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2011年8月24日 (水) 08:42時点における版

亀田 興毅
基本情報
本名 亀田 興毅
通称 浪速乃闘拳
階級 バンタム級
身長 166cm
リーチ 168cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1986-11-17) 1986年11月17日(37歳)
出身地 大阪府大阪市
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 26
勝ち 25
KO勝ち 16
敗け 1
テンプレートを表示

亀田 興毅(かめだ こうき、男性、1986年11月17日 - )は、日本プロボクサー大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。現WBA世界バンタム級王者。元WBA世界ライトフライ級王者であり、元WBC世界フライ級王者でもある日本人初3階級制覇王者。 亀田三兄弟の長男で、亀田大毅亀田和毅は実弟、亀田史郎は実父である。左利き亀田プロモーション社長。

来歴

11歳の時、父・史郎からボクシングを教わるようになる。

大阪市立天下茶屋中学校時代の3年間は、空手とボクシングの練習を並行して行っていた。14歳の時、井岡弘樹エキシビションマッチを行った[1]

中学卒業後、ボクシングに専念するため高校には進学せず、社会人ボクシングで活動した。

2002年全日本実業団選手権フライ級優勝(当時15歳6か月)、全日本社会人選手権フライ級ベスト4。

2003年全日本実業団選手権フライ級優勝、第55回全日本社会人選手権フライ級優勝(16歳10か月)。

17歳の誕生日(2003年11月17日)にプロボクサーとなった。

2005年4月28日に大阪のグリーンツダジムから東京協栄ジムへ移籍。この時、3,000万円という移籍金が支払われたと報道された[2]

2006年8月2日に元WBA世界ミニマム級暫定王者ファン・ランダエタとの世界戦を行い、12R判定で勝利(2-1)、WBAライトフライ級チャンピオンとなった。

2006年12月20日、東京・有明コロシアムにて、ファン・ランダエタベネズエラ・同級1位)との再戦が行われ、12R判定で勝利(3-0)。

2007年1月18日、協栄ジムで行った記者会見で王者返上を表明。3月24日に両国国技館で行う予定の試合はノンタイトルの10回戦で、フライ級に階級を戻して臨むことを発表した。

2007年10月11日、弟・亀田大毅の世界タイトル戦のセコンドにつき、不適切な指示をしたとして日本ボクシングコミッション(JBC)より厳重戒告処分を受けた。また、10月25日に予定されていた自身の試合も「対戦相手が決まらなかった」との理由で中止となった。

なお、行われる予定であった試合については、10月26日の記者会見で以下のことが明らかになった[3]

  • 中止になった理由については、処分待ちの時点でリングに上がれないと亀田側が一方的に判断していただけであった。
  • 対戦相手は決まっており、相手も試合に向けて調整を行っていたが、試合のキャンセルの連絡を入れていないなど主催者側にも不手際があった。

2009年11月29日にWBC世界フライ級王者の内藤大助に判定勝ちし、ファイティング原田柴田国明井岡弘樹畑山隆則戸高秀樹ホルヘ・リナレスに次ぐ、日本のジム所属の選手で7人目の2階級制覇を達成した。

2010年11月1日付で父・亀田史郎に代わり亀田プロモーションの代表取締役社長に就任した[4]

2010年12月26日、アンセルモ・モレノスーパー王者昇格に伴い空位となっていたWBA世界バンタム級王座を、元WBA世界スーパーフライ級王者アレクサンデル・ムニョスと争った末に判定勝ちを収めて、WBA世界ライトフライ級・WBC世界フライ級に続き、WBA世界バンタム級王座の獲得に成功し、日本人ボクサーとしては初となる3階級制覇を達成した[5]。さらに、長谷川穂積以来となる飛び級制覇も同時に達成した。同年2月7日に弟・大毅がWBA世界フライ級王座を獲得したことで「日本人初の兄弟王者」となっていたが、この日の自身の王座獲得で「日本人初の同時兄弟王者」も果たした。

