「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の版間の差分

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小原は処刑直前、[[平塚八兵衛]]あてに「私は今度生まれるときは真人間になって生まれてきます。そう(平塚さんに)伝えてください」「ナスの漬物おいしゅうございました」と言い残した。この言葉は、当時[[府中警察署 (東京都)|府中警察署]]の「[[三億円事件]]」の特捜本部にいた平塚に、看守により電話で伝えられる。
 
死刑確定後、ある[[僧侶]]に[[短歌]]を勧められた小原は、同人誌『土偶』に[[福島誠一]]名義の[[ペンネーム]]で投稿。[[1980年]]に出版された歌集『昭和万葉集』(講談社)に小原の短歌が掲載され、3年後の[[1983年]]に『氷歌 - 吉展ちゃん事件から20年 犯人小原保の獄中歌集』(中央出版)が出版される。
 
平塚は[[1975年]]に[[退職]]した後、自分が逮捕した犯人で死刑となった者たちの墓参りに行ったが、小原の墓参りに行った際、彼が先祖代々の墓に入れてもらえず、その横の小さな盛り土がされただけの所に葬られていたことに愕然とし、盛り土に触れた後泣き崩れた。現在、墓の移転に伴って小原が葬られていた盛り土は崩され、遺骨は行方知れずとなっている。
また、教誨師によれば小原の親族は死刑確定後一度も面会に訪れなかったという。
 
=== 小原と短歌 ===
 
死刑確定後[[教誨師]]が小原の下へ慰めに訪れたが、小原は教誨師の慰めは受け入れようとはせず「自分は[[創価学会]]の信者だ!坊主どもを折伏して見せる」と豪語する始末だったという<ref>「講談社 ビジュアル版・人間昭和史 昭和の事件簿」 扇谷正造監修</ref><ref>アストラ 「あの事件を追いかけて」 大畑太郎 宮崎太郎</ref><ref>新潮社 「週刊新潮 04年・8月12・19日夏季特大号」 →「秘録『警視庁捜査一課』の75年 吉展ちゃん事件」</ref>。そのため「何か拠り所を持たせてやらなければ」ということで、教誨師が小原に勧めたのが短歌だった。小原の短歌は同人誌『土偶』主催者の指導により上達、朝日歌壇に選ばれるなど、その才能が世間に知られていくようになった。小原は[[福島誠一]]名義の[[ペンネーム]]で投稿。[[1980年]]に出版された歌集『昭和万葉集』(講談社)に小原の短歌が掲載され、3年後の[[1983年]]に『氷歌 - 吉展ちゃん事件から20年 犯人小原保の獄中歌集』(中央出版)が出版される。福島誠一の名前は「今度生まれ変わる時は愛する故郷で誠一筋に生きる人間に生まれ変わるのだ」という願いが込められていた。彼が投稿した短歌は370首にも及んでいる。
 
死刑前日に小原が詠んだ短歌は
* 怖れつつ想いをりしが今ここに 終るいのちはかく静かなる
* 世をあとにいま逝くわれに花びらを 降らすか窓の若き枇杷の木
* 静かなる笑みをたたえて晴ればれと いまわの見ずに写るわが顔
* 明日の日をひたすら前に打ちつづく 鼓動を胸に開きつつ眠る
この4首である<ref>講談社 「生き方の鑑 辞世のことば」 赤瀬川原平</ref>。
 
小原の死刑執行後吉展ちゃんの母親は彼の遺した歌を読み、「あの人がこんなきれいな気持ちになれた代償が、吉展の死だったとしたら、やはり私どもにとっては大きすぎる犠牲ですね。まあ、あの人がこんな人間になって死んでいったことは、せめてもの救いですけど・・・・天国で、吉展をかわいがってほしいですね」と語っている。
 
== 事件の影響 ==
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