「市川團十郎」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
27行目: 27行目:
: 初代團十郎の父。祖先は[[甲州]]武士の出身で[[北条家]]の家臣とされ、北条家の滅亡後は[[下総国]]で[[郷士]]となったとする説があるが明確ではない。重蔵の代に土地を処分し江戸へ出た 以上市川家公式サイトより要約(住所は和泉町とも)。面疵(つらきず)の重蔵、菰(こも)の重蔵の異名をもつ。重蔵が[[非人]]出身とする説もあり、そこから菰(=[[乞食]])と呼ばれたのだともいう。--><!-- 本項は歌舞伎の「市川團十郎」の名跡について。初代の父は歌舞伎役者でも團十郎でもないので、割愛するべきかと。-->
: 初代團十郎の父。祖先は[[甲州]]武士の出身で[[北条家]]の家臣とされ、北条家の滅亡後は[[下総国]]で[[郷士]]となったとする説があるが明確ではない。重蔵の代に土地を処分し江戸へ出た 以上市川家公式サイトより要約(住所は和泉町とも)。面疵(つらきず)の重蔵、菰(こも)の重蔵の異名をもつ。重蔵が[[非人]]出身とする説もあり、そこから菰(=[[乞食]])と呼ばれたのだともいう。--><!-- 本項は歌舞伎の「市川團十郎」の名跡について。初代の父は歌舞伎役者でも團十郎でもないので、割愛するべきかと。-->
* [[市川團十郎 (初代)|初代 市川團十郎]]
* [[市川團十郎 (初代)|初代 市川團十郎]]
** 役者堀越重蔵の長男、1660–1704。[[立役|荒事]]芸を創始。<!--作者名[[三升屋兵庫]]。-->
** 役者堀越重蔵の長男、1660–1704。<!--作者名[[三升屋兵庫]]。-->
** 初代[[市川海老蔵]] → 初代市川團十郎
** 初代[[市川海老蔵]] → 初代市川團十郎
** [[立役|荒事]]芸を創始。
* [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]
* [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]
** 初代の長男、1688–1758。
** 初代の長男、1688–1758。
** 初代[[市川九蔵]] → 二代目市川團十郎 → 二代目市川海老蔵<!--[[穢多頭弾左衛門]]の支配から脱却する。-->
** 初代[[市川九蔵]] → 二代目市川團十郎 → 二代目市川海老蔵<!--[[穢多頭弾左衛門]]の支配から脱却する。-->
** [[荒事]]芸の完成。[[助六]]の元になった演目と[[毛抜 (歌舞伎)|毛抜]]初演。
* [[市川團十郎 (3代目)|三代目 市川團十郎]]
* [[市川團十郎 (3代目)|三代目 市川團十郎]]
** 二代目の養子、1721–1742。実父は高弟の[[三升屋助十郎]]。
** 二代目の養子、1721–1742。実父は高弟の[[三升屋助十郎]]。
** 初代市川升五郎 → 三代目市川團十郎
** 初代市川升五郎 → 三代目市川團十郎
** 将来を嘱望されていたが22歳で病死。
* [[市川團十郎 (4代目)|四代目 市川團十郎]]
* [[市川團十郎 (4代目)|四代目 市川團十郎]]
** 二代目の養子(あるいは実子)、1711–1778。実父は[[芝居茶屋]]の和泉屋勘十郎、あるいは二代目。
** 二代目の養子(あるいは実子)、1711–1778。実父は[[芝居茶屋]]の和泉屋勘十郎、あるいは二代目。
42行目: 45行目:
** 三代目松本幸四郎 → 五代目市川團十郎 → 三代目松本幸四郎 → [[市川蝦蔵]] → 成田屋七左衛門(隠居名)→ 初代[[市川白猿]](舞台復帰後)
** 三代目松本幸四郎 → 五代目市川團十郎 → 三代目松本幸四郎 → [[市川蝦蔵]] → 成田屋七左衛門(隠居名)→ 初代[[市川白猿]](舞台復帰後)
* [[市川團十郎 (6代目)|六代目 市川團十郎]]
* [[市川團十郎 (6代目)|六代目 市川團十郎]]
** 五代目の子、1778–1799(早世)
** 五代目の子、1778–1799
** 四代目市川海老蔵 → 六代目市川團十郎
** 四代目市川海老蔵 → 六代目市川團十郎
** 風邪をこじらせて22で急死。
* [[市川團十郎 (7代目)|七代目 市川團十郎]]
