 環境省
- 関東地方環境事務所(明治安田生命さいたま新都心ビル)
- 防衛省
広域行政
- 埼玉県都市競艇組合:飯能市、加須市、本庄市、東松山市、狭山市、春日部市、羽生市、鴻巣市、深谷市、上尾市、草加市、越谷市、入間市、朝霞市とともにボートレース戸田の開催に関する事務を共同で行っている。
- 埼玉県浦和競馬組合:埼玉県とともに、浦和競馬の開催に関する事務を共同で行っている。
経済
産業構成
さいたま市では、従業者の80%以上が商業・サービス業等の第三次産業に従事している。この構成割合は、政令市および東京特別区部全体とほぼ同様である。埼玉県全体や日本全国と比べると、製造業の構成割合が小さく、サービス業の構成割合が大きい。市街地にはテクノシティ浦和などのデータセンター、郊外には岩槻工業団地、吉野原工業団地などの物流拠点が所在する。
- 商工会議所
主な企業
- ※本社を構える企業についてはCategory:さいたま市の企業も参照。
- 本社を置く主な企業
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- 研究所など
- 金融機関
主な商業施設
- 伊勢丹浦和店
- 浦和コルソ
- 浦和パルコ
- 大丸浦和パルコ店
- そごう大宮店
- 高島屋大宮店
- コクーンシティ
- アルシェ
- 大宮駅西口DOMショッピングセンター
- アトレ浦和
- ルミネ大宮
- ステラタウン
- 丸広百貨店南浦和店
- イオンモール与野
- イオンモール浦和美園
- イオン大宮店
- ビバモールさいたま新都心
ホテル
マスメディア
- 新聞社
- テレビ放送局
- FMラジオ局
- コミュニティFM局
- CityFMさいたま(REDS WAVE)
- ケーブルテレビ
地域社会
- 保健所
- さいたま市保健所(中央区)
- 上下水道
- さいたま市水道局(浦和区)
- 大宮南部浄化センター(見沼区)
- ごみ処理施設
- 桜環境センター(桜区)
- クリーンセンター大崎(緑区)
- 西部環境センター(西区)
- 東部環境センター(見沼区)
- 電気・ガス
- 斎場
- 特殊法人
- 日本年金機構北関東・信越ブロック本部(浦和区)
- 浦和年金事務所(浦和区)
- 大宮年金事務所(北区)
- 東日本電信電話埼玉支店(浦和区)
- 日本たばこ産業株式会社北関東支社(大宮区)
- 商工組合中央金庫さいたま支店(浦和区)
- 日本政策金融公庫さいたま支店(大宮区)、浦和支店(浦和区)
- 日本郵便株式会社関東支社 (中央区)
- 独立行政法人
- 国際交流基金日本語国際センター(浦和区)
- 自動車事故対策機構埼玉支所(浦和区)
- 労働者健康福祉機構埼玉産業保健推進センター(浦和区)
- 都市再生機構埼玉地域支社(南区)
- 水資源機構本部(中央区)
- 水資源機構総合技術センター(桜区)
- 農林水産消費安全技術センター(中央区)
- 大規模ホール
- 埼玉会館(浦和区)
- さいたま市文化センター(南区)
- さいたま市民会館うらわ(浦和区)
- さいたま市民会館おおみや(大宮区)
- さいたま市民会館いわつき(岩槻区)
- 大宮ソニックシティ(大宮区)
- さいたまスーパーアリーナ(中央区)
- 観光案内所
- 浦和観光案内所(アトレ浦和South Area内)
- 大宮駅観光案内所(大宮駅構内)
- さいたま新都心観光案内所(さいたま新都心駅東西自由通路)
地域拠点施設
支所・市民の窓口
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コミュニティセンター
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消防・警察
- 消防・防災
- 警察署
- 埼玉県警察本部(浦和区)
- 浦和警察署(浦和区) - 第一方面本部、さいたま市警察部、交通管制センターを併設
- 浦和西警察署(中央区)
- 浦和東警察署(緑区)
- 大宮警察署(大宮区)
- 大宮西警察署(西区)
- 大宮東警察署(見沼区)
- 岩槻警察署(岩槻区)(蓮田市も管轄する)
- その他警察施設
- 交通機動隊(西区)
- 県警察学校(北区)
- 高速道路交通警察隊岩槻分駐隊(岩槻区・東北自動車道岩槻インターチェンジ内)
- 鉄道警察隊(大宮区・大宮駅西口)
- 大宮駅派遣所
- さいたま新都心駅派遣所
- 音楽隊(北区)
- 運転教育課大宮分室(北区)
- 国外運転免許センター(大宮区)
- 機動センター(西区)
- 少年サポートセンター(南区・ラムザタワー)
- 犯被害者支援室(南区・ラムザタワー)
- 木崎分庁舎(旧埼玉県工業技術研究所)(浦和区)
- 鹿手袋分庁舎(南区)
- 宮原分庁舎(旧埼玉県大宮土木事務所)(北区)
医療機関
さいたま市は、1市で1つの二次医療圏(さいたま保健医療圏)を構成する。
- さいたま赤十字病院(中央区)
- さいたま市立病院(緑区)
- さいたま市民医療センター(西区)
- 埼玉メディカルセンター(浦和区)
- 自治医科大学附属さいたま医療センター(大宮区)
- 埼玉県立小児医療センター(岩槻区)
- 丸山記念総合病院(岩槻区)
- 医師会
教育機関
- 教育委員会
- さいたま市教育委員会(浦和区)
- 教育研究所
- さいたま市立教育研究所(浦和区)
小中学校および高等学校、特別支援学校等はCategory:さいたま市の学校を参照。
- 大学