2011年5月7日、大阪府立体育会館において、昨年12月に獲得したWBA世界バンタム級王座の初防衛戦をWBA14位ダニエル・ディアスと行い、8Rにダウンを奪っての11R終了TKO勝ちを収めて世界戦初のKO勝利とともに初防衛に成功した[6]

税金・申告漏れ

2009年10月、弟・大毅と揃って東京国税局の税務調査を受け、2007年までの3年間の個人所得について、申告漏れが発覚した。亀田兄弟は個人事業主として所得を税務申告したが、計上した経費の中には領収書などがないものもあり、これらの経費に関して国税局が損金への算入を認めなかった。所属する亀田ジムは「修正申告は済んでいます」と明かした。

パフォーマンス

  • 対戦相手に敬語を使用しないなどの態度については賛否両論がある[7]。亀田本人は「敬語は尊敬できる対戦相手だけに使えば良い」と主張している。テレビ出演時に共演の芸能人やその他関係者には敬語を使用している。
  • これらは「テレビ用のパフォーマンスである」とする声もある。2006年8月2日のタイトルマッチの翌日の読売新聞に「個別の取材ではとても丁寧な言葉づかいで好感が持てた。もうこんなキャラを演じるのは止めたらどうか」という内容の記事が掲載されている。近年は対戦相手にも以前のような威嚇した態度は減少した。同時に観衆からの興味は減少し視聴率も低下したが、ボクシング中継としては未だに高い視聴率を誇っている。
  • カルロス・ファハルドが同席した世界前哨戦の記者会見において、減量に苦しんでいたとされるファハルドの目前で骨付きチキンを食べ、清涼飲料水を一気飲みするパフォーマンスを行った[8]。また同戦の前日計量においては、ファハルドの写真を貼ったフライパンを素手で折り曲げた。
  • ライトフライ級タイトルマッチとなったファン・ランダエタ戦の前日計量においては、ハンバーガーを食べながらキューピー人形(ファン・ランダエタのあだ名『ベイビー』にちなんだもの)を渡したが、ランダエタはジョークと受け取り笑って対応した。ランダエタは返礼として、試合前の計量の時に紙おむつとおしゃぶりを手渡そうとしたが、興毅はそれを見るなり受け取ることなく床に叩きつけた。その後、史郎がランダエタに興毅との握手を催促するが、ランダエタは拒否。それに対して史郎はランダエタに対し強く恫喝した[9]
  • 好物は納豆とされており[10]テレビ番組による納豆ダイエット捏造問題に関し2007年1月24日の公開練習後に「納豆がかわいそう」と発言し、愛好会の設立を宣言した。
  • 2007年10月26日での謝罪会見において、これまでの一連の挑発行為やパフォーマンスについて、興毅は「相手にプレッシャーを与えるつもりでやったが、今思うとやり過ぎた部分もあった。反省している。」とコメントしている。
  • 2008年7月30日に行われたWBCフライ級タイトルマッチ(内藤大助 vs. 清水智信)の試合後に、リングに上がり、直接、防衛に成功した内藤大助に試合を申し込んだ。このことについて、試合を主催していたTBSに苦情が寄せられた。また、興毅が所属していた協栄ジム金平桂一郎会長も批判的な意見を自身の著書で記している。
  • 甘い物が大好きで、特にミスタードーナツのポン・デ・リングが好物[11]。内藤との試合後の会見で、今後について聞かれた際「甘いスイーツでもいっぱい食べるかな」と発言[12]したことから、2009年11月30日放送の『みのもんたの朝ズバッ!!』ではメロンパン、『ひるおび!』ではポン・デ・リングがそれぞれ用意され、生出演した際食べた。さらに自身のプロデュースによるロールケーキ「kameda roll」が2010年2月6日より大阪・北堀江のカフェで販売された[13]

