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五段昇段は2012年3月6日付け。第70期C級2組順位戦10回戦(最終局)の[[阪口悟]]五段との対局に勝利して四段昇段後公式戦で通算100勝に到達したことに伴うもの。 |
五段昇段は2012年3月6日付け。第70期C級2組順位戦10回戦(最終局)の[[阪口悟]]五段との対局に勝利して四段昇段後公式戦で通算100勝に到達したことに伴うもの。 |
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第73期(2014年度)C級2組順位戦では、最終戦前の時点で[[中村亮介]]、[[岡崎洋]]に次ぎ5位につけていたが、最終戦で中村との直接対決を制し、岡崎も敗れたため、3位となりC級1組への昇級を決める。 |
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==人物== |
==人物== |
2015年3月12日 (木) 05:35時点における版
村田顕弘 五段 | |
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名前 | 村田顕弘 |
生年月日 | 1986年7月14日(37歳) |
プロ入り年月日 | 2007年10月1日(21歳) |
棋士番号 | 267 |
出身地 | 富山県魚津市 |
師匠 | 中田章道 |
段位 | 五段 |
棋士DB | 村田顕弘 |
2014年3月25日現在 |
村田 顕弘(むらた あきひろ、1986年7月14日 - )は、将棋棋士。中田章道門下。棋士番号は267。兵庫県尼崎市生まれ、富山県魚津市育ち。
棋歴
1998年小学6年で富山県出身の中田章道を師匠として、関西奨励会試験を受けたが不合格。しかし、翌1999年中学校1年で6級として奨励会入り。2001年に初段に昇段し、2004年前期から三段リーグで戦う。
2007年、中田の妻が四段入りを期待しながら6月に没したことに発奮し、同年秋にその弔いとなる四段昇段を果たした[1][2]。第41回三段リーグ(2007年度前期)での成績は15勝3敗(1位)。21歳でのプロ入りである。
初参加の第34期(2008年度)棋王戦の予選を勝ち上がり、本戦出場。同じく初参加の第67期(2008年度)C級2組順位戦では8勝2敗の好成績を挙げ、新四段4名の中で唯一の勝ち越し。また、2009年10月16日の竜王戦6組3位決定戦において、新人王戦優勝で波に乗る強敵・広瀬章人を破り、7連勝で5組へ昇級。デビューから6割台の年度勝率を連発し、糸谷哲郎、豊島将之、稲葉陽とともに「関西若手四天王」[3][4]と呼ばれるようになる。
第4回朝日杯将棋オープン戦(2010年 - 2011年)で予選突破。本戦1回戦で久保利明を破る。また、第59期(2011年度)王座戦で本戦進出(ベスト16)。
五段昇段は2012年3月6日付け。第70期C級2組順位戦10回戦(最終局)の阪口悟五段との対局に勝利して四段昇段後公式戦で通算100勝に到達したことに伴うもの。
第73期(2014年度)C級2組順位戦では、最終戦前の時点で中村亮介、岡崎洋に次ぎ5位につけていたが、最終戦で中村との直接対決を制し、岡崎も敗れたため、3位となりC級1組への昇級を決める。
人物
- 同じく将棋棋士の村田智弘と名前が似ているが、血縁関係はない。
- 生まれは尼崎市で、幼少時に魚津市に転居。奨励会入会当初は、魚津市から関西将棋会館まで通っていたが、高校1年時に再度尼崎市に転居。
- 師匠の中田同様、詰将棋作りを特技とし、専門誌「詰将棋パラダイス」への入選歴もある。また、詰将棋を解く方の「詰将棋解答選手権」にも何度か出場している。
棋風
居飛車・振り飛車両方の戦型を指しこなすオールラウンダータイプの棋士。
昇段履歴
- 1999年9月 6級 = 奨励会入会
- 2003年10月 三段 … 2004年度前期から三段リーグ参加
- 2007年10月1日 四段 = プロ入り(2007年度前期奨励会三段リーグで1位 = 15勝3敗)
- 2012年3月6日 五段 = 勝数規定(四段昇段後公式戦通算100勝)
主な成績
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
脚注
- ^ 産経新聞 2007年10月22日
- ^ 日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「村田顕弘・及川拓馬 新四段誕生のお知らせ」
- ^ 2010年2月13日放送の「囲碁・将棋ジャーナル」
- ^ 「羽生世代がもたらした、速さと若さの時代」(倉沢鉄也)WEBRONZA+社会・メディア - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)