- 埼玉大学(桜区)
- 慶應義塾大学薬学部浦和共立キャンパス(旧共立薬科大学時代の2006年3月に当キャンパスでの授業を廃止。学部内のクラブ活動や学生の研修等のみに使われている。キャンパス内に附属薬用植物園がある)(緑区)
- 芝浦工業大学大宮キャンパス(見沼区)
- 浦和大学(緑区)
- 目白大学岩槻キャンパス(岩槻区)
- 日本大学法学部大宮キャンパス(2009年3月に体育実技科目の一部を残して当キャンパスでの授業を廃止。グラウンドのみが使われている)(見沼区)
- 放送大学学園埼玉学習センター(大宮区)
- 人間総合科学大学岩槻キャンパス・蓮田キャンパス(本部である蓮田キャンパスの所在地は、岩槻区内に属している)(岩槻区)
- 国際学院埼玉短期大学(大宮区)
- 浦和大学短期大学部(緑区)
保育・子育て施設
2015年の保育施設定員は8752人。待機児童は2014年10月時点で372人[43]に上っており、2017年度までに人口の急増している南区や緑区に認定保育園の開設を急ぎ、定員を10882人に増員し、待機児童数ゼロを目指す計画である[44]。子育て支援の中核拠点として、浦和区にさいたま市子ども総合センター(仮称)が建設中で、2017年に開設予定である。さいたま市児童相談所や一時保護所、こころの健康センターなどが移転集約する複合施設となる[45]。また、各区には以下の10か所で0~3歳未満の親子が自由に交流できる子育て支援センターが設置されている。
- さいたま市児童相談所(中央区)
- 子育て支援センターうらわ(エイペックスタワー浦和東館内)
- 子育て支援センターみなみ(サウスピア内)
- 子育て支援センターみどり
- 子育て支援センターさくら
- 子育て支援センターおおみや(のびのびプラザ大宮内)
- 子育て支援センターみぬま
- 子育て支援センターエンゼルキッズさいたま西
- 子育て支援センターさいたま北
- 子育て支援センターよの
- 子育て支援センターいわつき(WATSU西館内)
図書館
さいたま市立図書館が市内に25館設置されている。ほかに埼玉県立熊谷図書館浦和分室が、埼玉県立浦和図書館閉館後埼玉県立文書館内に設置。
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郵便
- さいたま新都心郵便局(中央区) - 浦和区・大宮区・中央区・桜区を管轄
- さいたま中央郵便局(南区) - 南区・緑区を管轄
- 大宮郵便局(北区) - 見沼区を管轄(自局内も含む)
- 大宮西郵便局(北区) - 西区・北区(大宮郵便局内を除く)を管轄
- 岩槻郵便局(岩槻区) - 岩槻区を管轄
- 新岩槻郵便局(岩槻区 統括支店)
スポーツ
サッカー
さいたま市は、旧浦和市域を中心としてサッカーが盛んな街でもある。現在のさいたま市役所付近に置かれた埼玉師範学校(後の埼玉大学教育学部)が1937年の全国中等学校蹴球大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗が箱根の山を越えた(かつては関西地方で全国大会が開かれていたため)。以来、1950年代から1970年代にかけて浦和高校・浦和西高校・浦和市立高校・浦和南高校が次々と全国制覇し、静岡県や広島県と共に「サッカー御三家」と称された[46]。
2016年現在、さいたま市内を本拠地とするプロサッカークラブとしては、Jリーグ1部(J1)に所属する浦和レッドダイヤモンズと大宮アルディージャ、女子サッカークラブとしてはなでしこリーグ(旧L・リーグ)に所属する浦和レッドダイヤモンズ・レディースがある。浦和レッドダイヤモンズと大宮アルディージャとの試合はさいたまダービーと呼ばれている。また、J1規格以上のサッカースタジアムが3つある都市はさいたま市だけとなっている。
2002年には、FIFAワールドカップの埼玉会場として、日本代表の初戦や準決勝戦など4試合が緑区の埼玉スタジアム2002で行われた。
- 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)
- 日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)
- 関東サッカーリーグ
- さいたまサッカークラブ(関東サッカーリーグ1部所属)
- 与野蹴魂会(関東サッカーリーグ2部所属)
- 埼玉県社会人サッカーリーグ
- 浦和レッドダイヤモンズ・アマチュア(2部所属)
- 埼玉県女子サッカーリーグ
- 浦和本太レディースFC(なでしこリーグ参入を目指す女子サッカークラブ)
野球
市内では野球も盛んであり、県営・市営あわせ4つの野球場が所在する。高校野球においては、選抜高校野球大会に10回、全国高校野球選手権に12回出場し、県内最多(合計22回)の甲子園大会出場回数の浦和学院高校が所在しており、2013年に浦和学院高校が、1968年に大宮工業高校が選抜高校野球大会で全国優勝を果たしている。
社会人野球においても、実業団チームでは日本通運が浦和市時代から都市対抗野球大会に40回、日本選手権に18回出場しており、1964年に埼玉県勢初の都市対抗野球大会優勝を果たし、1994年には日本選手権に優勝を果たすなど南関東エリアの強豪として知られている。また、クラブチームでは全浦和野球団が全日本クラブ野球選手権大会に1976年の第1回大会から3連覇を果たしている。戦前は大宮町に本拠に置いた「全大宮」が1932年から都市対抗野球大会に5年連続で出場し、1935年・1936年と二年連続で準決勝に進出する活躍をした。
