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'''THE PINEAPPLE BOYS'''(パイナップルボーイズ)は、東京・青山のKIDS RADIO STATION の企画により生まれた、1980年代前半に活動した日本のロックバンド。メジャーデビュー後は主にサーフインスルメンタルを演奏した。
'''THE PINEAPPLE BOYS'''(パイナップルボーイズ)は、東京・青山のKIDS RADIO STATION の企画により生まれた、1980年代前半に活動した日本のロックバンド。メジャーデビュー後は主にサーフ&ホッロッドミュージックを演奏した。
== 概要 ==
== 概要 ==
音楽プロデューサー[[上野義美]]が立ち上げた,
音楽プロデューサー[[上野義美]]が立ち上げた
日本初のミニFM局「KIDS RADIO STATION(以下KIDS)」から最初にデビューしたアーティスト。以後、[[オレンジシスターズ]]、[[ココナッツボーイズ]]([[C-C-B]])、ユミ・飛鳥らがKIDS専属ミュージシャンとしてデビューしている。
日本初のミニFM局「KIDS RADIO STATION(以下KIDS)」から最初にデビューしたアーティスト。以後、[[オレンジシスターズ]]、[[ココナッツボーイズ]]([[C-C-B]])、ユミ・飛鳥らがKIDS専属ミュージシャンとしてデビューしている。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
=== デビュー前 ===
=== デビュー前 ===
1979年、キーボード冨澤が結成したバンド『WINNER』が前身。都内の実力派バンドから巧いプレイヤーをピックアップして結成した彼らの演奏力は高かった。結成当初からオリジナル楽曲のみで活動しており、[[アレンジ]]は[[TOTO (バンド)|TOTO]]の影響を強く受けていた。『WINNER』初期メンバーのギタリスト・金子文男は、その後『ZEUS』のギターとして[[浜田麻里]]のバックで活動している。
1979年、キーボード冨澤が結成したバンド『WINNER』が前身。都内の実力派バンドから巧いプレイヤーをピックアップして結成した彼らの演奏力は高かった。結成当初からオリジナル楽曲のみで活動しており、[[アレンジ]]は[[TOTO (バンド)|TOTO]]の影響を強く受けていた。『WINNER』初期メンバーのギタリスト・金子文男は、その後『ZEUS』のギターとして[[浜田麻里]]のバックで活動している。


1980年、ベースの恩田が加入。[[ヤマハポピュラーソングコンテスト]]東京都大会で演奏賞を受賞。直前にボーカリストが脱退し、急遽、冨澤が唄った。後にメンバーとなるギターの浜本は、『WINNER』のローディーを務めていた。
1980年、ベースの恩田が加入。[[ヤマハポピュラーソングコンテスト]]東京都大会で演奏賞を受賞。直前にボーカリストが脱退し、急遽、冨澤が唄った。後にメンバーとなるギターの浜本は、『WINNER』のローディーを務めていた。
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1982年、KIDSミュージシャンによるオムニバス・アルバム『RASPBERRY AVENUE』発売。収録曲とジングルのほぼ全て(ココナッツボーイズのスーパーボード以外)の演奏とコーラスを担当。
1982年、KIDSミュージシャンによるオムニバス・アルバム『RASPBERRY AVENUE』発売。収録曲とジングルのほぼ全て(ココナッツボーイズのスーパーボード以外)の演奏とコーラスを担当。


1983年、複数回のメンバーチェンジの末、セカンドギターの前岩がファーストギターに転向。セカンドギターには、アマチュア時代からローディーだった浜本が抜擢され、ムーンレコードから『FABULOUS! THE PINEAPPLE BOYS』をリリース、メジャーデビューを果たす。サウンドプロデュースは[[萩原健太]]。同じ事務所に所属していた[[陣内孝則]](元[[ロッカーズ]])のサポートバンドも半年ほど担当。陣内孝則&T-KIDSとして、ニューイヤーロックフェスティバル([[内田裕也]]主催、後のNew Years World Rock Festival」)に出演した。
1983年、ムーンレコードから『FABULOUS! THE PINEAPPLE BOYS』をリリース、メジャーデビューを果たす。サウンドプロデュースは[[萩原健太]]。同じ事務所に所属していた[[陣内孝則]](元[[ロッカーズ]])のサポートバンドも半年ほど担当。陣内孝則&T-KIDSとして、ニューイヤーロックフェスティバル([[内田裕也]]主催、後のNew Years World Rock Festival」)に出演した。


