「原種良」の版間の差分

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'''原 種良'''(はら たねよし )は、日本の武士。[[黒田二十四騎]]の一人<ref>{{cite web|url=http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/425/|title=黒田二十四騎展4 官兵衛を支えた男たち - 福岡市博物館|accessdate=2014-07-07}}</ref>。伊予守

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==脚注==
==脚注==

2014年7月13日 (日) 05:50時点における版

原 種良(はら たねよし )は、日本の武士。黒田二十四騎の一人[1]。伊予守。

出生に関しては研究が進んでおらず、豊前の国、宝珠山に伝承が残り、そこが出身地とされている。[要出典]

豊臣秀吉が九州を平定して後、黒田官兵衛が豊前に秀吉から領地を与えられた際、家臣となった[2]

朝鮮の役に従軍、関ヶ原の戦いでは、豊前安岐城の戦いで功を上げ、加増された[2]

官兵衛の死後は、永く長政に仕える。[要出典]

福岡市博多区順心寺にお墓がある[2]

連歌をたしなみ、寡黙で実直な人物であった[3]

脚注

  1. ^ 黒田二十四騎展4 官兵衛を支えた男たち - 福岡市博物館”. 2014年7月7日閲覧。
  2. ^ a b c 黒田二十四騎ガイド”. kuroda24.com. 2014年7月13日閲覧。
  3. ^ 第24話「原弥左衛門種良&竹森新右衛門次貞」”. RKB毎日放送. 2014年7月13日閲覧。