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'''1938 FIFAワールドカップ'''は、[[1938年]][[6月4日]]から[[6月19日]]にかけて、[[フランス]]で開催された第3回[[FIFAワールドカップ]]である。 |
'''1938 FIFAワールドカップ'''({{lang-en-short|1938 FIFA World Cup}})は、[[1938年]][[6月4日]]から[[6月19日]]にかけて、[[フランス]]で開催された第3回[[FIFAワールドカップ]]である。 |
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== 概要 == |
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開催国がフランスに決定したのは、[[ジュール・リメ]][[国際サッカー連盟|FIFA]]会長の功績を称えるためというのが一般的な説である<ref name="千田善39頁">[[#千田2006|千田2006]]、39頁</ref>。[[国際サッカー連盟|FIFA]]の2大会連続で[[ヨーロッパ]]で開催するという決定は、大会が2つの大陸の間で交互に行われると考えていた[[南アメリカ]]で大問題になり、[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]と[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]が参加を辞退した<ref name="千田善39頁"></ref>。 |
開催国がフランスに決定したのは、[[ジュール・リメ]][[国際サッカー連盟|FIFA]]会長の功績を称えるためというのが一般的な説である<ref name="千田善39頁">[[#千田2006|千田2006]]、39頁</ref>。[[国際サッカー連盟|FIFA]]の2大会連続で[[ヨーロッパ]]で開催するという決定は、大会が2つの大陸の間で交互に行われると考えていた[[南アメリカ]]で大問題になり、[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]と[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]が参加を辞退した<ref name="千田善39頁"></ref>。 |
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前回優勝国が自動的に予選を免除された初めての大会であり、予選免除の[[サッカーイタリア代表|イタリア]] |
前回優勝国が自動的に予選を免除された初めての大会であり、予選免除の[[サッカーイタリア代表|イタリア]]以外の15カ国が予選を突破した。[[サッカーオーストリア代表|オーストリア代表]]は予選を通過したが、大会の3か月前に国家が[[アンシュルス|ドイツに併合]]されたため、[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン]]が代わりに準々決勝から参加した<ref>[[#千田2006|千田2006]]、40頁</ref>。優勝候補の一つでもあったオーストリア代表の主力は[[サッカードイツ代表|ドイツ代表]]に取り込まれたが、先発出場する11人の過半数がオーストリア人にならないように配慮された<ref>[[#千田2006|千田2006]]、42頁</ref>。第1ラウンドの5つの試合が[[延長戦]]になり、さらに2試合が[[再試合]]となった。再試合の[[サッカースイス代表|スイス]]対[[サッカードイツ代表|ドイツ]]戦は4対2でスイスが勝ち抜き、もう1試合では[[サッカーキューバ代表|キューバ]]が[[サッカールーマニア代表|ルーマニア]]を下した。 |
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スウェーデンは途中からの参加となったが、キューバを8対0で下し、実力を発揮した。[[サッカーフランス代表|フランス]]はイタリアに敗れ、スイスは[[サッカーハンガリー代表|ハンガリー]]に敗れた。[[サッカーチェコスロバキア代表|チェコスロバキア]]は[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]を再試合まで持ち込んだが、再試合でブラジルに2対1で敗れている。 |
スウェーデンは途中からの参加となったが、キューバを8対0で下し、実力を発揮した。[[サッカーフランス代表|フランス]]はイタリアに敗れ、スイスは[[サッカーハンガリー代表|ハンガリー]]に敗れた。[[サッカーチェコスロバキア代表|チェコスロバキア]]は[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]を再試合まで持ち込んだが、再試合でブラジルに2対1で敗れている。 |
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== 出場国 == |
== 出場国 == |
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'''ヨーロッパ''' |
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== 結果 == |
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2011年4月25日 (月) 21:26時点における版
1938 FIFAワールドカップ 1938 FIFA World Cup Coupe du monde de football de 1938 | |
---|---|
大会概要 | |
開催国 | フランス |
日程 | 1938年6月4日 - 6月19日 |
チーム数 | 15 (4連盟) |
開催地数 | 10 (10都市) |
大会結果 | |
優勝 | イタリア (2回目) |
準優勝 | ハンガリー |
3位 | ブラジル |
4位 | スウェーデン |
大会統計 | |
試合数 | 18試合 |
ゴール数 |
84点 (1試合平均 4.67点) |
総入場者数 |
483,000人 (1試合平均 26,833人) |
得点王 | レオニダス(7点) |
< 19341950 > |
1938 FIFAワールドカップ(英: 1938 FIFA World Cup)は、1938年6月4日から6月19日にかけて、フランスで開催された第3回FIFAワールドカップである。
概要
開催国がフランスに決定したのは、ジュール・リメFIFA会長の功績を称えるためというのが一般的な説である[1]。FIFAの2大会連続でヨーロッパで開催するという決定は、大会が2つの大陸の間で交互に行われると考えていた南アメリカで大問題になり、ウルグアイとアルゼンチンが参加を辞退した[1]。