- 日本野球機構(参考:日本プロ野球)
- イースタン・リーグ下記の2チームは本拠地を地域内に置いている。
- パシフィック・リーグ
- 日本野球連盟(社会人野球)
バスケットボール
バスケットボールについては、bjリーグ所属の埼玉ブロンコスのホームタウンである他、2006年8月26日から9月3日まで、FIBAバスケットボール世界選手権のファイナルラウンドが中央区のさいたまスーパーアリーナにて行われた。女子では現在は廃部となったが、日本リーグにも参戦していた日本通運ディアーズが浦和市に本拠を置いていた。
- 日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)
スポーツ文学賞
さいたま市は、スポーツが盛んな都市というイメージを生かし、1994年にさいたま市スポーツ文学賞(開始時は「浦和スポーツ文学賞」。現在は終了)を創設した。スポーツを題材とする小説およびエッセイを全国から公募する文学賞で、2010年まで隔年で実施された。また、受賞者の作品をまとめた作品集『SPORTS STORIES』を毎回刊行していた。
スポーツ施設
サッカー
- 埼玉スタジアム2002(浦和レッズホームスタジアム)
- さいたま市駒場スタジアム(浦和レッズホームスタジアム)
- さいたま市大宮公園サッカー場(大宮アルディージャホームスタジアム)
- さいたま市大原サッカー場(浦和レッズ専用練習場)
- さいたま市高木サッカー場(大宮アルディージャ専用練習場)
- さいたま市駒場運動公園補助競技場
野球
- 埼玉県営大宮公園野球場
- さいたま市営大宮球場
- さいたま市営浦和球場
- さいたま市岩槻川通公園野球場(やまぶきスタジアム)
- ロッテ浦和球場(千葉ロッテマリーンズ2軍本拠地球場)
その他
- さいたまスーパーアリーナ
- さいたま市記念総合体育館(埼玉ブロンコスホームアリーナの一つ)
- 浦和駒場体育館(大相撲さいたま場所を興行)
- 浦和西体育館
- 浦和総合運動場
- 荒川総合運動公園
- しらこばと水上公園
- 沼影市民プール
- 原山市民プール
- 浦和競馬場
- 大宮競輪場
観光
主な文化財・旧跡
- 田島ヶ原サクラソウ自生地(国の特別天然記念物)
- 見沼通船堀(国の史跡)
- 真福寺貝塚(国の史跡)
- 与野の大カヤ(国の天然記念物)
- 浦和くらしの博物館民家園展示棟(旧浦和市農業協同組合三室支所倉庫)(国の有形文化財)
- 細淵家住宅主屋・長屋門(国の有形文化財)
- 東玉大正館:旧中井銀行岩槻支店(国の有形文化財)
- 二木屋:旧小林英三家住宅主屋・門及び塀(国の有形文化財)
- 埼玉県行政文書(国の重要文化財)
- 氷川神社
- 調神社
- 玉蔵院
- 氷川神社(浦和区)(旧社殿は県指定有形文化財)
- 氷川女体神社(社殿は県指定有形文化財)
- 久伊豆神社
- 慈恩寺(坂東三十三箇所第12番札所)
- 大門宿本陣表門(県指定史跡)
- 馬場小室山遺跡(県指定史跡)
- 岩槻城址(岩槻城址公園)(県指定史跡)
- 遷喬館(県指定史跡)
- 領ヶ谷城址
- 真鳥山城址
- 寿能城址
観光スポット
- 公園
- 美術館
- 博物館
- その他
祭事・催事
- さいたま市花火大会 - 浦和・大宮・岩槻の3会場で開催される。
- さいたま国際マラソン - 国際大会への女子マラソン代表選考を兼ね、新都心をスタート・ゴール地点とし埼玉スタジアムなどを経由する。2015年より開催。
- さいたまトリエンナーレ - 2016年より開催されるアートイベント。
- ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム - ツール・ド・フランス100回を記念してさいたま新都心で開催。
- さいたま市国際ふれあいフェア - 浦和駅東口市民広場で開催。
- さくら草まつり - 田島ヶ原(国の特別天然記念物)に自生するサクラソウにちなんで実施。会場はさいたま市役所(東側広場)およびさくら草公園[47]。
- 浦和うなぎまつり
- 大盆栽まつり
- ばらまつり - 毎年5月、与野公園で開催[48]。
- 見沼通船堀閘門開閉実演 - 毎年8月、国の史跡・見沼通船堀の閘門が開閉し復元船で通航する。[49]
- 大正時代まつり - 与野停車場通りで開催。[50]
- 岩槻城址公園桜まつり - 県内有数の桜の名所としてライトアップも行われる。[51]
- 岩槻の古式土俵入り(国の重要無形民俗文化財)
- 人形のまち岩槻まつり - 毎年8月岩槻駅東口周辺で開催[52]。
- コラボさいたま - さいたま商工会議所主催の見本市。
- 十二日まち - 調神社で開催される熊手市。例年15万人の人出と千店を超える露店が中山道沿いを埋める。
- 浦和まつり - 毎年7月浦和駅・南浦和駅周辺を会場とし、浦和よさこい、浦和おどり大会が開催される。
- 与野夏祭り - 7月、本町通りで開催される[53]。
- 大宮夏まつり - 毎年8月、大宮駅周辺や日進七夕通り周辺を会場とし、御輿や山車が披露される[54]。
- 北浦和阿波おどり大会[55]
伝統産業
地域活性化、後世への継承を図るため2008年(平成20年)4月25日に以下3つを市の伝統産業を指定した。
- 浦和のうなぎ(浦和は鰻の蒲焼発祥の地とされており、江戸時代からの老舗店舗が多く残る。うなぎまつりが開催されている。)
