「アンドリュー・ジョンソン」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
テンプレート、本文改変
m (→‎弾劾: link)
(テンプレート、本文改変)
{{大統領
{{Infobox officeholder
|name人名=アンドリュー・ジョンソン
|各国語表記={{lang|en|Andrew Johnson}}
|nationality={{USA}}
|image画像=Andrew Johnson photo portrait head and shoulders, c1870-1880-Edit1.jpg
|imagesize画像サイズ=250px
|キャプション=
|order1=[[歴代アメリカ合衆国大統領の一覧|第17代]] [[アメリカ合衆国大統領]]
|国名={{USA1865}}
|vicepresident1=''空席''
|order1代数=[[歴代アメリカ合衆国大統領の一覧|第17代]] [[アメリカ合衆国大統領]]
|term_start1=1865年4月15日
|office2職名=第16代 [[アメリカ合衆国大統領|大統領]]
|term_end1=1869年3月4日
|term_start1就任日=[[1865年]][[4月15日]]
|predecessor1=[[エイブラハム・リンカーン]]
|term_end1退任日=[[1869年]][[3月4日]]
|successor1=[[ユリシーズ・グラント]]
|国名2={{USA1863}}
|office2=第16代 [[アメリカ合衆国副大統領]]
|代数2=第16
|term_start2=1865年3月4日
|職名2=[[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]]
|term_end2=1865年4月15日
|term_start2就任日2=[[1865年]][[3月4日]]
|president2=[[エイブラハム・リンカーン]]
|退任日2=[[4月15日]]
|predecessor2=[[ハンニバル・ハムリン]]
|successor2元首=[[スカハムコルファクスリンカーン]]
|office3国名3=[[テネシー州知事|テネシー州軍政長官]]
|代数3=
|term_start3=1862年3月12日
|title6職名3=[[テネシー州知事|軍政長官]]
|term_end3=1865年3月4日
|term_start3就任日3=[[1862年]][[3月12日]]
|appointed3=[[エイブラハム・リンカーン]]
|term_end2退任日3=[[1865年4]][[3154]]
|predecessor3=[[アイシャム・G・ハリス]]
|国名4={{USA1865}}
|successor3=[[エドワード・イースト]](代行)
|代数4=
|jr/sr4職名4=連邦上院議員
|state4=[[テネシー州]]
|term_start4就任日4=[[1857年]][[10月8日]]
|term_end4退任日4=[[1862年]][[3月4日]]
|term_end5就任日5=[[1875年7]][[3314]]
|preceded4=[[ジェームズ・C・ジョーンズ]]
|退任日5=[[7月31日]]
|succeeded4=[[デヴィッド・T・パターソン]]
|term_start5出生日=1875{{生34と年齢|1808|12|29|no}}
|birth_place生地={{USA1795}}、[[ノースカロライナ州]][[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]
|term_end5=1875年7月31日
|死亡日={{死亡年月日と没年齢|1808|12|29|1875|7|31}}
|preceded5=[[ウィリアム・ガナウェイ・ブラウンロー|ウィリアム・G・ブラウンロー]]
|death_place没地={{USA1865}}、[[テネシー州]][[エリザベストン]]
|succeeded5=[[デイヴィッド・マッケンドリー・キー (郵政長官)|デヴィッド・M・キー]]
|spouse配偶者=[[イライザ・マカーデル・ジョンソン]]
|order6=第17代
|party政党=[[民主党 (アメリカ)|民主党]]<br/>[[国民統一党 (アメリカ)|国民統一党]]
|title6=[[テネシー州知事]]
|signatureサイン=Andrew Johnson Signature.svg
|term_start6=1853年10月17日
|term_end6=1857年11月3日
|predecessor6=[[ウィリアム・B・キャンベル]]
|successor6=[[アイシャム・G・ハリス]]
|office7=[[アメリカ合衆国下院|アメリカ合衆国下院議員]]<br />[[テネシー州]]第1選挙区選出
|term_start7=1843年3月4日
|term_end7=1853年3月3日
|predecessor7=[[トーマス・ディケンズ・アーノルド|トーマス・D・アーノルド]]
|successor7=[[ブルッキンズ・キャンベル]]
|birth_date={{birth date|mf=yes|1808|12|29}}
|birth_place=[[ノースカロライナ州]][[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]
|death_date={{death date and age|mf=yes|1875|7|31|1808|12|29}}
|death_place=[[テネシー州]][[エリザベストン]]
|spouse=[[イライザ・マカーデル・ジョンソン]]
|children=マーサ・ジョンソン<br/>チャールズ・ジョンソン<br/>メアリー・ジョンソン<br/>ロバート・ジョンソン<br/>アンドリュー・ジョンソン・ジュニア
|occupation=洋服屋
|party=[[民主党 (アメリカ)|民主党]]<br/>[[国民統一党 (アメリカ)|国民統一党]]
|signature=Andrew Johnson Signature.svg
|signature_alt=Cursive signature in ink
|religion=無宗教または宗派不特定のクリスチャン<ref>{{cite web |url = http://millercenter.org/academic/americanpresident/johnson/essays/biography/7 |title = American President: Andrew Johnson: Family Life |publisher = Miller Center of Public Affairs at the University of Virginia |accessdate = 2009-05-26}}</ref><ref>{{cite book |title=The Age of Hate: Andrew Johnson And The Radicals |url=http://www.questia.com/PM.qst?a=o&d=14804076 |first=George Fort |last=Milton |publisher=Coward-McCann |year=1930 |pages=790 |page=80 |oclc=739916 |isbn=1417916583 |location=New York |quote=As for my religion, it is the doctrine of the Bible, as taught and practiced by Jesus Christ.}}</ref>
}}
'''アンドリュー・ジョンソン'''('''{{lang-en-short|Andrew Johnson}}''', [[1808年]][[12月29日]] - [[1875年]][[7月31日]])は、[[アメリカ合衆国]]の第16代[[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]]および第17代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]。[[エイブラハム・リンカーン|リンカーン]]大統領の暗殺に続いてジョンソンは[[南北戦争]]後の4年間、合衆国の[[レコンストラクション]]を統括した。[[オールドサウス|ホワイトサウス]]を支持する立場を取ったジョンソンは[[共和党 (アメリカ)|共和党]]からの激しい政治攻勢を受け、弾劾訴追を受けることとなった。
 