戦績

プロボクシング:26戦25勝(16KO)1敗

日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2003年12月21日 勝利 1R 0:44 KO デンナロン・シスソバ タイ王国の旗 タイ プロデビュー戦
2 2004年3月13日 勝利 1R 1:12 KO プラカルン・ツインズジム タイ王国の旗 タイ  
3 2004年5月22日 勝利 1R 1:48 TKO サミン・ツインズジム タイ王国の旗 タイ  
4 2004年9月27日 勝利 10R 判定3-0 ダオチャイ・KTジム タイ王国の旗 タイ  
5 2004年12月13日 勝利 2R 0:59 KO ノパデッチレック・チュワタナ タイ王国の旗 タイ  
6 2005年2月21日 勝利 1R 2:10 KO ヨードゲン・シンワンチャー タイ王国の旗 タイ  
7 2005年6月20日 勝利 1R 2:59 KO サマン・ソー・チャトロン タイ王国の旗 タイ  
8 2005年8月21日 勝利 3R 0:50 TKO ワンミーチョーク・シンワンチャー タイ王国の旗 タイ 東洋太平洋フライ級タイトルマッチ
9 2005年11月26日 勝利 7R終了 TKO ノエル・アランブレット ベネズエラの旗 ベネズエラ  
10 2006年3月8日 勝利 6R 2:20 KO カルロス・ボウチャン メキシコの旗 メキシコ  
11 2006年5月5日 勝利 2R 1:28 TKO カルロス・ファハルド ニカラグアの旗 ニカラグア  
12 2006年8月2日 勝利 12R 判定2-1 ファン・ランダエタ ベネズエラの旗 ベネズエラ WBA世界ライトフライ級王座決定戦
13 2006年12月20日 勝利 12R 判定3-0 ファン・ランダエタ ベネズエラの旗 ベネズエラ WBA防衛1
14 2007年3月24日 勝利 10R 判定3-0 エベラルド・モラレス メキシコの旗 メキシコ  
15 2007年5月23日 勝利 8R 2:23 TKO イルファン・オガー インドネシアの旗 インドネシア  
16 2007年7月28日 勝利 10R 判定3-0 セサール・ロペス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国  
17 2008年3月22日 勝利 10R 判定3-0 レクソン・フローレス フィリピンの旗 フィリピン  
18 2008年7月12日 勝利 2R 1:54 KO マリノ・モンティエル メキシコの旗 メキシコ  
19 2008年8月30日 勝利 12R 判定3-0 サルバドール・モンテス メキシコの旗 メキシコ WBAインターコンチネンタルフライ級王座決定戦
20 2009年3月4日 勝利 2R 2:09 KO ドローレス・ビダル メキシコの旗 メキシコ  
21 2009年9月5日 勝利 5R 2:29 KO ウンベルト・プール メキシコの旗 メキシコ  
22 2009年11月29日 勝利 12R 判定3-0 内藤大助 日本の旗 日本 WBC世界フライ級タイトルマッチ/2階級制覇
23 2010年3月27日 敗北 12R 判定0-2 ポンサクレック・ウォンジョンカム タイ王国の旗 タイ WBC王座陥落
24 2010年7月25日 勝利 4R 0:49 KO セシリオ・サントス メキシコの旗 メキシコ  
25 2010年12月26日 勝利 12R 判定3-0 アレクサンデル・ムニョス ベネズエラの旗 ベネズエラ WBA世界バンタム級王座決定戦/3階級制覇
26 2011年5月7日 勝利 11R終了 TKO ダニエル・ディアス ニカラグアの旗 ニカラグア WBA防衛1
27 2011年8月31日 - - - デビッド・デラモラ メキシコの旗 メキシコ WBA2度目の防衛戦/試合前
テンプレート
  • 1戦目:デンナロン・シスソバ(タイ 0勝2敗)
  • 2戦目:プラカルン・ツインズジム(タイ 0勝3敗)
  • 3戦目:サミン・ツインズジム(タイ 0勝4敗)
  • 4戦目:ダオチャイ・KTジム(タイ 0勝5敗)
  • 5戦目:ノパデッチレック・チュワタナ(タイ 確認できる戦績なし/当時タイ国フライ級2位)
  • 6戦目:ヨードゲン・シンワンチャー(タイ 0勝4敗)
    • 6戦目までの対戦相手の戦績は、Web上のボクシングデータベースBoxrec.comで確認可能な試合分のみで公式記録ではない。
  • 7戦目:(2005年6月20日):サマン・ソーチャトロン(タイ 46勝7敗1分/元世界王者だが、長期ブランクと戦績低迷により当時はノーランカー[14]
  • 8戦目(2005年8月21日):ワンミーチョーク・シンワンチャー(タイ 12勝2敗/当時OPBF東洋太平洋フライ級王者&WBC同級世界ランカー)
    • テレビ中継の視聴率:10.6%(関東地区)
    • タイトル獲得。この後防衛戦を行わず王座返上。
  • 9戦目(2005年11月26日):ノエル・アランブレットベネズエラ 21勝4敗1分1無効/元WBAミニマム級王者&当時WBAライトフライ級世界ランカー)
