「ピリッポス3世」の版間の差分

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=== 傀儡の王 ===
ロクサネはまもなく男子を産み落とし、生まれてきた子供は[[アレクサンドロス4世]]と名づけられ、(形だけではあるが)ピリッポスの共同統治者とされた。その結果ペルディッカスが帝国摂政としてアレクサンドロス4世を後見し、人望のあった武将[[クラテロス]]がピリッポス3世の後見人となることが定められた。しかし、アレクサンドロス大王の遺領をめぐる武将達の争い([[ディアドコイ戦争]])は収まることはなく、[[紀元前321年]]にクラテロスも[[ヘレスポントスの戦い]]で敗死した。その後、ピリッポス3世はマケドニア本国に移されたが、間もなくここで[[カッサンドロス]]と[[ポリュペルコン]]が帝国摂政の地位をめぐって争いを起こした。ピリッポス3世の妻[[エウリュディケ2世]]はこの際に、カッサンドロスと結んでマケドニア王家の実権を握ろうとした。これに対しポリュペルコンと同行していたオリュンピアスは軍を自ら軍を率いてマケドニアに乗りこんできた。紀元前317年オリュンピアスによってピリッポス3世は捕えられ、処刑された。
 
==参考文献==
*[[グナイウス・ポンペイウス・トログス]]/ユスティヌス『地中海世界史』(2004年、合阪學・訳、西洋古典叢書:[[京都大学学術出版会]])
 
== 関連項目 ==

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