1984年、事務所を移籍。ドラマーも変わる。事務所移籍後、『BIG WAVE』をリリース。同名タイトルのアメリカ[[ヘラルド]]映画『[[BIG WAVE]]』のインストルメント・サウンド・トラックも担当。ボーカルトラックは[[山下達郎]]が担当。BIG WAVEのプロモーションツアー中、セカンドギターの浜本が内臓疾患で緊急入院。キャンセル不可だった[[文化放送]]の生放送ライブだけギター1本で行い、残りは全てキャンセルした。浜本の入院が長期に及ぶことが解り、事務所、レコード会社からメンバー差し替え案も出たが、バンマスの冨澤が活動停止を決断し、解散に至った。
1984年、事務所を移籍。ドラマーも変わる。事務所移籍後、『BIG WAVE』をリリース。同名タイトルのアメリカ[[ヘラルド]]映画『[[BIG WAVE]]』のインストルメント・サウンド・トラックも担当。ボーカルトラックは[[山下達郎]]が担当。BIG WAVEのプロモーションツアー中、セカンドギターの浜本が内臓疾患で緊急入院。キャンセル不可だった[[文化放送]]の生放送ライブだけギター1本で行い、残りは全てキャンセルした。浜本の入院が長期に及ぶことが解り、事務所、レコード会社からメンバー差し替え案も出たが、バンマスの冨澤が活動停止を決断し、解散に至った。

2014年11月22日 (土) 21:34時点における版

THE PINEAPPLE BOYS
パイナップルボーイズ
基本情報
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロックバンド
サーフ&ホットロッドミュージック
活動期間

1982年 - 1984年

2012年 -
レーベル MOON RECORDS
事務所 エプスタインミュージック - ADO
共同作業者 中村俊夫 萩原健太
メンバー 冨澤麻琴/キーボード(バンマス)
恩田正晴/ベース
青柳伸一/ドラム
旧メンバー 杉田和弘/ドラム

THE PINEAPPLE BOYS(パイナップルボーイズ)は、東京・青山のKIDS RADIO STATION の企画により生まれた、1980年代前半に活動した日本のロックバンド。メジャーデビュー後は主にサーフ&ホットロッドミュージックを演奏した。

概要

音楽プロデューサー上野義美が立ち上げた、 日本初のミニFM局「KIDS RADIO STATION(以下KIDS)」から最初にデビューしたアーティスト。以後、オレンジシスターズココナッツボーイズC-C-B)、ユミ・飛鳥らがKIDS専属ミュージシャンとしてデビューしている。

来歴

デビュー前

1979年、キーボード冨澤が結成したバンド『WINNER』が前身。都内の実力派バンドから巧いプレイヤーをピックアップして結成した彼らの演奏力は高かった。結成当初からオリジナル楽曲のみで活動しており、アレンジTOTOの影響を強く受けていた。『WINNER』初期メンバーのギタリスト・金子文男は、その後『ZEUS』のギターとして浜田麻里のバックで活動している。

1980年、ベースの恩田が加入。ヤマハポピュラーソングコンテスト東京都大会で演奏賞を受賞。直前にボーカリストが脱退し、急遽、冨澤が唄った。後にメンバーとなるギターの浜本は、『WINNER』のローディーを務めていた。

1981年、音楽プロデューサー・上野義美がKIDSを立ち上げ、タイアップ先となる楽器メーカー『グヤトーン東京サウンド)』とパイプのあったベースの恩田経由で参加のオファーがある。

デビュー後

1982年、KIDSミュージシャンによるオムニバス・アルバム『RASPBERRY AVENUE』発売。収録曲とジングルのほぼ全て(ココナッツボーイズのスーパーボード以外)の演奏とコーラスを担当。

