「カルロ・サルヴァトーレ・ダズブルゴ=トスカーナ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
ZéroBot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: ro:Arhiducele Karl Salvator, Prinț de Toscana
37行目: 37行目:
[[pl:Karol Salwator]]
[[pl:Karol Salwator]]
[[pt:Carlos Salvador da Áustria]]
[[pt:Carlos Salvador da Áustria]]
[[ro:Arhiducele Karl Salvator, Prinț de Toscana]]
[[sv:Karl Salvator av Toscana]]
[[sv:Karl Salvator av Toscana]]

2011年5月29日 (日) 12:28時点における版

カルロ・サルヴァトーレ(1880年頃)

カルロ・サルヴァトーレ・ダズブルゴ=トスカーナ(Carlo Salvatore d'Asburgo-Toscana, 1839年4月30日 - 1892年1月18日)は、トスカーナ大公レオポルド2世の次男で、最後の大公フェルディナンド4世の弟。トスカーナ系ハプスブルク家の一員であり、またオーストリア=ハンガリー帝国陸軍の将軍となった。ドイツ語名はカール・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナ(Karl Salvator von Österreich-Toskana)。オーストリア皇族としての大公(Erzherzog)の称号を有する。

レオポルド2世と、2番目の妃である両シチリアフランチェスコ1世の娘マリア・アントニアの間の第5子として、フィレンツェに生まれる。1860年にトスカーナ大公国はサルデーニャ王国に併合され(翌1861年にイタリア王国が成立)、以後トスカーナ大公家はオーストリアのハプスブルク家宗家を頼ることになった。

1861年9月19日、元両シチリア王フランチェスコ2世(両シチリア王国も1860年にサルデーニャに併合された)の妹である従妹のマリア・インマコラータと、ローマで結婚した。2人の間には11人の子供が生まれた(名前はドイツ名で記す)。

カルロ・サルヴァトーレは1892年にウィーンで死去した。