- 大宮の盆栽(北区には、関東大震災の際に盆栽業者が集団移住した通称「盆栽村」がある。)
- 岩槻の人形(ひな人形)(岩槻区の中心部は、古くから「人形の街」として有名。経済産業大臣指定伝統的工芸品。)
料理
- ケーキ(総務庁統計局家計調査年報<1998年〜2000年(平成10年〜12年)平均より>によると、旧浦和市の1世帯当たりの年間ケーキ購入額が全国で1位となったため、埼玉中央青年会議所(埼玉中央JC)が「ケーキのまち・さいたま」を宣言し、ケーキで街おこしをしようと毎年ケーキにちなんだイベントを開催している。)また、パスタの消費量も全国で1位である。
- 慈姑(岩槻区は、国内有数の産地)
- 葱(岩槻区は「岩槻ねぎ」の産地として知られ、落語の「たらちね」の中に登場している。)
- 豆腐ラーメン (豆腐とひき肉の餡がかかったラーメン。埼玉県のご当地ラーメンとされる。)
交通
さいたま市では、東北新幹線と上越新幹線が分岐するほか、多くの在来線の路線も交錯している。また東北自動車道、東京外環自動車道、首都高速埼玉新都心線などの高速道路・首都高速道路も通過している。
鉄道交通
JTBパブリッシングや交通新聞社(都道府県代表駅の記号がない「東京時刻表」を除く)の時刻表における県・市の代表駅は、埼玉県庁の最寄駅である浦和駅となっている。現さいたま市域において初めて鉄道が開通したのは、日本初の鉄道開通(新橋駅 - 横浜駅間)より11年後の、1883年(明治16年)のことである。この時に開通したのは、現在の京浜東北線と高崎線の経路の各一部に相当する、日本鉄道の上野駅 - 熊谷駅間であり、現さいたま市域で開業した鉄道駅は、浦和駅のみであった。その2年後の1885年(明治18年)には、大宮駅が設置され、直後に現在の東北本線(宇都宮線)の一部をなす日本鉄道の大宮駅 - 栗橋駅間が開通した。その後、新たな鉄道路線の開通や新駅の開業により、現さいたま市域を通る路線や駅は次第に増加し、4つの事業者が運行する11の旅客鉄道路線[注釈 4]と、31の鉄道駅がある。大宮駅、浦和駅、南浦和駅、北浦和駅、武蔵浦和駅、さいたま新都心駅の6駅がJR東日本の乗車人員ランキング上位100位内にランクインするなど、鉄道利用者の多い地域となっている[56]。
このうち主に長距離交通を担う路線として、東北新幹線と上越新幹線の2路線の新幹線が大宮駅で分岐しており、東北地方、北陸地方および東京駅へと延びる。
新幹線以外の旅客鉄道路線の多くは南北方向に通じており、東京大都市圏における放射状の路線をなしている。特に大宮駅以南のJR東北本線は、京浜東北線(電車線)、宇都宮・高崎線・上野東京ライン(列車線)、湘南新宿ライン(貨物線)の3複線となっており、多数の列車が運行されている。一方で、東京大都市圏における環状の路線をなす路線として、市の北部に東武野田線とJR川越線、南部にJR武蔵野線が、それぞれ東西方向に通じている。
一般に、東京大都市圏においては放射状方向に比べて、郊外どうしを結ぶ環状方向の鉄道路線が少ない。一方でさいたま市では、東西(≒環状)方向、南北(≒放射状)方向の両方に、それぞれ複数の鉄道路線が通じており、市内相互や市内と市外とを結んでいる。しかしながら、東西方向の鉄道路線は南北方向よりも運転本数が少ない傾向にあり、特にJR川越線の日進駅以西は、単線となっている。
鉄道路線と駅の一覧
東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 東北(山形、秋田)、上越、北陸の各新幹線
- - 大宮駅 -
- ■ 宇都宮線(東北本線)
- ■ 高崎線(大宮駅以南は線籍上は東北本線)
- - 浦和駅 - さいたま新都心駅 - 大宮駅 - 宮原駅 -
- ■■ 湘南新宿ライン(大宮駅以南は通称・東北貨物線経由、線籍上は東北本線)
- - 浦和駅 - 大宮駅 - 土呂駅 - 東大宮駅 - (宇都宮線直通)
- - 浦和駅 - 大宮駅 - 宮原駅 - (高崎線直通)
- ■ 京浜東北線
- ■ 埼京線
- ■ 武蔵野線
- ■ 川越線
路線バス
市の全域で民営バスによる運行が行われている。市の南部には国際興業バス、北西部には西武バス、北東部には東武バスウエストの運行路線がそれぞれ多く、大半のバス路線は鉄道駅を起点もしくは終点としている。公営交通(市営バス)の運行はないが、運行費用の一部を市が補助する形で民営バスが運行するコミュニティバス路線が存在する。
乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券方式による区間制である。PASMO・Suica(非接触型IC乗車カード)が利用可能なバス事業者が多く、また、回数券が利用できるバス事業者もある(国際興業バスなど)。ただし、100円均一区間(浦和駅周辺など)では、現金以外で支払うと割引が適用されない。
- 国際興業バス
- コミュニティバス(見沼区役所線、桜区役所線、南区役所線)
- 東武バスウエスト
- コミュニティバス(北区役所線、岩槻区役所線)
- 西武バス
- コミュニティバス(西区役所線)
- 朝日自動車
- ジャパンタローズ(PASMO・Suica・バス共通カードは利用できない。)
さいたま市のコミュニティバスに関してはこちらを参照のこと。
タクシー
タクシーの営業区域は県南中央交通圏で、川口市・鴻巣市・上尾市・戸田市などと同じエリアとなっている。
道路交通
