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'''日暮 真三'''(ひぐらし しんぞう、[[1944年]][[3月1日]] - )日本の[[コピーライター]]、[[作詞家]]。[[千葉県]][[松戸市]]出身。[[明治大学]]中退。娘はロック歌手の[[日暮愛葉]]。娘はロック歌手の[[日暮愛葉]]、実兄はビッグコミックの表紙イラストレーターの[[日暮修一]]。 |
'''日暮 真三'''(ひぐらし しんぞう、[[1944年]][[3月1日]] - )日本の[[コピーライター]]、[[作詞家]]。[[千葉県]][[松戸市]]出身。[[明治大学]]中退。娘はロック歌手の[[日暮愛葉]]。娘はロック歌手の[[日暮愛葉]]、実兄はビッグコミックの表紙イラストレーターの[[日暮修一]]。 |
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2012年10月14日 (日) 16:21時点における版
日暮 真三(ひぐらし しんぞう、1944年3月1日 - )日本のコピーライター、作詞家。千葉県松戸市出身。明治大学中退。娘はロック歌手の日暮愛葉。娘はロック歌手の日暮愛葉、実兄はビッグコミックの表紙イラストレーターの日暮修一。
略歴・人物
千葉県松戸市で酒屋の息子として生まれる[1]。大学1年目でイラストレーターをしていた兄のツテを伝い、プロダクションに入ると共に、同時に久保田宣伝研究所(現在の宣伝会議コピーライター養成講座)を受講する。その過程で大学を中退し、電通に嘱託社員として入社。1年後、電通を経て、広告制作プロダクション、デルタモンドヘ。1969年にtaka-Qの「袖の長さが気になりだしたら、資格あり」のコピーでTCC新人賞を受賞する。
その後、1972年に大手広告制作プロダクション、ライトパブリシティに移籍。ここでもTOTOやヤマハなどの広告コピーを書くと共に、1980年には独立してフリーとなり、「日暮事務所」を設立する。その間にアートディレクターで友人の長友啓典と共に、小学館の雑誌「GORO」で篠山紀信の激写シリーズの広告を担当するなどし、評判を呼ぶ。また無印良品などのネーミングを手がける。その他にも多数の製品の広告コピーなどを担当したが、1980年後半以降、徐々に広告企画の仕事から撤退。東京コピーライターズクラブも辞し、コピーの仕事とあわせて作詞活動を始める。
有名なキャッチコピー
- 歩ける距離なら歩いて行こう。(クラレ)
- 長い時間をかけ苦労して育てた牛から わずか25足の靴しかつくれません。(同上・クラリーノ)
- マル秘ではありません。真似ができないだけです。(TOTO)
- 手洗いつき「お手洗い」。日本の発明です。(同上)
- 感度いかが?ピッ。ピッ。(西武百貨店)
- 知性のふくらみをバストより大きくしたい。 ラルフ・ローレン (同上)
- 結婚すると、女は自由になる。(同上)
- もっとイマジネーション。(同上)
- からだ、しなやかに。(同上)
- 飛びたい人の、(同上)
- 輝くか、目。(同上)
- 深まるか、愛。(同上)
- 百恵 も 燃え (同上)
- 自然はおいしい(農協牛乳)
- 時代が僕を生んだ。キリンライトビール(麒麟麦酒)
- わ、いいんだ。と小堺クン。(同上・ワインクラブ)
- 植物のチカラ(日清オイリオ)
- 情報が人間を熱くする(リクルート)、
- 僕たちは世界一おもしろい街に住んでいる。(ぴあ)
など
受賞歴
- 東京コピーライターズクラブ賞を3度、同特別賞を2度受賞
- ニューヨークアートディレクターズクラブ賞金賞受賞
- 第1回日本ネーミング大賞優秀賞受賞(「無印良品」のネーミングにより)
その他、毎日デザイン賞、日経広告賞等で受賞
作詞等
- NHK「おかあさんといっしょ」の体操の歌「あいうー」
- アニメ番組「こんなこいるかな」「ふしぎなあのこはすてきなこのこ」「ふたりはなかよしグーとスー」
「ともだち8にん」の脚本、プロット制作 「野坂昭如戦争童話集」映像化脚本
著書
「怒る犬」共著 岩波書店 「ふたりはなかよし」共著 講談社 「拝啓、サクラさく」共著 用美社 「ないてないであらってわらって」共著 学習研究社