「ダハブ」の版間の差分

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'''ダハブ'''{{lang-ar|دهب}}、Dahab)は、[[エジプト]]東部、[[シナイ半島]]の東部に位置する村。[[リゾート]]地および[[ダイビング]]スポットとして名高く、毎年多くの観光客が訪れる。以前は[[ベドウィン]]の住む小さな漁村に過ぎなかったが、[[シャルム・エル・シェイク]]の北東80kmと手ごろな距離にあり、[[6日間戦争]]によってシナイ半島が[[イスラエル]]に占領されると観光開発がすすめられた。[[1982年]]に[[イスラエル・エジプト平和条約]]によってシナイ半島がエジプトに返還され平和が訪れると、外国資本が流入し開発がさらに進んだ。


ダハブは3つの地区に分かれている。一番北が旧来のダハブであるベドウィン村アサーラを含むMasbat地区で、[[バックパッカー]]向けの[[キャンプ]]や[[レストラン]]が多い。その南のMashrabaはやや大きな[[ホテル]]が林立する地区である。最も南西にあるLaguna地区は[[ウィンドサーフィン]]のメッカとなっている。
ダハブは3つの地区に分かれている。一番北が旧来のダハブであるベドウィン村アサーラを含むMasbat地区で、[[バックパッカー]]向けの[[キャンプ]]や[[レストラン]]が多い。その南のMashrabaはやや大きな[[ホテル]]が林立する地区である。最も南西にあるLaguna地区は[[ウィンドサーフィン]]のメッカとなっている。
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2014年9月16日 (火) 12:09時点における版

دهب
Dahab shoreline
Dahab shoreline
دهبの位置(シナイ半島内)
دهب
دهب
Location in the Sinai Peninsular
北緯28度29分35秒 東経34度30分17秒 / 北緯28.49306度 東経34.50472度 / 28.49306; 34.50472
エジプトの旗 エジプト
南シナイ県
等時帯 UTC+2 (EST)

ダハブアラビア語: دهب‎、Dahab)は、エジプト東部、シナイ半島の東部に位置する村。リゾート地およびダイビングスポットとして名高く、毎年多くの観光客が訪れる。以前はベドウィンの住む小さな漁村に過ぎなかったが、シャルム・エル・シェイクの北東80kmと手ごろな距離にあり、6日間戦争によってシナイ半島がイスラエルに占領されると観光開発がすすめられた。1982年イスラエル・エジプト平和条約によってシナイ半島がエジプトに返還され平和が訪れると、外国資本が流入し開発がさらに進んだ。

ダハブは3つの地区に分かれている。一番北が旧来のダハブであるベドウィン村アサーラを含むMasbat地区で、バックパッカー向けのキャンプレストランが多い。その南のMashrabaはやや大きなホテルが林立する地区である。最も南西にあるLaguna地区はウィンドサーフィンのメッカとなっている。

ダハブ観光で最も人気のあるのはマリンスポーツであり、とくにウィンドサーフィンとダイビングでは世界的な名声を得ている。シュノーケリングを楽しむ観光客も多い。陸上では、ラクダに乗ったり、ジープの運転が楽しめる。またここからシナイ山へは車で2時間であり、世界遺産である聖カタリナ修道院へ向かう観光客も多い。

いっぽうで、ビーチの女性をはじめとする欧米観光客の流入は地域の文化とはなじんでいるとはいえない.[1]

ダハブの気候は非常に乾燥しており、晴天が続く。この気候が観光地としての発展の一因となった。夏は非常に暑いが、冬、特に夜間は穏やかな気候である。

脚注

  1. ^ Contested landscapes : movement, exile and place ; [World Archaeological Congress ... Cape Town, South Africa]. Oxford [u.a.]: Berg. (2001). ISBN 1859734677