「青山景通」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
 
1870年(明治3年)[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]に行われた国学四大人の霊祭を[[荻原嚴雄]]、[[三輪田元綱]]等と共に行う。王政復古期の改革で子の直道とともに重要な役割を担った。『経済総論』の写本も行った。
== 廃仏毀釈 ==
維新直後、[[平田篤胤|平田]]派[[国学]]の影響を受けた藩政改革が図られ、青山景通、直道の親子らが先頭に立って、領内で徹底した[[廃仏毀釈]]が実行された([[東白川村]]の蟠龍寺などの例がある)。[[明治]]3年([[1870年]])9月27日、苗木藩庁は、支配地一同が神葬改宗したので、管内の15か寺の廃寺と、その寺僧たちに還俗を申し付けたことを、弁官(中央役人)に届けた。
*恵那郡
**苗木村 雲林寺・仏好寺
**福岡村 片岡寺 
**[[蛭川村]] 宝林寺 
**坂下村 長昌寺
**高山村 岩松寺
**中野方村 心観寺
**河合村 竜現寺
*加茂郡
**飯地村 洞泉寺
**黒川村 正法寺   
**赤河村 昌寿寺
**神土村 常楽寺
**姫栗村 長増寺
**犬地村 積善寺
**切井村 龍気寺 
この届け書によると、廃寺は15か寺となっているが、実際には苗木の雲林寺の[[塔頭]]の正岳院や、加茂郡大沢村の蟠龍寺も廃寺となっている。
 
== 生涯 ==
匿名利用者

案内メニュー