「林田繁和」の版間の差分

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== エピソード ==
== エピソード ==
*頭頂部を立たせたツンツンしたヘアスタイルが特徴。このヘアスタイルは入社以来頑として変えていない。
*近年はラジオの出番は少なかった。『[[報道センターNBC]]』降板から『[[あっ!ぷる]]』着任までの間、昼ワイドのレギュラーを持っていた。2012年春の改編からラジオ中心の活動となる。
*近年はラジオの出番は少なかった。『[[報道センターNBC]]』降板から『[[あっ!ぷる]]』着任までの間、昼ワイドのレギュラーを持っていた。2012年春の改編からラジオ中心の活動となる。
*1990年代、全国のラジオ局は[[電リク]]を廃止してメール・ファックスリクエストに方針転換したが、電リク番組を担当していた林田アナもこの転換によって「最後の電リクパーソナリティ」になった。
*1990年代、全国のラジオ局は[[電リク]]を廃止してメール・ファックスリクエストに方針転換したが、電リク番組を担当していた林田アナもこの転換によって「最後の電リクパーソナリティ」になった。
*トークで笑わせるよりも、似てない物まねを罰ゲーム的に披露する滑り芸や、あらかじめ脚本を練ったコントで笑いを呼ぶ傾向がある。『[[満腹ワイド ラジDONぶり]]』パーソナリティ時代は特に顕著で、パートナー[[佐々野宏美]]との罰ゲーム合戦などが例として挙げられる。
*[[2002年]]には[[村山仁志]]アナと林田アナの企画・出演による「トーキングセッション男子アナ天国」を開催。同年秋にはNBCアナウンサー総出のイベント「アナアナ大作戦」を開催。NBCの名物イベントとなっている。しかしイベントが大きくなるにつれて、林田アナは制作にかかわる時間が確保しづらくなり、村山アナ主導に傾きつつある。[[2004年]]秋に「男子アナ完結篇(仮)」として完結すると言っていたが、結局は2011年まで続いた。
*[[2002年]]には[[村山仁志]]アナと林田アナの企画・出演による「トーキングセッション男子アナ天国」を開催。同年秋にはNBCアナウンサー総出のイベント「アナアナ大作戦」を開催。NBCの名物イベントとなっている。しかしイベントが大きくなるにつれて、林田アナは制作にかかわる時間が確保しづらくなり、村山アナ主導に傾きつつある。[[2004年]]秋に「男子アナ完結篇(仮)」として完結すると言っていたが、結局は2011年まで続いた。
**年代が近い村山アナとは馬が合い、親が転勤族で長崎の[[クロスネット局|クロスネット]]時代の記憶が少ない村山アナにとって、生粋の長崎育ちの林田アナは『[[想い出の花束]]』の情報源である。林田アナも『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』恒例の“バードミサイル発射許可を巡る健とジョーの口論”をたびたびラジオ内で語っている。
**年代が近い村山アナとは馬が合い、親が転勤族で長崎の[[クロスネット局|クロスネット]]時代の記憶が少ない村山アナにとって、生粋の長崎育ちの林田アナは『[[想い出の花束]]』の情報源である。林田アナも『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』恒例の“バードミサイル発射許可を巡る健とジョーの口論”をたびたびラジオ内で語っている。

2013年10月4日 (金) 13:03時点における版

林田 繁和(はやしだ しげかず、1966年10月27日 - )は、NBC長崎放送アナウンサー長崎県長崎市出身。長崎県立長崎東高等学校長崎大学卒業後の1991年、NBCに入社。

担当番組

現在

ラジオ

18:00-18:10 なお、NBCラジオ佐賀では、月曜-木曜 の同時間帯)

過去

テレビ
ラジオ
  • 電リクランド恵子のサンデーコースター
  • 林田君のRing!Deng!電リクリリンのリン!
  • 林田君の向こう三軒両隣り
  • 満腹ワイド ラジDONぶり

エピソード

  • 近年はラジオの出番は少なかった。『報道センターNBC』降板から『あっ!ぷる』着任までの間、昼ワイドのレギュラーを持っていた。2012年春の改編からラジオ中心の活動となる。
  • 1990年代、全国のラジオ局は電リクを廃止してメール・ファックスリクエストに方針転換したが、電リク番組を担当していた林田アナもこの転換によって「最後の電リクパーソナリティ」になった。
  • 2002年には村山仁志アナと林田アナの企画・出演による「トーキングセッション男子アナ天国」を開催。同年秋にはNBCアナウンサー総出のイベント「アナアナ大作戦」を開催。NBCの名物イベントとなっている。しかしイベントが大きくなるにつれて、林田アナは制作にかかわる時間が確保しづらくなり、村山アナ主導に傾きつつある。2004年秋に「男子アナ完結篇(仮)」として完結すると言っていたが、結局は2011年まで続いた。
    • 年代が近い村山アナとは馬が合い、親が転勤族で長崎のクロスネット時代の記憶が少ない村山アナにとって、生粋の長崎育ちの林田アナは『想い出の花束』の情報源である。林田アナも『科学忍者隊ガッチャマン』恒例の“バードミサイル発射許可を巡る健とジョーの口論”をたびたびラジオ内で語っている。
    • 村山アナとのアニメ談義は、2009年4月開始の『きかせられないラジオ』にて聞くことができる(NBCのポッドキャストにて、全編配信中)。
  • 2010年には、JNN系列で優秀なアナウンサーに与えられるアノンシスト賞のテレビフリートーク部門最優秀賞並びに大賞(グランダ・プレミオ)を受賞[1]2011年にはラジオフリートーク部門最優秀賞(『きかせられないラジオ』)とテレビフリートーク部門優秀賞(『あっ!ぷる』)をダブル受賞する。
  • 長崎大学落語研究会OB[2]であり、「長楽亭凡太」の名前で高座に上がることもある。長崎あざみ落語会のメンバーでもある。落語の実力は高く、2012年の第4回社会人落語日本一決定戦で3位に入賞した。

脚注

  1. ^ 長崎放送番組審議会 第508回
  2. ^ 長崎大学落語研究会「ENTER」→「データベース」→「系図」の第14代で確認できる。

外部リンク

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