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日本に古くから野生していた日本固有の[[柑橘類|カンキツ]]である。[[和歌山県]]、[[三重県]]、[[山口県]]、[[四国]]、[[九州]]の海岸に近い山地にまれに自生する。近縁種には[[コウライタチバナ]](''C. nipponokoreana'')があり、[[萩市]]と韓国の[[済州島]]にのみ自生する(萩市に自生しているものは[[レッドリスト|絶滅危惧IA類]]に指定され、国の[[天然記念物]]となっている)。 |
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静岡県[[沼津市]]戸田地区(旧[[戸田村]])に、国内北限の自生地が存在する。 |
静岡県[[沼津市]]戸田地区(旧[[戸田村 (静岡県)|戸田村]])に、国内北限の自生地が存在する。 |
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日本では、その実や葉、花は文様や家紋のデザインに用いられ、近代では[[勲章]]のデザインに採用されている。 |
日本では、その実や葉、花は文様や家紋のデザインに用いられ、近代では[[勲章]]のデザインに採用されている。 |
2011年5月27日 (金) 12:22時点における版
タチバナ | |||||||||||||||||||||||||||
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保全状況評価 | |||||||||||||||||||||||||||
絶滅危惧II類(環境省レッドリスト) | |||||||||||||||||||||||||||
分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Citrus tachibana (Makino) Tanaka | |||||||||||||||||||||||||||
和名 | |||||||||||||||||||||||||||
タチバナ、ヤマトタチバナ、 ニッポンタチバナ |
タチバナ(橘、学名:Citrus tachibana)は、ミカン科ミカン属の常緑小高木。別名はヤマトタチバナ、ニッポンタチバナ。
概要
日本に古くから野生していた日本固有のカンキツである。和歌山県、三重県、山口県、四国、九州の海岸に近い山地にまれに自生する。近縁種にはコウライタチバナ(C. nipponokoreana)があり、萩市と韓国の済州島にのみ自生する(萩市に自生しているものは絶滅危惧IA類に指定され、国の天然記念物となっている)。
静岡県沼津市戸田地区(旧戸田村)に、国内北限の自生地が存在する。
日本では、その実や葉、花は文様や家紋のデザインに用いられ、近代では勲章のデザインに採用されている。
特徴
樹高は2メートルから4メートル、枝は緑色で密に生え、若い幹には棘がある。
葉は固く、楕円形で長さ3センチメートルから6センチメートルほどに成長し、濃い緑色で光沢がある。
果実は滑らかで、直径3センチメートルほど。キシュウミカンやウンシュウミカンに似た外見をしているが、酸味が強く生食用には向かないが、マーマレードなどの加工品にされることがある。
タチバナの名称で苗が園芸店で売られていることがあるが、ニホンタチバナではなくコウライタチバナと区別されず混同されていることがある。コウライタチバナは、葉や実がタチバナより大きく、実がでこぼこしているのが特徴である。
文化
日本では固有のカンキツ類で、実より花や常緑の葉が注目された。マツなどと同様、常緑が「永遠」を喩えるということで喜ばれた。
古事記、日本書紀には、垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)・非時香木実(時じくの香の木の実)」と呼ばれる不老不死の力を持った(永遠の命をもたらす)霊薬を持ち帰らせたという話が記されている。古事記の本文では非時香菓を「是今橘也」(これ今の橘なり)とする由来から京都御所紫宸殿では「右近橘[1]、左近桜」として橘が植えられている。ただし、実際に『古事記』に登場するものが橘そのものであるかについてはわかっていない。
奈良時代、その「右近の橘」を元明天皇が寵愛し、葛城王に橘姓を下賜したことにより橘氏が生まれた。
1937年に制定された文化勲章は橘をデザインしている。当初の意匠案は桜をデザインしたものであったが、昭和天皇の「文化は永遠である」という意見により、咲いて散る桜ではなく、常緑の橘を勲章にしたという。
家紋
橘紋(たちばなもん)は、タチバナの実と葉を図案化した家紋である。文様としては平安時代末期ごろに現れ、江戸時代には90家余りの旗本が用い、蔦紋や桐紋などとともに十大紋の一つに挙げられている。元明天皇が、葛城王に橘姓を下賜したことにちなみ橘系の氏族が家紋として用いた。『見聞諸家紋』に記された、薬師寺氏(丸に三つ立ち橘)、小寺氏(藤巴に三つ橘)が文献上の初見である。
使用
井伊氏、黒田氏などが用い、黒田氏の橘紋の由来は、黒田職高が小寺氏に仕えた際に下賜されたことからであり、井伊氏は、井伊共保が生まれた際の故事にちなむとされる。なお日蓮宗の寺紋「井桁に橘・日蓮宗橘」は、開祖の日蓮が井伊氏一族の出身であることに由来するという[2][3]。
京都府八幡市の「石清水八幡宮」では、八幡神を勧請した僧・行教の紋が橘であったため、橘紋と三つ巴が神紋とされている。また本殿の彫刻には真ん中に橘の実があり、その実の両側から鳩が向かい合っている形のものがある。本殿前には左右共に橘の木が植えられており、授与品としてこの橘の実を使った御神酒も作られている。
図案
『法然上人絵伝』に見られ、構図の種類には「橘」、「丸に橘」、「井桁に橘」、「三つ葉橘」などがある。同様の図案で「茶の実紋(ちゃのみもん)」があるが、チャノキの実を図案化したもので橘紋の実の部分に3枚の葉がない構図である。
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彦根橘
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三つ組み合わせ陰橘
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五つ寄せ橘
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三つ橘