「ヨーゼフ・ハシッド」の版間の差分

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[[ポーランド]]の[[スヴァウキ]]に生まれる。幼い頃に母を亡くし、父に育てられる。10歳で[[ワルシャワ]]の[[ショパン音楽院]]に入学。[[1935年]]、11歳にしてワルシャワの[[ヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクール|ヘンリク・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール]]で名誉ディプロマ受賞。[[フリッツ・クライスラー]]からは、「世界的なヴァイオリンの逸材は100年に一度生まれるが、ヨーゼフ・ハシッドは200年に一度の逸材である」とまで絶賛された。
 
[[1938年]]、[[第二次世界大戦]]の戦禍を避けて父と共に[[ロンドン]]へ移住し、[[カール・フレッシュ]]に師事して録音を残す。[[1939年]]にはイギリスでデビューして大成功をおさめ、初の録音を行う。翌1940年には興行主ハロルド・ホルトと契約を結ぶ。しかし同じフレッシュ門下の令嬢との失恋が元で1941年3月の演奏会を最後に[[統合失調症]]を発し、[[ノーサンプトン]]の聖アンドリューズ病院に収容されて[[インシュリン・ショック療法]]などを受ける。一時は症状が改善して翌[[1942年]]には演奏活動を再開するが、同年11月に病状が悪化して[[エプソム]]のロンググローブ病院に強制入院させられ、[[1950年]][[10月20日]]に[[ロボトミー]]を受けた18日後に後遺症が元で死去。26歳没。
 
9つ(実際には8曲)の小品の名録音を遺した。
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