    • 視聴率:8.5%(関東地区)
  • 10戦目(2006年3月8日):カルロス・ボウチャン(メキシコ 21戦16勝5敗/当時WBC傘下地域団体のフライ級ラテン王者&WBC同級世界ランカー)
    • 視聴率:24.8%(関東地区。以下はゴールデンタイムの放送)
    • 当初、対戦相手として予定されていたのは、後にWBC世界ライトフライ級王者となるエドガル・ソーサだったが、直前でキャンセルされたため、ボウチャンに代わった。
    • この試合中、亀田が放ったボディブローが下腹部への反則打撃(ローブロー)ではないかという意見が寄せられた。解説についた元WBAミドル級王者の竹原慎二も、ローブローと思われるパンチを放ったと発言している。しかしこの試合のレフェリーを担当した試合役員・浅尾和信は亀田に対して注意・警告を行わなかった。また、試合後、相手がローブローだとアピールしている最中に、セコンドについた亀田史郎は、威嚇するようなそぶりを示した。
  • 11戦目(2006年5月5日):カルロス・ファハルド(ニカラグア 24戦15勝6敗1分2無効/当時IBFライトフライ級世界ランカー&WBCフライ級世界ランカー)
    • 視聴率:33.0%(関東地区)
    • ファハルドは、2005年の試合(KO負け)以来の試合。
  • 12戦目(2006年8月2日):ファン・ランダエタベネズエラ 24戦20勝3敗1分/元WBAミニマム級暫定王者&当時WBAライトフライ級1位)
    • 視聴率:42.4%(関東地区)、42.9%(関西地区)
    • WBAライトフライ級タイトル獲得。10代で世界王者となった日本人選手は、ファイティング原田(19歳6か月)、井岡弘樹(18歳9か月)に次ぎ3人目。この試合後から、その判定結果について業界内外から多数の賛否意見が寄せられた(「ファン・ランダエタとの対戦」参照)。
  • 13戦目(2006年12月20日):ファン・ランダエタ(ベネズエラ 25戦20勝4敗1分/元WBAミニマム級暫定王者&当時WBAライトフライ級1位 再戦)
    • 視聴率:30.1%(関東地区)、32.8%(関西地区)
  • 14戦目(2007年3月24日):エベラルド・モラレス(メキシコ 42戦28勝12敗2分/当時WBCフライ級13位)
    • 視聴率:16.2%(関東地区)
    • この試合後、レフェリングに関し父史郎がレフェリーを務めた浦谷信彰にした発言が問題となった[15]
  • 15戦目(2007年5月23日):イルファン・オガー(インドネシア 22戦16勝2敗4分/当時東洋太平洋ライトフライ級2位&インドネシア・ライトフライ級チャンピオン)
    • 視聴率:14.1%(関東地区)
    • 地元大阪で2年半振りの試合。1年ぶりのKO勝利。
    • ゲストの赤井英和はレフェリーストップのタイミングが早いと指摘した。
  • 16戦目(2007年7月28日):セサール・ロペス(アメリカ 24戦20勝4敗)
  • 17戦目(2008年3月22日):レクソン・フローレスフィリピン 25戦18勝3敗4分/当時WBOライトフライ級2位&WBAライトフライ級13位)
  • 18戦目(2008年7月12日):マリノ・モンティエル(メキシコ 43戦30勝12敗1分)
    • 初の海外(メキシコ)での試合。
  • 19戦目(2008年8月30日):サルバドール・モンテス(メキシコ 元メキシコフライ級王者)
  • 20戦目(2009年3月4日):ドローレス・ビダル(メキシコ 7戦1勝6敗/当時WBCフライ級20位)
  • 21戦目(2009年9月5日):ウンベルト・プール(メキシコ 26戦15勝8敗3分/元北米ライトフライ級王者)
  • 22戦目(2009年11月29日):内藤大助日本 40戦35勝22KO2敗3分)
    • WBC世界フライ級タイトルマッチ ※ここまで全て勝利。
    • 視聴率:43.1%(関東地区)
    • 6R終了時と7R終了後には瞬間最高視聴率51.2%を記録。プロボクシング中継では歴代2位の視聴率を達成。平均視聴率は2009年に放送された全番組の中で第1位となった。
  • 23戦目(2010年3月27日):ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ 78戦74勝3敗1分/当時WBCフライ級暫定王者)
    • WBC世界フライ級王座統一戦
    • 12Rで判定負け。初の敗北を喫し、王座陥落となった。
    • 視聴率:22.1%(関東地区)
  • 24戦目(2010年7月25日):セシリオ・サントス (メキシコ 41戦24勝14KO14敗3分)
    • 4回KO勝ちで再起。
  • 25戦目(2010年12月26日):アレクサンデル・ムニョス (ベネズエラ 38戦35勝27KO3敗)
    • 12R判定勝ちを収めて3階級制覇を達成した。
  • 26戦目(2011年5月7日):ダニエル・ディアス(ニカラグア 20戦18勝13KO2敗)
    • 11R終了TKO勝ちを収めて初防衛に成功した。

