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'''荘夷帝姫'''趙懿安([[1043年]] - [[1044年]])は、[[北宋]]の[[仁宗 (宋)|仁宗]]の第7皇女。
'''荘夷帝姫'''趙懿安(そういていき、[[1043年]] - [[1044年]])は、[[北宋]]の[[仁宗 (宋)|仁宗]]の第7皇女。


== 経歴 ==
== 経歴 ==

2015年4月20日 (月) 12:11時点における版

荘夷帝姫趙懿安(そういていき、1043年 - 1044年)は、北宋仁宗の第7皇女。

経歴

御侍馮氏(後に始平郡君、賢妃となった)の次女として生まれた。

慶暦4年(1044年)5月13日に出家し、崇因保佑大師の道号を賜られたが、翌14日に夭折した。隋国公主の位を追贈された。

嘉祐4年(1059年)12月に吳国公主の位を再追贈された。治平元年(1064年)6月、再従兄の英宗から燕国長公主の位を加贈された。元符3年(1100年)3月、徽宗から魯国大長公主の位を再加贈された。政和4年(1114年)12月、荘夷大長帝姫の位を再追贈された。

伝記資料

  • 『續資治通鑑長編』
  • 『宋会要輯稿』