さいたま市内の通りも参照。市内に通称のある区間が存在する道路は括弧内に通称を併記(※市内の全区間に通称があるとは限らないので注意)。
高速道路・有料道路
一般国道
- 国道16号(東京環状) - 市内を通っているのは本線のみだが、もともとバイパスとして建設されたため(県道2号が旧道)、市内の区間は西から順に「西大宮バイパス」「新大宮バイパス」「東大宮バイパス」「岩槻春日部バイパス」という名称が付いている。
- 国道17号(中山道) - 下落合交差点から桜木町交差点までは「与野大宮道路」、東大成町交差点以北は「大宮バイパス」という名称がある(旧道は県道164号の東大成町交差点以北)。
- 新大宮バイパス
- 上尾道路
- 国道122号(岩槻街道)
- 国道298号(外環)
- 国道463号(越谷街道・日光御成街道・旧中山道・県庁通り・中山道・埼大通り) - 北浦和駅入口交差点以西は「浦和所沢バイパス」という名称がある。
都道府県道
※90号までは主要地方道、103号以降は一般県道。
- 埼玉県道1号さいたま川口線(第二産業道路)
- 支線(西高通り)
- 埼玉県道2号さいたま春日部線
- 埼玉県道3号さいたま栗橋線(大栗線)
- 埼玉県道5号さいたま菖蒲線(第二産業道路)
- 埼玉県道34号さいたま草加線(県庁通り・日の出通り・南大通り・産業道路)
- 埼玉県道35号川口上尾線(産業道路)
- 埼玉県道40号さいたま東村山線(志木街道)
- 埼玉県道48号越谷岩槻線
- 埼玉県道56号さいたまふじみ野所沢線(東西大通り・中山道・南大通り)
- 埼玉県道57号さいたま鴻巣線(新六間道路)
- 埼玉県道65号さいたま幸手線(旧中山道・浦高通り・日光御成街道)
- 埼玉県道79号朝霞蕨線(志木街道)
- 埼玉県道80号野田岩槻線
- 埼玉県道90号大宮停車場線(旧中山道)
- 埼玉県道103号吉場安行東京線(安行街道)
- 埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線(日光御成街道)
- 埼玉県道118号北浦和停車場線
- 埼玉県道119号与野停車場線
- 埼玉県道120号上木崎与野停車場線(西高通り)
- 埼玉県道121号大宮停車場大成線
- 埼玉県道144号東大宮停車場線
- 埼玉県道154号蓮田杉戸線
- 埼玉県道155号さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線(埼大通り・荒川自転車道)
- 埼玉県道159号さいたま北袋線(赤山東通り)
- 埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線(旧中山道)
- 埼玉県道165号大谷本郷さいたま線(本町通り・新六間道路)
- 埼玉県道213号曲本さいたま線(田島通り・旧中山道)
- 埼玉県道214号新方須賀さいたま線(旧中山道・中山道)
- 埼玉県道215号宗岡さいたま線(埼大通り・八幡通り)
- 埼玉県道216号上野さいたま線
- 埼玉県道235号大間木蕨線
- 埼玉県道255号足立さいたま自転車道線(芝川自転車道)
- 埼玉県道322号東門前蓮田線
- 埼玉県道324号蒲生岩槻線
- 埼玉県道325号大野島越谷線
- 埼玉県道381号東大門安行立野線
- 埼玉県道382号早瀬さいたま線(市内は79号と重複)
- 埼玉県道398号大和田停車場線
- 埼玉県道399号岩槻停車場線
都市計画道路
姉妹都市・提携都市
- 福島県南会津郡南会津町
- 新潟県南魚沼市
- 群馬県利根郡みなかみ町
- 千葉県鴨川市
- 千葉県南房総市(2008年3月31日をもって友好都市提携を解消・友好関係は継続)
- トルーカ市(メキシコ合衆国)
- 鄭州市(中華人民共和国)
- ハミルトン市(ニュージーランド)
- リッチモンド市(アメリカ合衆国)
- ナナイモ市(ブリティッシュコロンビア州)
- ピッツバーグ市(アメリカ合衆国)
姉妹都市を中心に以下の運営施設がある。
出身著名人
さいたま市は2001年に成立したため、戸籍上、著名人の出身地はほぼ旧市出身で占められている。
- 旧浦和市出身者に関しては浦和市#浦和市出身の著名人を参照。
- 旧大宮市出身者に関しては大宮市#出身著名人を参照。
- 旧与野市出身者に関しては与野市#出身著名人を参照。
- 旧岩槻市出身者に関しては岩槻区#出身著名人を参照。
ゆかりのある人物
居住者、一時居住者など。
旧浦和市(浦和地区#浦和にゆかりのある著名人、浦和画家も参照)
- 池波正太郎 - 作家
- 萩本欽一 - コメディアン
- 伊上勝 - 脚本家
- 岡部冬彦 - 漫画家
- 武正公一 - 衆議院議員
- 二見伸明 - 衆議院議員
- 舟山康江 - 参議院議員
- 山本鈴美香 - 漫画家
- 伊藤結花理 - 漫画家
- 藤崎奈々子 - 女優、タレント
- 金田一春彦 - 言語学者
- 大村千吉 - 俳優
- 武川寛海 - 音楽評論家・タケカワユキヒデの実父
- 野島伸司 - 脚本家
- 京極夏彦 - 小説家
- 稲村坦元 - 郷土史家
- 林野宏 - クレディセゾン代表取締役社長
- 松尾武 - 牧師
- 向井亜紀 - タレント
- 杉田豊 - 絵本作家
- 須賀しのぶ - 小説家
- 小沢遼子 - 市議会議員
- 広重玲子 - TBSアナ
- 迎康子 - NHKアナ
- 小見誠広 - NHKアナ
- 小木逸平 - テレビ朝日アナ
- 野口敦史 - 日本テレビアナ
