「フォン人」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
en:Fon people 00:01, 16 July 2011より抄訳、加筆。
 
MystBot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: br, cs, de, eo, fi, fr, nl, pl, pt, ru, sh, sr, sv, uk, zh
15行目: 15行目:
{{BJ-stub}}
{{BJ-stub}}


[[br:Foned]]

[[cs:Fonové]]

[[de:Fon (Volk)]]


[[en:Fon people]]
[[en:Fon people]]
[[eo:Fonoj]]
[[fi:Fonit]]
[[fr:Fons (peuple)]]
[[nl:Fon (volk)]]
[[pl:Fonowie]]
[[pt:Fons]]
[[ru:Фон (народ)]]
[[sh:Fon]]
[[sr:Фон]]
[[sv:Fon (folk)]]
[[uk:Фон (народ)]]
[[zh:豐族]]

2011年9月11日 (日) 11:04時点における版

フォン人(Fon people)は、西アフリカの民族。主にベナン及びナイジェリア西部に居住し、特にベナンにおいては総人口の25%を占める最大民族である。総数は350万人以上にのぼる。フォン語グベ語族に属し、主にベナン南部で話されている。フォン人の起源は、トーゴ南東部のベナン国境に近いタドの村といわれている。文化的には父系制であり、一夫多妻離婚もできる。葬儀はフォン人にとって最も重要な行事であり、ドラムダンスによる喪がしばしば数日間続けられる。フォン人は人が死ねば[輪廻転生]すると信じている。

多くのフォン人は現在も村や小さな街で泥や鉄の切妻屋根の家で暮らしている。フォン人はダホメ王国の首都だったアボメイや海岸部のウィダーの街を建設し、現在でもその町に多く住む。これらの町は奴隷貿易時代奴隷の集散地となっていた。フランス領西アフリカからダオメー共和国が独立すると、フォン人は王族の血を引くジャスティン・アホマデグベを立てて政界を三分し、1972年マチュー・ケレクによって終止符が打たれるまで鼎立状態が続いた[1]

フォン人はキリスト教、またはヴードゥー教の信者が多い。もともとフォン人の信仰を元にして成立したヴードゥー教は、フォン人が奴隷貿易によって拡散するに従い全世界へと広まっていった。現在でもヴードゥー教の聖地はフォン人の町であるウィダーにあり、年に一度信徒の総会が開かれる。

脚注

  1. ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年 ISBN 4-7947-0523-9 114ページ