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[[File:日本遺族会・正面外観.jpg|thumb|right|200px|九段会館<br />日本遺族会の関連施設]]
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'''日本遺族会'''(にほんいぞくかい)は、[[戦没者]][[遺族]]の相互扶助を目的に作られた日本の団体である。
'''日本遺族会'''(にほんいぞくかい)は、[[戦没者]][[遺族]]の相互扶助を目的に作られた日本の団体である。

2011年5月7日 (土) 12:40時点における版

九段会館
日本遺族会の関連施設

日本遺族会(にほんいぞくかい)は、戦没者遺族の相互扶助を目的に作られた日本の団体である。

概説

1947年に「日本遺族厚生連盟」として設立された。

本部:東京都千代田区九段南一丁目6-5 九段会館

目的

当初の会則では「遺族の救済と相互扶助、以って戦争を防止し、世界の恒久平和を確立し、全人類福祉の為に貢献」を目的とした。初代理事長(1948年から「会長」に改称)は貴族院議員・長島銀蔵。大谷藤之助(海軍中佐、元大本営参謀 靖国神社事務総長)の推薦を受けて就任。当時の本部は神奈川県厚生連盟内で、靖国内に連絡所が置かれた。

1953年財団法人への改組と共に、その目的は「英霊の顕彰、戦没者遺族の福祉の増進、慰藉救済の道を開くとともに、道義の昂揚、品性の涵養に努め、平和日本の建設に貢献することを目的とする」と変更された。

活動など

傘下に政治団体日本遺族政治連盟を持つ。

1979年、「国家のために父を捧げた遺児」のための記念施設の建設を政府に働きかけ始めた。厚生省は遺族会の要望を支持し、1985年7月に厚生大臣私的諮問機関として「戦没者遺児記念館に関する懇談会」を発足させた。1992年8月には基本計画を策定し、翌93年度の政府予算に計上する過程で、「戦没者追悼平和記念館」と改称し、国会の委員会審議において公表された。

靖国神社に代わる戦没者追悼国立施設の設置”には反対の立場を取っていたが、昭和天皇が靖国神社参拝を中止した理由がA級戦犯の合祀とされる富田メモが見つかったため、分祀の検討を会長の古賀誠が講演で述べた。現在の遺族会は靖国神社問題を解決する手段として戦没者追悼国立施設の設立を積極的に要求しており、2007年自由民主党総裁選挙でも、戦没者追悼国立施設の設置を発案者である福田康夫支持を表明した。[1]

九段会館・外観全景

皇国史観的な立場を維持しつつ、政府との緊密な結びつきを確固たるものとし、さらに政府からの莫大な援助を受けている。1953年以来、政府は日本遺族会に対する国有財産無償貸付法によって九段会館(旧称「軍人会館」。遺族会本部でもある)をレストランや結婚式場ごと無償で遺族会に貸し出している。

1962年賀屋興宣が会長に就任した。2024年4月現在の会長は自由民主党衆議院議員古賀誠、副会長は同じく自民党の参議院議員尾辻秀久

遺族会は靖国神社など特定の宗教団体と密接な関係がある。自民党中枢の人物からも支援されており、1993年から95年にかけて会長を歴任した橋本龍太郎は、遺族会が記念施設の建設を要望した1979年当時の厚生大臣でもあった。

太平洋戦争を肯定的に捉える方針に反発する遺族は、別団体「平和遺族会」を結成している。

関連項目

外部リンク