※視聴率はビデオリサーチ調べ。

  • その知名度からしばしば日本人からの対戦要求を受けてはいたが、プロデビューから6年にわたり日本人との対戦を行わなかった。特にWBC世界フライ級チャンピオンの内藤大助は、かつて興毅に「6回戦レベルの選手」などと挑発され、数度にわたり公の場で対戦を希望していた。だが内藤は対戦拒否を表明するも、大毅が内藤に謝罪をして和解が成立した。興毅はその内藤と、2009年11月29日にWBC世界フライ級のタイトルを賭け対戦、判定勝利を収め2階級制覇を達成した。
  • 興毅のデビューから8戦目まで対戦相手は全てタイ選手である。こればかりが理由というわけではないが、JBCは2007年7月24日にタイ選手の出場を制限する処置をとっている[16]

メディアの反応・評価

2000年前後から「大阪から世界を狙うボクシング一家」として、TBSが亀田親子に密着取材を続けており、特集を組んだ番組も何本か放映されていた。その後興毅がプロボクサーとしてデビューし、協栄ジムに移籍、それに伴って上京をしてからメディアに取り扱われるようになった。

興毅が初の世界戦に臨んだ2006年8月当初の時点で、日本国内のボクシングジムには新井田豊WBAミニマム級)、徳山昌守WBCスーパーフライ級)、イーグル・デーン・ジュンラパン(WBCミニマム級)、長谷川穂積(WBCバンタム級)、名城信男(WBAスーパーフライ級)ら5人の世界王者がおり、また、同時期の世界王者として2006年1月に日本人最年長世界王座奪取を達成した越本隆志(WBCフェザー級、2006年7月に初防衛戦に失敗して引退)が在籍していた。

