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2012年2月5日 (日) 14:43時点における版

アメリコ・ガジェゴ
ファイル:AmericoGallego.jpg
名前
本名 アメリコ・ルベン・ガジェゴ
愛称 El Tolo
ラテン文字 Américo Rubén Gallego
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1955-04-25) 1955年4月25日(68歳)
出身地 コルドバ州
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1974-1980
1981-1988
ニューウェルズ・オールドボーイズ
CAリーベル・プレート
262 (25)
180 (10)
代表歴
1975-1982 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 73 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アメリコ・ルベン・ガジェゴAmérico Rubén Gallego1955年4月25日 - )はアルゼンチンコルドバ州モルテロス出身のサッカー選手。ポジションはMF

経歴

現役時代

1974年にニューウェルズ・オールドボーイズでキャリアをスタートさせる。レギュラーとしてプレーするのにそう時間はかからず、1975年にトゥーロンで行われたユースのトーナメントにアルゼンチン代表の一員として優勝を果たした。また、1978年の自国開催のFIFAワールドカップでは全ての試合に先発出場し、アルゼンチン初のW杯優勝に貢献した。その3年後、CAリーベル・プレートへ移籍。

リーベル・プレートでは、中盤でカルテットを組んでいたアルファロエンリケモレジらが攻撃に専念できるよう豊富な運動量で奔走し、チームを支えた[1]。また、キャプテンとしてコパ・リベルタドーレスインターコンチネンタルカップコパ・インテルアメリカーナなどクラブ史上初のタイトルを獲得した。

1988年に現役を引退。ガジェゴはプリメーラ・ディビシオンで計440試合に出場した。

引退後

引退後は指導者の道を歩んだ。1994年にキャリアを終えたクラブであるリーベル・プレートにヘッドコーチとして戻り、前期リーグで優勝。その翌年、ダニエル・パサレラの下アルゼンチン代表のアシスタントコーチに就任。2000年にリーベル・プレートへ戻ると、後期リーグを勝ち取った。2002年にCAインデペンディエンテ、2004年にはニューウェルズ・オールドボーイズをそれぞれ率いて前期リーグで優勝した。

ニューウェルズ・オールドボーイズ退任後、いくつものクラブからオファーを受け、メキシコのクラブであるCDトルーカの監督に就任。2005年の前期リーグでクラブを優勝に導き、メキシコでのベストコーチと称された。2007年、家族との時間を優先するためトルーカの監督を辞任。その後もUANLティグレス、CAインデペンディエンテ、CSDコロコロなどで指揮を執った。

獲得タイトル

脚注

  1. ^ 「GREATEST TEAM」ワールドサッカーマガジン、ベースボール・マガジン社、2007年1月18日号

外部リンク