「自鏡流」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Tutusode (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
'''自鏡流'''(じきょうりゅう)は、天和年間に多賀権内盛政が興した[[居合]]の流派。
'''自鏡流'''(じきょうりゅう)は、天和年間(1681-1683)に多賀権内盛政が興した[[居合]]の流派。


多賀は[[新田宮流]]の和田平助の高弟で[[水戸藩]]士だったが、脱藩して江戸に移り住み自鏡流を開いた。
多賀は[[新田宮流]]の和田平助の高弟で[[水戸藩]]士だったが、脱藩して江戸に移り住み自鏡流を開いた。

2014年9月26日 (金) 23:41時点における版

自鏡流(じきょうりゅう)は、天和年間(1681-1683)に多賀権内盛政が興した居合の流派。

多賀は新田宮流の和田平助の高弟で水戸藩士だったが、脱藩して江戸に移り住み自鏡流を開いた。 江戸に師範家の山村家があり、山村家は土浦藩の江戸藩邸用人の家柄だったことから、自鏡流も土浦藩に広まり明治維新まで江戸と土浦で稽古された。 江戸後期には、姫路藩士の高橋八助が江戸で山村司を訪ねて学んだことから、以後、姫路藩にも伝わった。

参考文献

  • 『無外流兵法譚』
  • 『武芸流派大事典』(綿谷雪)
  • 『土浦藩の先生達 武館を中心として』(石塚真)

外部リンク