こうした中で起こった“亀田ブーム”に関し、亀田三兄弟の実力には業界内外で賛否の声が上げられている。また、かつてWBAジュニアフライ級世界王座を13回防衛した具志堅用高は、毎日新聞のインタビュー記事で「金をかければ、そんなに簡単に世界挑戦できるのか」と厳しく批判していた[17]

ファン・ランダエタとの対戦

初対戦

カルロス・ファハルドをフライ級の試合で下した後、階級を1つ下のライトフライ級に落とし、WBAライトフライ級2位にランキングされる。そして2006年8月2日、同級王者だったロベルト・バスケスの王座返上に伴って行われたタイトルマッチにて、同級ランキング1位(ただし、ランダエタは、世界戦の前にライトフライ級で試合をしていない。)で元ミニマム級世界暫定王者ファン・ランダエタと対戦し、2-1で判定勝利し、WBAライトフライ級王座を獲得した。試合前に興毅が「(勝ったら)ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは本来のチャンピオンベルト以外に父・史郎に対するベルトを事前に用意し、試合後にそれを贈呈した。しかしながら、結果的にWBAがあらかじめそれを用意していたことが、後述の八百長疑惑に油を注ぐ形となってしまった。インタビューでは泣きながら「ありがとうございます」と敬語で発言した。

判定結果に対するメディア・関係者からの反応

(※ボクシングの採点方法に関しては、ボクシングの採点方法も参照のこと)

この試合について毎日新聞読売新聞などのメディアは、最終ラウンドで一人のジャッジだけが興毅の方を高く採点していたこと(この試合の採点については[1]を参照。)等に言及し、試合の判定結果について疑問を呈する記事を掲載した。ボクシング・マガジン2006年9月号では、表紙に大きな文字で「判定に疑義沸騰」と記され、試合レポートでも記者が「明確な差をもってランダエタが勝利していた」と述べた。試合を放映したTBSに視聴者から5万件を超える抗議電話の他、JBCにも多くの抗議が電話・メール等で寄せられた[18]

ボクシング関係者の反応は様々であり、元ボクシング世界王者の渡嘉敷勝男は興毅の健闘をたたえ、公式判定の内容を支持する旨の発言をした。一方ガッツ石松薬師寺保栄平仲明信らは、5 - 7点差でランダエタ優勢となった独自の採点結果をもとに、判定結果を批判した。また、今後のボクシング界に与える悪影響を懸念する旨の発言をした。また、元日本スーパーライト級王者で後に世界挑戦をする佐々木基樹は、自身のブログで、いかなる判定が下ろうと、興毅は悪くないと述べている。井岡弘樹は、興毅の小差劣勢であるとしながらも、判定結果への批判はせず興毅の健闘を称えた。浜田剛史は「このままでは世界では通用しない」と指摘した。ファイティング原田具志堅用高のように、試合に対して明言を避けた者も多い。

ボクシング関係者以外でも賛否は分かれ、朝青龍星野仙一橋下徹清原和博上村愛子らからは擁護意見、やくみつる立川談志野末陳平安部譲二やしきたかじん二宮清純らからは批判的な意見が寄せられた。このうち二宮清純は、8月2日はボクシングが死んだ日と話す一方で、判定についての抗議が多数発生したことに関して「日本人はフェアプレイを愛する」と評価した。立川、野末の両名は自身のテレビ番組「談志・陳平の言いたい放だい」で試合を批判、当時亀田が所属していた協栄ジムの金平会長も批判した。また、上村愛子は自身のブログで試合内容を賞賛したため、彼女のブログは炎上した。

ベネズエラ日本大使館には、ランダエタに宛てて2500通以上の応援の手紙やメールが寄せられた[19]。また在日ベネズエラ大使館には「こんな試合で日本人として申し訳ない」「国として抗議したらどうだろうか」という、ランダエタを激励する電話が100件単位で寄せられており、ベネズエラ大使館側も「こんなことは前例が無い」と話している。