- 石田波郷 - 俳人
- 加藤克巳 - 歌人
- 沖ななも - 佳人
- 鎌倉佐弓 - 俳人
- 小松真一 - 実業家
- 厨川圭子 - 英文学者
- 五来欣造 - 政治学者、早稲田大学教授
- 桃井直美 - 高知県知事、吉田茂秘書
- 麻生豊 - 漫画家
- 新井里美 - 声優
- 山中伊知郎 - 放送作家、タレント
- 澤井直人 - サッカー選手
- 近江友介 - サッカー選手
- 西川優大 - サッカー選手
- 沼田哲 - 歴史学者
- マックス・クラウゼン - スパイ
- 沢村忠 - キックボクサー
- 佐藤信淵 - 農学者
- 高野長英 - 蘭学者
- 天野篤 - 外科医
- 国部毅 - 三井住友銀行頭取
旧大宮市
- 太宰治 - 作家、現・大宮区大門町で「人間失格」を書き上げた。
- 澁澤龍彦 - 作家
- 愛川欽也 - 俳優
- 夏木マリ - 女優、歌手
- 大西民子 - 歌人
- 佐々木則夫 - サッカー日本女子代表監督
- 天夢森流彩 - イラストレーター
旧与野市
名誉市民
※旧市で名誉市民に推挙された人物は、さいたま市名誉市民として自動的に継承されている。
- さいたま市により名誉市民に顕彰された人物
- 旧浦和市により名誉市民に推挙された人物
- 高橋泰雄 - 元浦和市長(初代・第5代)
- 小谷野伝蔵 - 元浦和市長(第2代)
- 長谷川カナ - 俳人・俳号は長谷川かな女
- 松永東 - 元衆議院議長・元文部大臣 元大蔵大臣 元通産大臣松永光の養父
- 相川宗次郎 - 元浦和市長(第3代) ・元浦和市長 元さいたま市長相川宗一の祖父
- 仲田一信 - 元埼玉県医師会会長
- 本田直一 - 元浦和市長(第10代・第11代)
- 長沼新平 - 童話作家・筆名は長沼依山
- 栗原浩 - 元埼玉県知事(第45代 - 第48代)
- 大沢雄一 - 元埼玉県知事(第43代・第44代)
- 長島恭助 - 元埼玉銀行頭取
- 高田誠 - 洋画家
- 相川曹司 - 元浦和市長(第12代・第13代) ・元浦和市長 元さいたま市長相川宗一の実父
- 畑和 - 元埼玉県知事(第49代 - 第53代)
- 増田三男 - 工芸家(彫金) 人間国宝(重要無形文化財保持者)
- 渡邉武夫 - 洋画家
- 中川健吉 - 元浦和市長(第14代 - 第17代)
- 旧大宮市により名誉市民に推挙された人物
- 北澤楽天 - 漫画家
- 川島金次 - 元衆議院議員
- 白井助七 - 元大宮町長・大宮駅開業に尽力
- 加藤睦之介 - 元大宮市長(第3代)
- エリザベツ・フローラ・アプタン - 幼児教育者・唯一の外国人名誉市民
- 橋本長三郎 - 元大宮町議会議長・京浜東北線の開業に尽力
- 新藤元吉 - 元埼玉県議会議長・元大宮市長新藤享弘の実父
- 町田武太郎 - 元大宮町助役
- 今井五六 - 元大宮市長(初代・第4代)
- 津川辰政 - 元大宮市長(第5代・第6代)
- 清水虎尾 - 元大宮市長(第7代)
- 宇治田積 - 元大宮町長
- 斎藤祐美 - 元埼玉県議会議長・荒川の治水事業に尽力し、「治水翁」と称される
- 熊田克郎 - 元武蔵野銀行頭取
- 秦明友 - 元大宮市長(第8代 - 第12代)
- 福永健司 - 元衆議院議長
- 馬橋隆二 - 元大宮市長(第13代 - 第15代)
- 旧与野市により名誉市民に推挙された人物
- 旧岩槻市により名誉市民に推挙された人物
市民栄誉賞
※旧市で市民栄誉賞に表彰された人物は、さいたま市民栄誉賞受賞者として自動的に継承されている。
- さいたま市により市民栄誉賞に表彰された人物
- 旧大宮市により市民栄誉賞に表彰された人物
- 旧与野市により市民栄誉賞に表彰された人物
その他
- 市外局番は市内全域「048」。市内局番が「6XX」(旧大宮市域)「7XX」(旧岩槻市域)「8XX」(旧浦和市域、旧与野市域)の地域との通話は市内通話料金で利用可能(浦和MA)。「7xx」から始まる市内局番はさいたま市以外も広範囲に使われている。エリアは上尾市、桶川市、北足立郡伊奈町、蓮田市、春日部市はさいたま市内から同一の市内通話料金の課金となっている。
- さいたま市の全国地方公共団体コードは11100(検査数字を除く)で、行政区は11101から順に割り当てられる。これに基づいて仮定すると、現在最も新しく発足した岩槻区が11110であるため、仮に新たな行政区が発足(11番目)した場合は11111のゾロ目となる。ちなみに、2015年現在実在するゾロ目の団体コードは、静岡県伊豆市の22222だけである。
さいたま市に関わる百選
- 歴史の道百選:見沼通船堀
- 音響家が選ぶ優良ホール100選:埼玉会館、彩の国さいたま芸術劇場
- 日本さくら名所100選:大宮公園
- 日本の都市公園100選:大宮公園
- 日本の歴史公園100選:見沼通船堀公園
- 公共建築百選:埼玉県立歴史と民俗の博物館
- 名木百選:与野の大カヤ
さいたま市に関わる作品
- 小説など
- あゝ玉杯に花うけて(佐藤紅緑) - 旧制浦和中学が舞台。
- 神々の乱心(松本清張) - 浦和町の県警本部が登場する。
- 青年(森鴎外) - 主人公が友人に誘われ出掛けたのが大宮。
- 1Q84(村上春樹) - 牛河が浦和の富裕な医者の息子として登場する。
- テミスの剣(中山七里) - 浦和署の刑事が主人公。
- ノンちゃん雲に乗る(石井桃子) - 児童文学作品。舞台には作者の石井が幼いころ遊んだ旧浦和町の神社や池が使われている。
