「ヴォルグ・ザンギエフ」の版間の差分

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渡米後は数多の試合を勝ち抜き、WBA、WBC、IBFの3団体[[ジュニアライト級]]の1位にまでランキングを上げるが、ヴォルグ自身の強さとその境遇から客を呼べず、メリットの少ない危険な相手として王座挑戦の機会に恵まれなかったが、IBF[[ジュニアライト級]]チャンピオン、マイク・エリオットから挑戦者として指名される。しかし準備期間を一週間しか与えられず、当日の試合でも開幕直後にホワイトファングを繰り出すが、左フックでカウンターを取られ、ダウンを喫する。そのダメージが回復しないうちに連打を喰らって1ラウンドでストップされかけるが辛うじて生き延びる。2ラウンドでは飛燕を解禁し、3ラウンドではダメージも抜け、試合感も回復した状況で、マイクとハイレベルな読み合いを繰り広げる。
渡米後は数多の試合を勝ち抜き、WBA、WBC、IBFの3団体[[ジュニアライト級]]の1位にまでランキングを上げるが、ヴォルグ自身の強さとその境遇から客を呼べず、メリットの少ない危険な相手として王座挑戦の機会に恵まれなかったが、IBF[[ジュニアライト級]]チャンピオン、マイク・エリオットから挑戦者として指名される。しかし準備期間を一週間しか与えられず、当日の試合でも開幕直後にホワイトファングを繰り出すが、左フックでカウンターを取られ、ダウンを喫する。そのダメージが回復しないうちに連打を喰らって1ラウンドでストップされかけるが辛うじて生き延びる。2ラウンドでは飛燕を解禁し、3ラウンドではダメージも抜け、試合感も回復した状況で、マイクとハイレベルな読み合いを繰り広げる。
準備期間の少なさ故に体力の限界を悟り、KOを狙ってボディで下を意識させてホワイトファングを打ち込むがこれも回避され、逆にボディを打ち込まれて呼吸困難に陥るも、燕返しを繰り出し、これは防がれるがマイクに一息つかせた瞬間ホワイトファングを叩き込む事に成功し、ついにダウンを奪う。
準備期間の少なさ故に体力の限界を悟り、KOを狙ってボディで下を意識させてホワイトファングを打ち込むがこれも回避され、逆にボディを打ち込まれて呼吸困難に陥るも、燕返しを繰り出し、これは防がれるがマイクに一息つかせた瞬間ホワイトファングを叩き込む事に成功し、ついにダウンを奪う。
しかし、マイク陣営がレフェリーを買収していた為に10カウントを遅く数える時間稼ぎやマイクの抱き起こしなどの裏工作によってマイクに回復されてしまう。
それでも抗議をすることなく、本能と渇望の赴くまま最後の打ち合いに臨み、壮絶なパンチの応酬の末にマイクを降して新チャンピオンとなった。
勝利後のインタビューでは、アメリカと友(一歩・千堂)と亡き母にそれぞれの国の言葉で礼を述べている。


==得意技==
==得意技==

2013年2月13日 (水) 11:53時点における版

はじめの一歩 > はじめの一歩の登場人物 > ヴォルグ・ザンギエフ

ヴォルグ・ザンギエフは、森川ジョージの漫画作品およびそれを原作とするアニメ『はじめの一歩』に登場する架空の人物。フルネームはアレクサンドル・ヴォルグ・ザンギエフ。アニメ版での声優は森川智之、少年時代は瀧本富士子。ドラマCD版では中原茂

人物

モデルは旧ソ連出身で、世界タイトルを9度防衛した勇利アルバチャコフ[1]

旧ソ連出身。生年月日は1972年10月30日。身長168cm。リーチ173cm。血液型はO型。 元アマチュアボクシングフェザー級世界チャンピオン。アマチュアでは200戦以上戦いプロに転じてからは日本フェザー級ランカーとなり、現在WBAWBCIBFそれぞれ世界ジュニアライト級1位。