協栄ジムの公式サイト掲示板は、判定に対する批判的な書き込みが集中的に行われたために閉鎖された。

再戦

WBAはこの試合の後に発表した2006年8月期の世界ランキングにおいて、ランダエタの世界ランキングを1位に据え置いた[20]。 WBAの規定では、王座決定戦で戴冠した新王者の初防衛戦は、ランキング1位の者と行う指名試合とするよう定められており、2006年8月31日、協栄ジムは、同年10月18日に東京有明コロシアムで初防衛戦を行い、ランダエタと再戦すると発表した。 しかし10月2日、興毅が9月29日のスパーリング中に目にけがをしたとして再戦を延期することが協栄ジムから発表された[21]。その後、再戦は12月20日に行われることになった。この会見の場に興毅本人は姿を現さず、治療に当たったとされる医師の診断書がジム側から提示されるにとどまったこと等に言及し、一部からはけがの信憑性について疑問の声が挙がった。 10月7日付のデイリースポーツ紙上にて「初公開!これが興毅抜糸写真だ」として、抜糸直後とされる興毅の顔写真が発表された[22]。また10月10日にも本人が記者の前で負傷箇所を公開している。2006年12月20日、興毅はファン・ランダエタと対戦、この試合ではヒットアンドアウェイ戦法でポイントを稼ぎ、判定勝ちを収めた。

その後、亀田側が協栄ジム金平会長の承諾を得ずにタイトルを返上したため、協栄ジムは、試合で得られる利益を得られなかった。

エピソード

  • 2006年7月25日、世界初挑戦となるファン・ランダエタ戦を目前に、大手コンビニチェーンのローソンが応援企画として、亀田の夏祭りシリーズ『チャンピオン・獲っタルぞ!弁当』、『メンチ切ってカツサンド』、『浪速乃闘拳サラダ』、『亀田の夏闘拳そば』など、亀田興毅の好物に因んだネーミングで弁当を販売。当初の予定によると、全国の各店舗で3週間限定の販売であった。 しかしランダエタ戦後、疑惑の判定を巡って亀田グッズを企画・販売した企業側にも批判が及んだ。[23]

獲得タイトル

アマチュアボクシング

プロボクシング

  • 第33代OPBF東洋太平洋フライ級王座(防衛0=返上)
  • 第22代WBA世界ライトフライ級王座(防衛1=返上)
  • 第4代WBAインターコンチネンタルフライ級王座(防衛0)
  • 第36代WBC世界フライ級王座(防衛0)
  • 第91代WBA世界バンタム級王座(防衛1)

受賞歴

著書

メディア出演

テレビ

ラジオ

  • 爆笑問題の日曜サンデー(2009年12月6日、TBSラジオ)
  • アリス イン ワンダーランド公開記念 亀田兄弟のオールナイトニッポン(2010年4月2日、ニッポン放送)

CM

  • 明治製菓 - XYLISH SHOW!(世界タイトル獲得後、特設サイトから動画が削除された)
  • アメーバピグ (2011年3月28日 - )

