「剛竜馬」の版間の差分

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=== 新日本プロレス時代 ===
[[1978年]]に突如フリー宣言して国際プロレスを退団し、当時売り出し中の[[藤波辰爾|藤波辰巳]]を中心にジュニアブームを起こしていた[[新日本プロレス]]に、藤波との一騎討ちを直訴する<ref group="†">[[1974年]]には先輩の[[ストロング小林]]が[[アントニオ猪木]]への挑戦を掲げ、同様に国際から新日本にフリー参戦している</ref>。この時の意気込みを「Do my Best!」と語り、[[ヒロ・マツダ]]率いる『'''[[狼軍団]]'''』の一員として[[上田馬之助 (プロレスラー)|上田馬之助]]、[[マサ斎藤]]、[[サンダー杉山]]らと共闘。プレ日本選手権で長州に快勝し、藤波が保持する[[WWE#日本との関係|WWWF(WWF)ジュニアヘビー級選手権王座]]に同年7月と11月の2度挑戦したが、善戦虚しく連敗した。
 
[[フロリダ州]][[タンパ]]のマツダ道場に渡って改めて修行を積み、[[1979年]]10月2日の3度目の挑戦([[大阪府立体育会館]])ではコーナーポスト上からの場外[[プランチャ・スイシーダ]]を炸裂させ、[[フォール技#丸め込み技|逆さ押さえ込み]]で藤波に初勝利しタイトル奪取するも、リマッチ([[蔵前国技館]]<ref group="†">メインは猪木対タイガー・ジェット・シンのオイルデスマッチ</ref>)に敗れ2日天下に終わった。これにより藤波を生涯のライバルと定め、新日本に正式入団する。
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