高度な戦略を駆使する優れた頭脳と、それを実行できる正確無比なテクニックを併せ持つ。日本時代は観客を呼び込むためインファイターとして戦っていたが、本来は万能型のボクサーファイターである。そのスタイルで戦っていたら当時の日本王者だった伊達英二ですら敗北していたかもしれないと鴨川会長に評され、スパーで幕之内と戦った際はブランクによる体力が切れるまでは圧倒的に優勢だった。 かなりの方向音痴で(土地勘がない、漢字が読めないと言うこともあるが)道を尋ねては敬遠されている最中に幕之内と邂逅する場面や、来日時は幕之内の家が分からず橋の下で野宿する場面が描かれている。また、故郷では夜に部屋の灯りを点けると言う習慣が無かったため、現在でも夜に部屋の灯りを点けていない。

「ヴォルグ」とは、ロシア語で「狼」の意。リングの上では獰猛なほどの闘争心を見せるが、普段は心優しい純朴で温厚な青年で、境遇・性格が似ている一歩と個人的に友情を築く。

来歴

貧しい母子家庭に育ち、母親を守るために強くなろうと幼い頃にボクシングを始めた。病気の母の治療費を稼ぐためにプロに転向し、アマ時代からの専属コーチであるラムダと共に来日、日本の音羽ジムと契約。幕之内とA級ボクサー賞金トーナメント決勝戦で対戦し、壮絶な打撃戦の末ガゼルパンチでKO負けを喫する。

その後、伊達英二が返上した日本フェザー級王座決定戦に日本フェザー級2位として出場。1位の千堂武士と一進一退の攻防を繰り広げるも、バランスを崩してスリップした事が千堂のパンチがかすりダウン、もしくは体力切れによりダウンと判断され敗北。2連敗によって音羽ジムから解雇され引退、幕之内に自らのグローブをあげてロシアに帰国した。

それからしばらくボクシングの表舞台から遠ざかっていたが、最愛の母の死をきっかけにアメリカ合衆国でのカムバックを決意。幕之内のつてを頼るべく再来日し、幕之内の家で寝泊りしながら鴨川ジムで再起に向けたトレーニングを行った。鴨川会長の口利きで出国が決定した後、沢村竜平戦を控えていた幕之内のスパーリングパートナーとなり、置き土産にデンプシー破りを実践して一歩をKO、アメリカに活動拠点を移していた浜 団吉のもとへ旅立っていった。渡米後は階級をジュニアライト級に上げた。

渡米後は数多の試合を勝ち抜き、WBA、WBC、IBFの3団体ジュニアライト級の1位にまでランキングを上げるが、ヴォルグ自身の強さとその境遇から客を呼べず、メリットの少ない危険な相手として王座挑戦の機会に恵まれなかったが、IBFジュニアライト級チャンピオン、マイク・エリオットから挑戦者として指名される。しかし準備期間を一週間しか与えられず、当日の試合でも開幕直後にホワイトファングを繰り出すが、左フックでカウンターを取られ、ダウンを喫する。そのダメージが回復しないうちに連打を喰らって1ラウンドでストップされかけるが辛うじて生き延びる。2ラウンドでは飛燕を解禁し、3ラウンドではダメージも抜け、試合感も回復した状況で、マイクとハイレベルな読み合いを繰り広げる。 準備期間の少なさ故に体力の限界を悟り、KOを狙ってボディで下を意識させてホワイトファングを打ち込むがこれも回避され、逆にボディを打ち込まれて呼吸困難に陥るも、燕返しを繰り出し、これは防がれるがマイクに一息つかせた瞬間ホワイトファングを叩き込む事に成功し、ついにダウンを奪う。 しかし、マイク陣営がレフェリーを買収していた為に10カウントを遅く数える時間稼ぎやマイクの抱き起こしなどの裏工作によってマイクに回復されてしまう。 それでも抗議をすることなく、本能と渇望の赴くまま最後の打ち合いに臨み、壮絶なパンチの応酬の末にマイクを降して新チャンピオンとなった。 勝利後のインタビューでは、アメリカと友(一歩・千堂)と亡き母にそれぞれの国の言葉で礼を述べている。

得意技

  • ホワイトファング(左アッパーと打ち下ろしの右の左右高速コンビネーション。が上下の牙で同時に噛みつくような、スピードと威力を兼ね備えた連携。ちなみに幕之内戦では右アッパーと打ち下ろしの左と逆になってる)
  • 飛燕(手首から先の捻りでパンチの軌道をトリッキーに変化させるジャブ)
  • 燕返し(拳を縦にすることで、ガードをすり抜けるアッパー)

脚注

  1. ^ 別冊宝島四〇九号「ザ・マンガ家」 212-215ページ。