「フェリペ3世 (スペイン王)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Addbot (会話 | 投稿記録)
m ボット: 言語間リンク 52 件をウィキデータ上の d:q34464 に転記
74行目: 74行目:


{{Link FA|pl}}
{{Link FA|pl}}

[[an:Felipe II d'Aragón]]
[[ar:فيليب الثالث ملك إسبانيا]]
[[ast:Felipe III d'España]]
[[be:Філіп III Іспанскі]]
[[bg:Филип III (Испания)]]
[[br:Fulup III (Spagn)]]
[[bs:Filip III, kralj Kastilje]]
[[ca:Felip III de Castella]]
[[cs:Filip III. Španělský]]
[[cy:Felipe III, brenin Sbaen]]
[[da:Filip 3. af Spanien]]
[[de:Philipp III. (Spanien)]]
[[el:Φίλιππος Γ' της Ισπανίας]]
[[en:Philip III of Spain]]
[[eo:Filipo la 3-a (Hispanio)]]
[[es:Felipe III de España]]
[[et:Felipe III]]
[[eu:Filipe III.a Espainiakoa]]
[[fa:فیلیپ سوم (اسپانیا)]]
[[fi:Filip III (Espanja)]]
[[fr:Philippe III d'Espagne]]
[[ga:Pilib III na Spáinne]]
[[gl:Filipe III de España]]
[[he:פליפה השלישי, מלך ספרד]]
[[hr:Filip III., španjolski kralj]]
[[hu:III. Fülöp spanyol király]]
[[is:Filippus 3. Spánarkonungur]]
[[it:Filippo III di Spagna]]
[[ka:ფილიპე III (ესპანეთი)]]
[[ko:펠리페 3세]]
[[la:Philippus III (rex Hispaniae)]]
[[lmo:Filipp III de Spagna]]
[[lt:Pilypas III Habsburgas]]
[[lv:Felipe III]]
[[mk:Филип III (Шпанија)]]
[[mr:फिलिप तिसरा, स्पेन]]
[[nl:Filips III van Spanje]]
[[no:Filip III av Spania]]
[[oc:Felip III]]
[[pl:Filip III Habsburg]]
[[pt:Filipe III de Espanha]]
[[ro:Filip al III-lea al Spaniei]]
[[ru:Филипп III (король Испании)]]
[[scn:Filippu III di Spagna]]
[[sk:Filip III. (Španielsko)]]
[[sv:Filip III av Spanien]]
[[th:พระเจ้าเฟลีเปที่ 3 แห่งสเปน]]
[[tl:Felipe III ng Espanya]]
[[tr:III. Felipe]]
[[uk:Філіп III Іспанський]]
[[vls:Filips III van Spanje]]
[[zh:腓力三世 (西班牙)]]

2013年3月15日 (金) 17:16時点における版

フェリペ3世
Felipe III
スペイン王
在位 1598年4月14日 - 1621年3月31日
別号 ポルトガル王
ナポリ王
シチリア王

出生 1578年4月14日
スペインの旗 スペインマドリード
死去 1621年3月31日
スペインの旗 スペイン、マドリード
配偶者 マルガレーテ・フォン・エスターライヒ
子女 アナ
フェリペ4世
マリア・アナ
カルロス
フェルナンド
家名 ハプスブルク家
王朝 スペイン・ハプスブルク朝
父親 フェリペ2世
母親 アナ・デ・アウストリア
宗教 カトリック
テンプレートを表示

フェリペ3世Felipe III, 1578年4月14日 - 1621年3月31日)は、スペインナポリシチリアポルトガル(在位:1598年 - 1621年)。フェリペ2世と最後の妻である神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の娘アナとの間に生まれた末子である。ポルトガル王としてはフィリペ2世

概要

祖父カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)は世界最大の植民地帝国を築いた人物、父フェリペ2世スペイン帝国黄金時代をもたらした人物である。生まれつき病弱であったため、年老いてゆく父は息子の将来に不安を抱いた。「怠惰王」と呼ばれたフェリペ3世の23年に及ぶ治世を取り仕切ったのは、首席大臣のレルマ公爵あるいはウセダ公爵であったが、彼らはこの大帝国の国政を担うにはいささか力不足であり、フェリペ2世が残した世界帝国は衰退への道を歩み始めることとなる。1609年、スペイン全土からモリスコキリスト教に改宗したイスラム教徒)の追放が行われた。その数は27万人に及び、ほとんど農民であったため、スペイン農業は大打撃を受け、深刻な食糧不足に陥ったといわれる。

子女

1599年にマクシミリアン2世の姪にあたるマルガリータと結婚。以下の7人の子供を儲けた。

スペイン・ハプスブルク家の近親結婚

フェリペ3世の生母アナはフェリペ2世の姪である。オーストリア・ハプスブルク家との間の3親等クラスの近親婚叔姪婚)による出生は、この王から始まる(ローマ教皇から赦免状をもらっての近親結婚だった)。

これは、祖父カルロス1世以来のフランスとの対立や、父フェリペ2世の非妥協的宗教政策、ポルトガル併合が関係する。まず当時、名門スペイン王室と臣下や格下の諸侯との結婚などありえなかった。しかし、ヨ-ロッパの王侯は次々とプロテスタントに改宗していたが、彼らとの結婚もできなかった(異端は異教徒より悪質とされた)。カトリック教徒の王室として残るのは、フランス王家と両ハプスブルク家、ポルトガル王家だったが、フランス王家とは敵対しており、ポルトガル王家はフェリペ2世が継いで合一した。結局、選択肢はオーストリア・ハプスブルク家との近親結婚のみとなった。のちにフランス王家からも王妃を迎えることになるが、やはり選択肢が2家しかないので、近親結婚は解消されなかった。

後にスペイン・ブルボン家も似たジレンマを抱え込んだ。

先代
フェリペ2世
スペイン王
ナポリ王
シチリア王
1598年 - 1621年
次代
フェリペ4世
先代
フィリペ1世
ポルトガル王
1598年 - 1621年
次代
フィリペ3世
先代
ディエゴ
アストゥリアス公
ジローナ公
1582年 - 1598年
次代
フェリペ4世

Template:Link FA