「成田ミイラ化遺体事件」の版間の差分
ノート:成田ミイラ化遺体事件の合意(法的な理由)に基づき、元代表者名を削除。 |
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2012年6月25日 (月) 11:54時点における版
最高裁判所判例 | |
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事件名 | 殺人被告事件 |
事件番号 | 平成15(あ)1468 |
2005年(平成17年)7月4日 | |
判例集 | 刑集第59巻6号403頁 |
裁判要旨 | |
脳内出血による意識障害に陥った重篤な患者に対して、患者の親族からの「シャクティ治療」の依頼を受けた者が、主治医らの警告を無視した上で入院中の患者を運び出し、未必の故意による殺意をもって、患者の生命維持に必要とされる医療措置を何ら施さずに放置し、死亡させた事案において、不作為の殺人罪が成立するとした事例。 | |
第二小法廷 | |
裁判長 | 中川了滋 |
陪席裁判官 | 福田博、滝井繁男、津野修、今井功 |
意見 | |
多数意見 | 全員一致 |
意見 | なし |
反対意見 | なし |
参照法条 | |
刑法199条 |
成田ミイラ化遺体事件(なりたミイラかいたいじけん)は、1999年(平成11年)11月11日、千葉県成田市のホテルで発生した殺人・保護責任者遺棄致死事件。
経緯
かねてライフスペースの主催者は、頭部を手で軽く叩く「シャクティパット」と呼ぶ方法で病気を癒すことができると喧伝していた。これを信じた男性が、高齢の家族を病院から連れ出し、新東京国際空港(現・成田国際空港)近くのホテルで主催者によるこの治療法を試みた。この家族はそのまま死亡したが、主催者はこの家族はまだ生きていると主張し、男性をはじめとした周囲もこれを信じた。
1999年11月11日、ホテルから「4ヶ月以上も宿泊している不審な客がいる」と通報を受けた成田警察署署員が、ホテルの部屋を捜索してミイラ化した遺体を発見した。
事件の異常さや、主催者が記者会見で「定説」として「(被害者は)司法解剖されるまで生きていた」などと主張したことから、ワイドショーなどで大きく報道された。
翌2000年に主催者と男性を含む11名が保護責任者遺棄致死で逮捕され、主催者が殺人で、男性が保護責任者遺棄致死で起訴された(残りの9名は起訴猶予)。
裁判の経過
裁判でライフスペース側は無罪を主張して争ったが、男性は2001年9月28日に懲役2年6月・執行猶予3年の判決で確定。主催者は、裁判でも「定説」を訴えて争ったが、1審で懲役15年、2審では不作為犯と認定され懲役7年の判決を受けた。主催者は上告したが、最高裁判所は2005年7月4日に上告を棄却し、懲役7年の判決が確定した。
記者会見
事件を受けて記者会見が開かれたが、ここでの主催者の発言があまりにも滑稽なので、人が1人亡くなっている中で不謹慎ながら記者が爆笑するような内容となった。
会見での主催者の主張は次のとおり。
- 警察がホテルに家宅捜索に入った時点では被害者は生きていたと断言できる。
- 被害者の死因は司法解剖をしたことが原因である。
裁判後
2011年12月、ライフスペース関係者は「千葉成田ミイラ事件①の再審支援の会」を発足させ、再審請求へ向けた活動(毎週都内で、シンポジウム&ライブの夕べを開催)をしている。
2012年1月、「千葉成田ミイラ事件①の再審支援の会」は、本件事件のきっかけを紀藤正樹弁護士の発言やリークが作り出していると主張して懲戒請求を申し立てた。