「トゥーラ (ロシア)」の版間の差分

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中世には、トゥーラは、[[リャザン公国]]の国境の小さな要塞であった。[[モスクワ大公国]]に移るとすぐ、レンガの城塞、すなわち[[クレムリ|クレムリン]]が1530年に建設された。トゥーラは、[[:en:Great Abatis Border|逆茂木線]]の重要な要塞で、1552年のタタールによる包囲攻撃によく耐えた。1607年、[[イヴァン・ボロトニコフ]]とその一派は要塞を奪い、皇帝軍による4か月の包囲攻撃を耐え抜いた。18世紀には、クレムリンの壁の一部が破壊された。古めかしい見かけにかかわらず、クレムリンにある5つのドームを持つ[[生神女就寝大聖堂]]は[[1764年]]という遅い時代に建てられたものである。
 
1712年、[[ピョートル大帝]]がトゥーラを訪れ、鍛冶屋のデミドフにロシアで最初の軍需工場建設の権限を与えた。数十年後、トゥーラは、[[デミドフ家]]によって東ヨーロッパ最大の鉄工業の中心地となった。兵器の歴史についての最古の博物館が、デミドフ家によって1724年に創設された。工業として[[サモワール]]を製造する最初の工場も、18世紀に設立された。[[デミドフ家]]が生産拠点を[[ウラル]]地方に移した後も、トゥーラは、重工業、特に素材生産の中心地として存続した。
[[File:Tula demidov.jpg|thumb|left|デミドフ記念教会(1730-34).]]
 
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