1983年、ムーンレコードから『FABULOUS! THE PINEAPPLE BOYS』をリリース、メジャーデビューを果たす。サウンドプロデュースは萩原健太。同じ事務所に所属していた陣内孝則(元ロッカーズ)のサポートバンドも半年ほど担当。陣内孝則&T-KIDSとして、ニューイヤーロックフェスティバル(内田裕也主催、後のNew Years World Rock Festival」)に出演した。

1984年、事務所を移籍。ドラマーも変わる。事務所移籍後、『BIG WAVE』をリリース。同名タイトルのアメリカヘラルド映画『BIG WAVE』のインストルメント・サウンド・トラックも担当。ボーカルトラックは山下達郎が担当。BIG WAVEのプロモーションツアー中、セカンドギターの浜本が内臓疾患で緊急入院。キャンセル不可だった文化放送の生放送ライブだけギター1本で行い、残りは全てキャンセルした。浜本の入院が長期に及ぶことが解り、事務所、レコード会社からメンバー差し替え案も出たが、バンマスの冨澤が活動停止を決断し、解散に至った。

2012年、再結成。

2014年、このメンバーでの活動を無期限休止。

メンバー

解散前の最終メンバー

冨澤麻琴 - キーボード、作曲、編曲(バンマス)
恩田正晴 - ベース
浜本仁志 - 2ndギター
青柳伸一 - ドラム

元メンバー

杉田和弘 - ドラム

活動再開後のサポートメンバー

篠原祥紀 - 2ndギター
冨澤佑璃 - ドラム

活動再開後の最終メンバー

冨澤麻琴 - キーボード、作曲、編曲(バンマス)
恩田正晴 - ベース
篠原祥紀 - 2ndギター
冨澤佑璃 - ドラム

音楽性

パイナップルボーイズのサウンドは、ベンチャーズに代表されるサーフインストがベースになっている。しかしメンバー全員が生まれる前のサウンドであり、誰もサーフインストを聴いたことがなかったため、習得には相当の労力を要している。活動開始当初は、ギターの歪み禁止令、シンセ使用禁止令が出た。作曲に関しても、単純なコード4つ以内で楽曲を作れなど、かなり無茶な制約もあった。活動初期はグヤトーンが全面的に機材のサポートを行い、ギター、アンプ、各種エフェクターを提供した。キーボードはハモンド社からB-250が提供された。移籍した事務所(ADO・カシオペア等所属)では、比較的自由な音作りを許され、シンセやギターの歪みも解禁された。コードや編曲もモダンに変化し、フュージョン風の楽曲もあった。

エピソード

  • メンバー全員サーフィン経験が無い。
  • 冨澤は頻繁に陣内孝則の自宅(福生の米軍ハウス)を訪れ、彼の曲にコードを付け、アレンジを行っていた。
  • 事務所移籍の渦中、冨澤はココナッツボーイズ(後のC-C-B)への加入をプロデューサーから打診されていた。
  • ドラムの青柳は、パイナップル在籍中に「レベッカ」への参加を打診されていた。
  • 冨澤はTV番組制作会社に在籍中、松山千春「ナイトエンジェル」のPVをプロデュースしている。
  • 2012年11月に再結成したが、事務所等には所属していない。
  • 再結成後のドラムは、冨澤佑璃がサポートメンバーとして参加している。
  • 再結成後の2ndギターは、篠原祥紀がサポートメンバーとして参加している。
  • バンマス冨澤のスケジュール調整が困難となり、今年限りで無期限活動休止を決断。
  • 2014年11月9日、渋谷ルイードk2において一夜限りのワンマンライブを行い盛況のうち終了。
  • 上記ライブは、アートディレクター・Keef on Rolling KAZUが製作に係わり舞台監督も努める。
  • 上記ライブのドキュメンタリーDVDの製作を予定している。

ディスコグラフィー

アルバム

  • RASPBERRY AVENUE
  • FABULOUS! THE PINEAPPLE BOYS
  • BIG WAVE
  • RASPBERRY SOUND(RASPBERRY AVENUE remastering)

VTR

  • BIG WAVE (山下達郎/パイナップルボーイズ)/ヘラルド映画

DVD

  • BIG WAVE (山下達郎/パイナップルボーイズ)/ヘラルド映画

関連項目

カテゴリー


■ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・グループ)

■MOON RECORDS(ムーン・レコード)

■BIGWAVE