前回優勝国が自動的に予選を免除された初めての大会であり、予選免除のイタリア以外の15カ国が予選を突破した。オーストリア代表は予選を通過したが、大会の3か月前に国家がドイツに併合されたため、スウェーデンが代わりに準々決勝から参加した[2]。優勝候補の一つでもあったオーストリア代表の主力はドイツ代表に取り込まれたが、先発出場する11人の過半数がオーストリア人にならないように配慮された[3]。第1ラウンドの5つの試合が延長戦になり、さらに2試合が再試合となった。再試合のスイス対ドイツ戦は4対2でスイスが勝ち抜き、もう1試合ではキューバがルーマニアを下した。
スウェーデンは途中からの参加となったが、キューバを8対0で下し、実力を発揮した。フランスはイタリアに敗れ、スイスはハンガリーに敗れた。チェコスロバキアはブラジルを再試合まで持ち込んだが、再試合でブラジルに2対1で敗れている。
ハンガリーは準決勝でスウェーデンを5対1で下し、イタリア対ブラジル戦は2対1でイタリアが勝利した。3位決定戦はブラジルがスウェーデンを4対2で下した。
決勝戦はパリのコロンブ・スタジアムで行われた。ヴィットーリオ・ポッツォに指揮されたイタリアが、始めにリードを奪ったが、2分以内にハンガリーが追いついた。イタリアはその後2点を追加し、前半終了時点で3対1とリードしていた。後半は両チームが1点ずつ加点し、イタリアが4対2でワールドカップ初の連覇を達成した。
この大会は第二次世界大戦前最後のワールドカップで、次に開催されたのは12年後の1950年である。
出場国
ヨーロッパ
- フランス(開催国、3大会連続3度目)
- イタリア(前回優勝国、2大会連続2度目)
- ベルギー(3大会連続3度目)
- ルーマニア(3大会連続3度目)
- ドイツ(2大会連続2度目)
- オランダ(2大会連続2度目)
- スウェーデン(2大会連続2度目)
- ハンガリー(2大会連続2度目)
- チェコスロバキア(2大会連続2度目)
- スイス(2大会連続2度目)
- ノルウェー(初出場)
- ポーランド(初出場)
( オーストリアは不参加)
南米
- ブラジル(3大会連続3度目)
北中米カリブ海
- キューバ(初出場)
アジア
- オランダ領東インド(初出場)
結果
ラウンド16 | 準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | |||||||||||
6月4日 - パリ (再試合 6月9日) | ||||||||||||||
ドイツ | 1 (2) | |||||||||||||
6月12日 - リール | ||||||||||||||
スイス | 1 (4) | |||||||||||||
スイス | 0 | |||||||||||||
6月5日 - ランス | ||||||||||||||
ハンガリー | 2 | |||||||||||||
ハンガリー | 6 | |||||||||||||
6月16日 - パリ | ||||||||||||||
オランダ領東インド | 0 | |||||||||||||
ハンガリー | 5 | |||||||||||||
6月5日 - リヨン | ||||||||||||||
スウェーデン | 1 | |||||||||||||
スウェーデン | w/o | |||||||||||||
6月12日 - アンティーブ | ||||||||||||||
オーストリア[4] | - | |||||||||||||
スウェーデン | 8 | |||||||||||||
6月5日 - トゥールーズ (再試合 6月9日) | ||||||||||||||
キューバ | 0 | |||||||||||||
キューバ | 3 (2) | |||||||||||||
6月19日 - パリ | ||||||||||||||
ルーマニア | 3 (1) | |||||||||||||
ハンガリー | 2 | |||||||||||||
6月5日 - パリ | ||||||||||||||
イタリア | 4 | |||||||||||||
フランス | 3 | |||||||||||||
6月12日 - パリ | ||||||||||||||
ベルギー | 1 | |||||||||||||
フランス | 1 | |||||||||||||
6月5日 - マルセイユ | ||||||||||||||
イタリア | 3 | |||||||||||||
イタリア (aet) | 2 | |||||||||||||
6月16日 - マルセイユ | ||||||||||||||
ノルウェー | 1 | |||||||||||||
イタリア | 2 | |||||||||||||
6月5日 - ストラスブール | ||||||||||||||
ブラジル | 1 | 3位決定戦 | ||||||||||||
ブラジル (aet) | 6 | |||||||||||||
6月12日 - ボルドー (再試合 6月14日) | 6月19日 - ボルドー | |||||||||||||
ポーランド | 5 | |||||||||||||
ブラジル | 1 (2) | スウェーデン | 2 | |||||||||||
6月5日 - ル・アーヴル | ||||||||||||||
チェコスロバキア | 1 (1) | ブラジル | 4 | |||||||||||
チェコスロバキア (aet) | 3 | |||||||||||||
オランダ | 0 | |||||||||||||
1回戦
ブラジル | 6 – 5 (延長) |
ポーランド |
---|---|---|
レオニダス 18分 93分 104分 ロメウ 25分 ペラシオ 44分 71分 |
レポート | シェルフケ 23分 (pen.) ヴィリモフスキ 53分 59分 89分 118分 |
再試合
準々決勝
再試合
準決勝
3位決定戦
決勝
優勝国
1938 FIFA ワールドカップ優勝国 |
---|
イタリア 2大会連続2回目 |
得点ランキング
順位 | 選手名 | 国籍 | 点数 |
---|---|---|---|
1 | レオニダス | ブラジル | 7 |
2 | ジェンゲッレール・ジュラ | ハンガリー | 6 |
3 | シャーロシ・ジェルジ | ハンガリー | 5 |
シルヴィオ・ピオラ | イタリア | ||
5 | ジーノ・コラウッシ | イタリア | 4 |
エルンスト・ヴィリモフスキ | ポーランド | ||
7 | ロメウ | ブラジル | 3 |
ペラシオ | ブラジル | ||
トレ・ケレル | スウェーデン | ||
アルネ・ニーベリ | スウェーデン | ||
グスタフ・ヴェッテルストレム | スウェーデン | ||
アンドレ・アベッグレン | スイス |
脚注
参考文献
- 千田善『ワールドカップの世界史』、みすず書房、2006年