「1991年東京都知事選挙」の版間の差分

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盟友の[[丹下健三]]に手掛けさせた超豪華な[[東京都庁舎|新都庁舎]]に代表される[[箱物行政]]と、多選批判が高まった現職の[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]を自民党都連が引き続き支持する一方、中央の意のままにならぬ大物の鈴木に引導を渡したい自民党本部は、[[公明党]]・[[民社党]]と相乗り([[自公民路線]])で[[日本放送協会|NHK]]報道局長の[[磯村尚徳]]を擁立した。
 
革新勢は[[社共共闘]]を復活できず、[[日本社会党]]では内部抗争から候補者擁立に出遅れた[[1987年東京都知事選挙|前回都知事選]]の反省から、都知事候補選定委員会を設置し合議を諮ったが、[[土井たか子]][[日本社会党委員長|委員長]]、[[社会民主連合]]の[[江田五月]]や[[菅直人]]、[[岡野加穂留]][[明治大学]]教授と異論百出して纏まらず、結局、[[中央大学]]教授[[大原光憲]]を口説き落として戦ったものの、共産党が推す[[勤労者通信大学]]学長の[[畑田重夫]](2回連続2度目)すら下回って[[供託金]]を没収される惨敗を喫し、選挙後、大原は選挙体調を崩し、翌年7月に没した。
 
加えて公明党系の[[浜田マキ子]]も[[無所属]]で立ったため、既成政党のほとんどが分裂選挙になる様相を呈した。
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