脚注

  1. ^ TBS「zone」第67回「ボクシング ナニワのボクシング3兄弟」2001年5月6日放送分
  2. ^ 亀田が協栄ジムへ 移籍金3000万円”. 読売新聞 (2005年4月29日). 11月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  3. ^ 亀田史郎辞任 興毅が丸刈り謝罪、反則指示認める”. 産経新聞 (2007年10月26日). 11月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  4. ^ “興毅が亀田プロ社長に 史郎氏からバトン” (日本語). デイリースポーツ. (2010年11月5日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/headlines/20101105-00000043-dal-fight.html 2010年11月17日閲覧。 
  5. ^ 亀田兄3階級制覇 WBA世界バンタム級王座決定戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年12月27日
  6. ^ 亀田初防衛 ディアスにTKO勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2011年5月7日
  7. ^ やくみつるは、テレビ番組内において、亀田に敬語を使うよう促した。
  8. ^ 亀田興毅、計量前日でも食べ放題!「5月5日やから5R以内に倒すよ」”. スポーツナビ (2006年5月3日). 11月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  9. ^ 興毅、前日計量でランダエタの挑発に“マジギレ””. スポーツニッポン新聞社 (2006年8月2日). 11月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  10. ^ 乳幼児期に離乳食として母親に与えられたのがきっかけで好物となり、自宅には納豆専用のミニ冷蔵庫を備え、現在では一日3パックを食べているという。なお、母親は以前から納豆を食べる習慣があったが、父親の史郎は納豆が全く食べられない。
  11. ^ 2009年11月30日放送『ひるおび!』より
  12. ^ 亀田興「尊敬されるビッグな王者になりたい」=試合後コメント”. スポーツナビ (2009年11月29日). 11月30日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  13. ^ 2010年1月30日放送『せやねん!』より。VTRで自ら言及
  14. ^ サマンは1990年代八尋史朗らを相手にライトフライ級王座を10度防衛したが、王座転落後、2002年4月12日の試合を最後に現役を引退。その後、約3年のブランクを経て35歳で現役復帰(復帰後の戦績は亀田興毅戦も含め3戦3敗2KO)。亀田戦の後に現役を退いている。
  15. ^ 亀田父が審判を脅迫 ライセンス停止のピンチ”. J-CASTニュース (2007年4月12日). 11月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  16. ^ パンチ当たらず倒れるタイ選手 9勝266敗5分驚愕の裏事情”. J-CASTニュース (2007年7月25日). 11月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  17. ^ 2006年2月26日毎日新聞
  18. ^ 亀田世界戦中継TBSに5万5000件の抗議”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2006年8月4日). 11月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  19. ^ 大使館にメール殺到「ランダエタ、君こそ王者だ」”. 読売新聞 (2006年8月5日). 11月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  20. ^ 通常、直近の世界タイトルマッチに敗れた選手はランキングが2位ないし5位程度まで下がるものであるが、このランキングは単純に試合結果や担当ジャッジの判断だけで動くのではなく、試合内容やWBAによる試合の査定を元に判断する。そのため、試合の判定では負けとされても、WBAの裁量によっては、ランキングが下降しない場合がある。また、WBAには試合結果と別に試合を査定する権利があるため、試合の当事者が試合結果を不服とした場合、その不服申し立てが正当であれば再試合を命令するなどして、試合結果を改めさせることもできる。
  21. ^ 協栄ジム側の発表では、怪我の程度は左眼瞼挫創(がんけんざそう)で、八針縫うものだったとしている。
  22. ^ 初公開! これが興毅抜糸写真だ”. デイリースポーツ (2006年10月7日). 11月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  23. ^ ローソン、明治製菓 「スポンサーやめろ」の大合唱 Livedoorニュース、2006年08月04日
  24. ^ 長谷川が2年連続MVP 最高試合は西岡×ゴンサレス戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年1月6日
  25. ^ 西岡が10年MVPに ボクシングニュース「Box-on!」 2010年12月28日

関連項目

外部リンク

前王者
ワンミーチョーク・シンワンチャー
第33代OPBFフライ級王者

2005年8月21日 - 2005年9月30日(返上)

空位
次タイトル獲得者
小松則幸
空位
前タイトル保持者
ロベルト・バスケス
第21代WBA世界ライトフライ級王者

2006年8月2日 - 2007年1月18日(返上)

空位
次タイトル獲得者
ファン・カルロス・レベコ
空位
前タイトル保持者
ブライム・アスロウム
第4代WBAインターコンチネンタルフライ級王者

2008年8月30日 - 現在

次王者
N/A
前王者
内藤大助
第36代WBC世界フライ級王者

2009年11月29日 - 2010年3月27日

次王者
ポンサクレック・ウォンジョンカム
前王者
アンセルモ・モレノ
第91代WBA世界バンタム級王者

2010年12月26日 - 現在

次王者
N/A