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'''拓跋孤'''(たくばつ こ、生没年不詳)は、[[中国]]の[[代 (五胡十六国)|代]]の[[王族]]。
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== 経歴 ==
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*『[[北史]]』巻15 列伝第3
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2014年10月12日 (日) 09:25時点における版

拓跋 孤(たくばつ こ、生没年不詳)は、中国王族

経歴

拓跋鬱律の四男として生まれた。329年烈帝前元年)、次兄の拓跋什翼犍後趙の人質として襄国におもむいた。338年(烈帝後2年)、長兄の拓跋翳槐が死去すると、大人の梁蓋らが拓跋屈を殺して拓跋孤を国君として推した。拓跋孤はより年長のものが立つべきであるとして、自らを訪れ、身代わりの人質になることを申し出て、拓跋什翼犍の返還を求めた。石虎はふたりを代に帰国させた。拓跋什翼犍が即位すると、国の半分を拓跋孤に与えて統治させた。後に死去した。北魏道武帝のとき、高涼王に追封され、諡は神武といった。

子に拓跋斤があったが、拓跋寔君の乱に加担し、長安で死去した。

伝記資料