* [[市川團十郎 (7代目)|七代目 市川團十郎]]
** 五代目の孫で六代目の養子、1791–1859。[[歌舞伎十八番]]を選定
** 五代目の孫で六代目の養子、1791–1859。
** 初代[[市川新之助]] →(五代目)市川ゑび蔵 → 七代目市川團十郎 → 五代目市川海老蔵 → 成田屋七左衛門(蟄居謹慎時)→ 幡谷重蔵(旅回り)→ 二代目市川白猿
** 初代[[市川新之助]] →(五代目)市川ゑび蔵 → 七代目市川團十郎 → 五代目市川海老蔵 → 成田屋七左衛門(蟄居謹慎時)→ 幡谷重蔵(旅回り)→ 二代目市川白猿
** [[歌舞伎十八番]]を選定。四代目鶴屋南北と組み「色悪」の確立。天保の改革による江戸からの追放(後復帰)。
* [[市川團十郎 (8代目)|八代目 市川團十郎]]
* [[市川團十郎 (8代目)|八代目 市川團十郎]]
** 七代目の長男、1823–1854([[大坂]]で自殺)
** 七代目の長男、1823–1854
** 二代目市川新之助 → 六代目市川海老蔵 → 八代目市川團十郎 → 三代目市川白猿
** 二代目市川新之助 → 六代目市川海老蔵 → 八代目市川團十郎 → 三代目市川白猿
** [[与話情浮名横櫛|切られ与三]]初演。32歳で自殺。
* [[市川團十郎 (9代目)|九代目 市川團十郎]]
* [[市川團十郎 (9代目)|九代目 市川團十郎]]
** 七代目の五男、1838–1903。「劇聖」と呼ばれる
** 七代目の五男、1838–1903。
** 三代目[[河原崎長十郎]] → 初代[[河原崎権十郎]] → 七代目[[河原崎権之助]] → [[市川三升|河原崎三升]] → 九代目市川團十郎
** 三代目[[河原崎長十郎]] → 初代[[河原崎権十郎]] → 七代目[[河原崎権之助]] → [[市川三升|河原崎三升]] → 九代目市川團十郎
** 「劇聖」と呼ばれ、[[團菊左時代]]を築く。[[活歴]]等の[[演劇改良運動]]。[[新歌舞伎十八番]]制定。
* [[市川團十郎 (10代目)|贈十代目 市川團十郎]]
* [[市川團十郎 (10代目)|贈十代目 市川團十郎]]
** 九代目の婿養子(長女・二代目市川翠扇の夫)、1882–1956。実父は履物商後東京市議の稲延利兵衛。銀行員から役者に転身
** 九代目の婿養子(長女・二代目市川翠扇の夫)、1882–1956。
** 堀越福三郎 → 五代目[[市川三升]] → 贈十代目市川團十郎(告別式で追贈)
** 堀越福三郎 → 五代目[[市川三升]] → 贈十代目市川團十郎(告別式で追贈)
** 実父は履物商後東京市議の稲延利兵衛。銀行員から役者に転身。
* [[市川團十郎 (11代目)|十一代目 市川團十郎]]
* [[市川團十郎 (11代目)|十一代目 市川團十郎]]
** 十代目の養子、1909–1965。実父は[[松本幸四郎 (7代目)|七代目松本幸四郎]]。
** 十代目の養子、1909–1965。実父は[[松本幸四郎 (7代目)|七代目松本幸四郎]]。

2013年6月22日 (土) 15:33時点における版

三升
杏葉牡丹
鎌輪ぬ

市川 團十郞(いちかわ だんじゅうろう、新字体:団十郎)は歌舞伎役者の名跡屋号成田屋定紋三升(みます)、替紋杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。役者文様鎌輪ぬ(かまわぬ)。

解説

市川團十郎家は歌舞伎の市川流家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。その長い歴史と数々の事績から、市川團十郎は歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。

團十郎と関わりの深い名跡に市川海老蔵がある。前期の市川團十郎には團十郎 → 海老蔵と襲名する例が目立ち、後期にはこれが逆転して海老蔵 → 團十郎と襲名する例が目立つようになる。

当代の團十郎が最初に襲名したのが市川新之助だったため、新之助 → 海老蔵 → 團十郎と襲名するのが市川宗家の通例だと誤解されがちだが、実際にかつて新之助を名乗った者がのちに團十郎を襲名したのは、他には七代目と八代目があるのみである(詳細は「市川海老蔵」の項を参照)。

代々の墓は青山霊園にある。

市川團十郎代々

関連項目

外部リンク