「サッカーオーストリア代表」の版間の差分
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|3||[[ゲルハルト・ハナッピ]]||93||1948-1962 |
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|5||[[フリードリッヒ・コンシリア]]||84||1970-1985 |
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2014年1月23日 (木) 15:02時点における版
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国または地域 | オーストリア | |||
協会 | オーストリアサッカー協会 | |||
監督 | マルケル・コラー | |||
最多出場選手 | アンドレアス・ヘルツォーク(103試合) | |||
最多得点選手 | アントン・ポルスター(44得点) | |||
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初の国際試合 |
1902年10月12日対ハンガリー 5-0 | |||
最大差勝利試合 |
1977年4月30日対マルタ 9-0 | |||
最大差敗戦試合 |
1908年6月8日対イングランド 1-11 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 7回(初出場は1934) | |||
最高成績 | 3位(1954) | |||
UEFA欧州選手権 | ||||
出場回数 | 1回 | |||
最高成績 | グループリーグ敗退(2008) | |||
サッカーオーストリア代表(Österreichische Fußballnationalmannschaft)はオーストリアサッカー協会(ÖFB) によって編成されるオーストリアのサッカーのナショナルチームである。
歴史
誕生
サッカーオーストリア代表が初めて編成されたのは、オーストリア=ハンガリー帝国末期の1902年である。この年に初の国際試合をハンガリーとの間で行っている。このことからも分かるとおり、オーストリア=ハンガリーで単一の協会、ナショナルチームは結成されず、この時点でのオーストリア代表は、オーストリア・ハンガリー帝国内のオーストリア地域(オーストリア帝冠領)を代表するものであった。
なお、このオーストリア地域にはボヘミアやモラヴィアといった現在のチェコに相当する地域の他、クライン州(現在のスロベニア)、ポーランドの一部を含んでいる。1903年にはボヘミア代表がハンガリー代表と試合を行っており、オーストリア内部でも統一性が保たれていたわけではない。
第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリーは分裂し、後継国家のナショナルチームとしてチェコスロバキア代表、ポーランド代表が誕生した。またオーストリア代表は、現在までとほぼ同じ地域を代表するナショナルチームとなった。
ワールドカップイタリア大会(1934年)
大戦間期、特に1930年代前半においてオーストリアはヴンダーチームと呼ばれ世界最強チームの一角とみなされていた(ただしイングランドが国際大会に登場しない限りにおいてである)。1934年のワールドカップイタリア大会は、ベニート・ムッソリーニが極めてファシストらしいやり方で大会を演出し、イタリアを優勝させた大会として名高いが、ヴンダーチームはイタリアに準決勝で敗れて4位に終わった。
ワールドカップフランス大会(1938年)
1938年のフランス大会でも、イタリアへの対抗馬としてオーストリアに対する期待感は非常に高いものがあった。
ところがワールドカップの同年に、ナチス・ドイツによりオーストリアがドイツに併合(アンシュルス)されたため、オーストリア代表は出場権を失った。そして、アドルフ・ヒトラーは元オーストリア代表の面々に対してドイツ代表に加わる事を強いた。オーストリアに代わって俄かにドイツが優勝候補に祭り上げられたが、選手のモチベーションは上がらず、ドイツは初戦で敗退した。
現在
EURO 2008では、スイスと共に開催国として出場したが、グループBでは健闘したものの3位で決勝トーナメント進出を逃した。大会後、チェコを指揮していたカレル・ブリュックナーが監督に就任したが、フランス戦の劇的な勝利以降、勝ちなしの不振で辞任。ディートマー・コンスタンティーニが新監督として就任した。
FIFAワールドカップの成績
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1930 | 不参加 | ||||||
1934 | 4位 | 5 | 4 | 0 | 1 | 27 | 10 |
1938 | 棄権 | ||||||
1950 | |||||||
1954 | 3位 | 5 | 4 | 0 | 1 | 17 | 12 |
1958 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 7 | 12 |
1962 | 棄権 | ||||||
1966 | 予選敗退 | ||||||
1970 | |||||||
1974 | |||||||
1978 | ベスト8 | 6 | 3 | 0 | 3 | 7 | 10 |
1982 | ベスト8 | 5 | 2 | 1 | 2 | 5 | 4 |
1986 | 予選敗退 | ||||||
1990 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3 |
1994 | 予選敗退 | ||||||
1998 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 4 |
2002 | 予選敗退 | ||||||
2006 | |||||||
2010 | |||||||
2014 | |||||||
合計 | 出場7回 | 29 | 12 | 4 | 13 | 43 | 47 |
UEFA欧州選手権の成績
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1976 | 予選敗退 | ||||||
1964 | |||||||
1968 | |||||||
1972 | |||||||
1976 | |||||||
1980 | |||||||
1984 | |||||||
1988 | |||||||
1992 | |||||||
1996 | |||||||
2000 | |||||||
2004 | |||||||
2008 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 3 |
2012 | 予選敗退 | ||||||
合計 | 出場1回 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 3 |
歴代監督
- ヨーゼフ・ヒッケルスベルガー 2006-2008
- カレル・ブリュックナー 2008
- ディートマー・コンスタンティーニ 2008-2011
- ウィリー・ルッテンシュタイナー 2011
- マルケル・コラー 2011-
選手
キャップ
位 | 名前 | キャップ数 | 期間 |
---|---|---|---|
1 | アンドレアス・ヘルツォーク | 102 | 1988-2003 |
2 | アントン・ポルスター | 95 | 1982-2000 |
3 | ゲルハルト・ハナッピ | 93 | 1948-1962 |
4 | カール・コラー | 86 | 1952-1965 |
5 | フリードリッヒ・コンシリア | 84 | 1970-1985 |
5 | ブルーノ・ペッツァイ | 84 | 1975-1990 |
得点
位 | 名前 | 得点数 | キャップ数 | 期間 |
---|---|---|---|---|
1 | アントン・ポルスター | 44 | 95 | 1982-2000 |
2 | ハンス・クランクル | 34 | 69 | 1973-1985 |
3 | ハンス・ホルヴァート | 29 | 46 | 1924-1934 |
4 | エーリッヒ・ホッフ | 28 | 37 | 1957-1969 |
5 | アントン・シャール | 27 | 28 | 1927-1934 |