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== 脚注 ==
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2011年9月23日 (金) 01:29時点における版

Kim Hunter
キム・ハンター
本名 Janet Cole
生年月日 (1922-11-12) 1922年11月12日
没年月日 (2002-09-11) 2002年9月11日(79歳没)
出生地 ミシガン州デトロイト
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 女優
配偶者 ウィリアム・ボールドウィン (1944-1946)
ロバート・エメット (1951-2000)
 
受賞
アカデミー賞
助演女優賞
1951年欲望という名の電車
ゴールデングローブ賞
助演女優賞
1951年『欲望という名の電車』
その他の賞
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キム・ハンター(Kim Hunter, 1922年11月12日 - 2002年9月11日)は、アメリカ合衆国女優

経歴

本名はジャネット・コール(Janet Cole)。ミシガン州デトロイト出身。

アクターズ・スタジオで学び、1947年に舞台版の『欲望という名の電車』にステラ役で出演。1951年に映画化された時にも同じ役で出演し、1952年にアカデミー助演女優賞を受賞した。

しかし、1950年代半ばの赤狩りの時期に、共産主義者を支援した嫌疑でブラックリストに載ってしまい、テレビや映画での仕事がほとんどできなくなってしまった。公民権運動に熱心に取り組み、1962年には、多くの映画関係者が共産主義者と不当に告発されたことを受けて、最高裁判所で証言もしている。同年、名誉回復。その後、映画『猿の惑星』の最初の3作に出演し、再び脚光を浴びた。その後、テレビのソープオペラにたびたび出演した。

1944年から1946年の間、海軍大佐ウィリアム・ボールドウィンと結婚し、1人娘カティーをもうけた。1951年から2000年の間ロバート・エメットと結婚。2人の間には1人息子のショーン・エメット(1954年生)がいる。

主な出演作品

受賞歴

アカデミー賞

受賞
1952年 アカデミー助演女優賞:『欲望という名の電車[1]

ゴールデングローブ賞

受賞
1952年 助演女優賞:『欲望という名の電車

脚注

  1. ^ ただし、ハンター本人は式典には出席しておらず、ベティ・デイヴィスが代理人として受賞した。

外部リンク