「ルビー・カイロ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
29行目: | 29行目: | ||
| imdb_id = 0107999 |
| imdb_id = 0107999 |
||
}} |
}} |
||
『'''ルビー・カイロ'''』(原題:''Ruby Cairo'')は、[[1992年]]制作の[[アメリカ合衆国]]・[[日本]]・[[イギリス]]合作の[[ミステリ]]・[[サスペンス映画]]。 |
『'''ルビー・カイロ'''』(原題:''Ruby Cairo'')は、[[1992年の映画|1992年]]制作の[[アメリカ合衆国]]・[[日本]]・[[イギリス]]合作の[[ミステリ]]・[[サスペンス映画]]。 |
||
[[角川春樹]]が[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド]]進出第1弾として手掛けた作品であったが、30億円の製作費に対してわずか5億円前後の回収にとどまり興行的に失敗し、これが角川春樹と弟の[[角川歴彦]]の対立を呼び、[[角川書店]]の[[お家騒動]]が勃発する引き金となった<ref>[[岩上安身]]「[http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/kado1.htm 誰も書かなかった『角川家の一族』(前編)]」『宝島30』1993年11月号、宝島社</ref>。 |
[[角川春樹]]が[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド]]進出第1弾として手掛けた作品であったが、30億円の製作費に対してわずか5億円前後の回収にとどまり興行的に失敗し、これが角川春樹と弟の[[角川歴彦]]の対立を呼び、[[角川書店]]の[[お家騒動]]が勃発する引き金となった<ref>[[岩上安身]]「[http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/kado1.htm 誰も書かなかった『角川家の一族』(前編)]」『宝島30』1993年11月号、宝島社</ref>。 |
2012年6月29日 (金) 06:33時点における版
ルビー・カイロ | |
---|---|
Ruby Cairo | |
監督 | グレーム・クリフォード |
脚本 |
ロバート・ディロン マイケル・トーマス |
製作 |
菅原浩志 ロイド・フィリップス |
製作総指揮 | 角川春樹 |
出演者 |
アンディ・マクダウェル リーアム・ニーソン ヴィゴ・モーテンセン |
音楽 | ジョン・バリー |
撮影 | ラズロ・コヴァックス |
編集 |
キャロライン・ビッガースタッフ ポール・ルベル マーク・ウィニツキー |
製作会社 | ミラマックス |
配給 | 松竹富士 |
公開 |
1993年10月29日 1992年12月12日 |
上映時間 | 110分 |
製作国 |
アメリカ合衆国 日本 イギリス |
言語 | 英語 |
興行収入 | $608,866[1] |
『ルビー・カイロ』(原題:Ruby Cairo)は、1992年制作のアメリカ合衆国・日本・イギリス合作のミステリ・サスペンス映画。
角川春樹がハリウッド進出第1弾として手掛けた作品であったが、30億円の製作費に対してわずか5億円前後の回収にとどまり興行的に失敗し、これが角川春樹と弟の角川歴彦の対立を呼び、角川書店のお家騒動が勃発する引き金となった[2]。
あらすじ
ロサンゼルスに住む主婦ベッシーのもとにパイロットの夫ジョニーの黒く焼け焦げた入れ歯が届き、彼がメキシコで墜落死した事を知る。
しかし、ジョニーのオフィスが荒らされているのを不審に思ったベッシーは隠されていたベースボールカードの束を見つけ、それに暗号で世界中の銀行の口座番号が記されているのを見つける。
ベッシーは偶然出会った「世界の飢餓を救う会」の代表であるラム博士と共に世界中を巡り、ジョニーの死の謎を追う。そして、最終的にエジプトに辿り着いたベッシーはジョニーの意外な裏の顔を知る…。
スタッフ
- 監督:グレーム・クリフォード
- 製作:菅原浩志、ロイド・フィリップス
- 製作総指揮:角川春樹
- 脚本:ロバート・ディロン、マイケル・トーマス
- 原案:ロバート・ディロン
- 撮影:ラズロ・コヴァックス
- 音楽:ジョン・バリー
キャスト
- アンディ・マクダウェル:ベッシー・ファロ
- リーアム・ニーソン:ファーガス・ラム博士
- ヴィゴ・モーテンセン:ジョニー・ファロ
- ジャック・トンプソン:エド
漫画版
書誌情報
高口里純 『ルビー・カイロ』 角川書店〈ヤングロゼコミックス deluxe〉全1巻
- 1992年12月発行、ISBN 4-048-52387-2
脚注
- ^ “Release info from imdb.com”. imdb.com. 2010年9月23日閲覧。
- ^ 岩上安身「誰も書かなかった『角川家の一族』(前編)」『宝島30』1993年11月号、宝島社