南部11州の脱退時点で、ジョンソンは脱退したテネシ-州選出の上院議員であったが、脱退反対論の強かった{{仮リンク|グリーンビル (テネシー州)|en|Greeneville, Tennessee|label=グリーンビル}}出身であった。ユニオニストとして彼は、辞職しなかった唯一の南部出身上院議員であった。彼は最も著名な南部出身の[[:w:en:War Democrats|ウォー・デモクラット]]となり、[[南北戦争]]の間、リンカーンの軍事政策を支持した。1862年にリンカーンは[[テネシー州知事|テネシー州軍政長官]]にジョンソンを任命した。ジョンソンは反乱への対処とレコンストラクションへの移行を始めるのに精力的に活動した。
 
ジョンソンは1864年に{{仮リンク|国民統一党 (アメリカ)|en|National Union Party (United States)|label=国民統一党}}の副大統領候補に指名された。彼はリンカーンと共に1864年11月に選挙に勝利し、1865年3月4日に副大統領に就任した。1865年4月15日にリンカーンが暗殺されると、ジョンソンは大統領職を継いだ。
 
== 生い立ち==
アンドリュー・ジョンソンは1808年12月29日にジェイコブ・ジョンソン(1778年 - 1812年)およびメアリー・マクドノー(1783年 - 1856年)の息子として[[ノースカロライナ州]][[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]で生まれた。父親のジェイコブはアンドリューが3歳頃に死去し、一家は貧困の中に残された。母親は家計を支えるため機織りの仕事を行い、後に再婚した。母親はアンドリューが10歳か14歳の時に洋服屋へ奉公に行かせた<ref>14 according to ''Britannica'', 10 according to Karin L Zipf</ref>。1820年代に彼は[[サウスカロライナ州]]{{仮リンク|ローレンス (サウスカロライナ州)|en|Laurens, South Carolina|label=ローレンス}}の仕立屋で働いた<ref>[http://www.hmdb.org/marker.asp?MarkerID=10133 Laurens Historic District historical marker]</ref>。貧しい家庭のためジョンソンは正式の教育を受けず、独学で読み書きを学んだ<ref name="Britanica1">[http://www.britannica.com/eb/article-9043849/Andrew-Johnson 'Andrew Johnson'], [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>。
 
[[1826年]]、16歳もしくは17歳で見習いを終え、兄弟と共に[[テネシー州]]{{仮リンク|グリーンビル (テネシー州)|en|Greeneville, Tennessee|label=グリーンビル}}へ移り住んだ。同地で洋服屋の従業員として働く<ref name="Britanica1"/><ref>Karin L Zipf. ''Labor Of Innocents: Forced Apprenticeship in North Carolina, 1715–1919'' (2005) pp 8–9</ref> 。1827年、19歳のジョンソンは17歳のイライザ・マカーデルと結婚した。1828年から52年までの間に夫妻は5人の子供をもうけた。:マーサ(1828年生)、チャールズ(1830年生)、メアリー(1832年生)、ロバート(1834年生)、アンドリュー・ジュニア(1852年生)<ref name="timeline">{{cite web |url=http://ajmuseum.tusculum.edu/?page_id=6|title=The Andrew Johnson Collection|archiveurl=http://web.archive.org/web/20070607123406/http://ajmuseum.tusculum.edu/ajcollect.html |archivedate=2007-06-07|accessdate=2011-01-17}} [http://www2.tusculum.edu/ajmuseum/wp-content/uploads/2008/05/timeline_master.pdf Timeline of President Andrew Johnson's Life (PDF)] from the Web site of the president [http://ajmuseum.tusculum.edu/ Andrew Johnson Museum and Library] at Tusculum College</ref>。イライザは基礎的な代数までの計算をジョンソンに教え、彼の読み書きと作文を改善するために家庭教師を行った<ref name="Britanica1"/>。

案内メニュー