- 写生紀行(寺田寅彦) - 寺田寅彦本人が写生のため大宮公園を訪れた時の手記が綴られている。
- 映画
- タナカヒロシのすべて - 主人公がさいたま市に住む。
- 秒速5センチメートル(新海誠) - 武蔵浦和駅が登場する。
- 漫画・アニメ
- 赤き血のイレブン(梶原一騎) - サッカー漫画およびアニメ作品。浦和南高校が舞台(作中では「新生高校」)。
- 浦和の調ちゃん - アニメ作品。浦和地区が舞台。主要な登場人物の名前が地区の地名に由来する。
- エースをねらえ!(山本鈴美香) - テニス漫画。作者の山本鈴美香の出身校である浦和西高校が舞台のモデル(アニメ・ドラマ版の舞台は「神奈川県立西高校」)。
- おおきく振りかぶって(ひぐちアサ) - 野球漫画。原作者の出身校である浦和西高校が舞台のモデル(作中では「西浦高校」)。
- 行け!稲中卓球部(古谷実) - ギャグ漫画。作者の出身地である旧浦和市および校舎のみだが出身中学校がモデル(作中では「稲豊市」)。
- キャプテン翼(高橋陽一)- 浦和駒場スタジアムや大宮公園サッカー場が登場する。日向小次郎や若島津健の出身地である明和市のモデルは浦和市。
- Jドリーム(塀内夏子) - サッカー漫画。初期の頃は、主人公が浦和レッズに所属している設定だった。その関係で旧浦和市が舞台だった。
- 惡の華(押見修造) - 思春期をテーマとした漫画およびアニメ作品。群馬県で育った主人公がさいたま市(大宮)に引越してくる。
- 灼眼のシャナ - ライトノベルが原作。アニメ版は、大宮駅の周辺がモデル(作中では「御﨑市」)。
- フジログ - アニメ作品。見沼区大和田町が舞台。実際の町内の風景がそのまま登場する。
- 宙のまにまに(柏原麻実) - 天文をテーマにした漫画およびアニメ作品。さいたま市青少年宇宙科学館、さいたま市立東浦和図書館などの施設がモデルとなった(作中では「小杉野市」)。
- ナナマル サンバツ - 競技クイズを題材とした漫画。浦和高校をモデルとしている(作中では文蔵高校)。
- マネーウォーズ(宮川総一郎) - 山興証券浦和支店を舞台とした株式をテーマとする漫画作品。
- レンアイ至上主義(水波風南) - 漫画作品。大宮駅東口の周辺に実在した飲食店・ボウリング場や、大宮武道館が登場する。
脚注
注釈
参照
- ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」」
- ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」に記載の標高で、同資料の注にはさいたま市地形図に記載の標高点の最低・最高のものと説明されている。
- ^ 総務省統計局ホームページ
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ “平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2024年2月閲覧。
- ^ “観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年2月閲覧。
- ^ さいたま市ホームページ 「区の色・ロゴマークの使用について」
- ^ さいたま市ホームページ 「10区の「区の花」が決定しました」
- ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)23-25頁
- ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、210、219、982頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)18-19頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)30-34頁
- ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、219-220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)40-41、52頁
- ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)59、69頁
- ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)78頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)69 - 70頁
- ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)73 - 74頁
- ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121頁
- ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)77頁
- ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)118 - 119頁
- ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)137 - 138頁
- ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122 - 123、210、221、983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)153頁
- ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122 - 123、211、221、983頁、財団法人日本地図センター『地図で見るさいたま市の変遷 解説』(2003)20 - 21、25頁
- ^ 『荒川総合調査報告書3 荒川 人文Ⅱ』(1988)13 - 14頁
- ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122 - 123、211、222頁
- ^ 『荒川総合調査報告書3 荒川 人文Ⅱ』(1988)16 - 28頁
- ^ 浦和市史 通史編Ⅲ
- ^ a b c d 『さいたま市誕生 浦和市・大宮市・与野市合併の記録』(2001)14 - 16頁
- ^ 『与野の歴史』(1988)228-229頁
- ^ 国立公文書館デジタルアーカイブ「戦災概況図」
- ^ 『与野の歴史』(1988)245-246頁
- ^ 『与野の歴史』(1988)246頁
- ^ 『与野の歴史』(1988)247頁
- ^ 合併推進協議会報告書
- ^ 2000年3月29日埼玉新聞記事「既存市名には抵抗感 県外の投票でも不人気」
- ^ さいたま市ホームページ 「新市名称公募」結果のお知らせ
- ^ 大宮市は当初「新都心周辺地域とする」との表現を主張、それが合併協議の過程で「行政の中心」と位置づけられていた浦和市側の反発を招き、「望ましいとの意見を踏まえ」「将来の位置を検討する」との文言が入れられた(2000年4月20日埼玉新聞記事「「さいたま市」へ 痛み分けあった合意」)。
- ^ 2000年4月18日埼玉新聞記事「新市名は「さいたま市」 将来の市役所 位置新都心周辺含め検討」
- ^ 広報課の紹介 - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
- ^ さいたま市の主な広報活動 - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
- ^ さいたま市長9月定例記者会見 平成19年9月20日(木曜日) (PDF)
- ^ つなが竜ヌゥ - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
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- ^ さいたま市の歌「希望(ゆめ)のまち」 - さいたま市(2013年12月24日更新、2015年2月4日閲覧)
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- ^ http://www.city.saitama.jp/003/001/0014/002/p021044_d/fil/EachFunction2.pdf さいたま市子ども総合センター基本計画
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- ^ [1] - さいたま観光国際協会(2015年7月18日閲覧)
- ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016220.html ばらまつり
- ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016225.html 見沼通船堀閘門開閉実演
- ^ 与野停車場通り 第19回大正時代まつり(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年10月8日付、同年11月1日閲覧)
- ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016243.html 岩槻城址公園桜まつり
- ^ [2] 人形のまち岩槻まつり
- ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016238.html 与野夏祭り
- ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016237.html 大宮夏まつり
- ^ 踊る阿呆に見る阿呆〜第33回北浦和阿波おどり大会(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年8月27日付、同年11月1日閲覧)
- ^ JR東日本 各駅の乗車人員(2014年度)
参考文献
- 浦和市総務部行政資料室編 『図説 浦和のあゆみ』 1993年
- 財団法人日本地図センター 『地図で見るさいたま市の変遷』 2003年
- 有限会社平凡社地方資料センター編 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』 1993年
- 与野市総務部市史編さん室 『与野市史 通史編上巻』 1987年
- 与野市総務部市史編さん室編『与野の歴史』1988年
関連項目
外部リンク
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