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'''ミーカ'''('''Mika'''、[[1983年]][[8月18日]] - )は、[[レバノン]]出身、現在[[ロンドン]]在住の[[シンガー・ソングライター]][[音楽プロデューサー]]、および[[グラフィック・デザイナー]]である名は ''Michael Holbrook Penniman Jr''.<ref>{{cite news
'''ミーカ'''(Mika、[[1983年]][[8月18日]] - )は、[[レバノン]]出身、現在[[ロンドン]]在住の[[シンガー・ソングライター]][[音楽プロデューサー]]、[[グラフィック・デザイナー]]。[[英語人の短縮形|正式名]]は'''マイケル・ホルブルック・ペンニマン・ジュニア''' (Michael Holbrook Penniman, Jr.)<ref>{{cite news
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裏声を多用する高音のボーカルを武器に、ウィットに富んだ純度の高いポップチューンが特徴。その音楽性は、しばしば[[フレディ・マーキュリー]]、[[シザー・シスターズ]]、[[エルトン・ジョン]]らと比較される。そのスタイルからゲイではないかという憶測が生じ、本人はそれについての言を避けてきたが、2009年9月に発売されたオランダのゲイ雑誌ゲイ&ナイトで「僕のことを定義づける言葉が必要なら、[[バイセクシュアル]]を使えばいい」と述べた<ref>http://www.gay.eu/article/16135/</ref><ref>http://www.pinknews.co.uk/news/articles/2005-14195.html</ref>。
2007年にデビュー。裏声を多用する高音のボーカルを武器に、ウィットに富んだ純度の高いポップチューンが特徴。その音楽性は、しばしば[[フレディ・マーキュリー]]、[[シザー・シスターズ]]、[[エルトン・ジョン]]らと比較される。そのスタイルから[[ゲイ]]ではないかという憶測が生じ、本人はそれについての言を避けてきたが、2009年9月に発売されたオランダのゲイ雑誌ゲイ&ナイトで「僕のことを定義づける言葉が必要なら、[[バイセクシュアル]]を使えばいい」と述べた<ref>http://www.gay.eu/article/16135/</ref><ref>http://www.pinknews.co.uk/news/articles/2005-14195.html</ref>。


正式名「マイケル」(Michael) の[[英語人名の短縮形|短縮形]]が「ミカ」(Mica {{smaller|または}} Mika) で、このいずれもが[[本名]]である。当初は Mica の方を使っていたが、それが「マイカ」と誤読されることがあまりにも多いことに閉口して、これを Mika と改めた<ref>(August 21, 2007). "Mika: 10 things you never knew about your favourite star", ''[[The Gold Coast Bulletin]]'', p. 28。王立音楽大学のときに組んでいた日本人留学生の名の一部 Mika から着想したものだという。</ref>。デビュー当初日本でも「ミカ」と表記されるのが一般的だったが、日本語では同音の「美香」や「三佳」が女性の名を連想させるものであることから、やがてこれを「ミーカ」と改変して表記する媒体も現われ、しばらくはこの二つが混在していた。しかしアルバムが正式に日本でリリースされるのを機会に、以後の国内盤CDや音楽関係の印刷媒体においてはその名の表記を「ミーカ」に統一することが申し渡された。本項の記事名もこれに準拠してしている。
なお「Mika」のカタカナ表記について、当初は「ミカ」とも表記されていたが、アルバムが正式に[[日本]]でリリースされると国内盤およびその他において「ミーカ」と統一されて表記されているので本稿もそれに従う。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[レバノン]]の[[ベイルート]]にてアメリカ人の父とレバノン人の母のもと、5人兄弟の3番目として生まれる。姉2人、妹弟がいる。
[[レバノン]]の[[ベイルート]]アメリカ人の父とレバノン人の母のもと、5人兄弟の3番目として生まれる。姉がふたり、妹弟がひとりづついる。


1歳の時に戦火のため、家族はレバノンから[[パリ]]への移住を余儀なくされた。さらに、9歳の頃、父親が[[クウェート]]の[[アメリカ大使館]]に人質として監禁され、一家はイギリスの庇護を受けるために[[ロンドン]]に移住する。そのよ波乱に満ちた少年に、[[オペラ]]の訓練を受け音楽に目覚める。初めての作曲は7歳の時のことで、"Angry" というピアノ曲を作曲をしているが、本人によればこれは「ひどい」曲だったという。
1歳の時に[[レバノン内#多国籍軍撤退|内乱が再燃し収拾不能]]な状態となったため、家族は国外退去を余儀なくされて[[パリ]]への移住た。さらに、9歳の頃、こんどは父親が[[クウェート]]の[[アメリカ大使館]]に人質として監禁されると、一家はイギリスの庇護を受けるために[[ロンドン]]に移住する。そうした波乱に満ちた少年時代に、[[オペラ|オペラ声楽]]の訓練を受けたのきっかけとして音楽に目覚める。初めての作曲は7歳の時のことで、Angryというピアノ曲を作曲をしているが、本人によればこれは「ひどい」曲だったという。


ロンドンでは[[フランス]]人学校に入学するが、酷いいじめに遭い、[[難読症]]にも悩まされたため(現在も難読症である)、数ヶ月母親による家庭内教育を受けつつ、いくつかの学校を転々とした。この6~7ヶ月間の家庭学習期間に、[[ロシア]]人の[[ソプラノ]]歌手に歌の指導を受け始めた。大学は[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]に進学するが1日で退学し、名門音楽学校である[[王立音楽大学]]に入学した。それも中途退学すると、本格的なミュージシャンとして活動を始め、アルバムの制作にはいった。
ロンドンでは[[フランス]]人学校に入学するが、散々なイジメに遭い、[[難読症]]にも悩まされたため(現在も難読症である)、数ヶ月母親による家庭内教育を受けつつ、いくつかの学校を転々とした。この6~7ヶ月間の家庭学習期間に、[[ロシア]]人の[[ソプラノ]]歌手に歌の指導を受け始めた。大学は[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]に進学するが1日で退学し、名門音楽学校である[[王立音楽大学]]に入学した。それも中途退学すると、本格的なミュージシャンとして活動を始め、アルバムの制作にはいった。


=== 音楽活動 ===
=== 音楽活動 ===
デビュー前の活動としては、幼少時に行った[[ロイヤル・オペラハウス]]での[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]等クラシック曲のレコーディングから、航空会社ブリティッシュ・エアウェイズの機内曲、さらにチューインガムのCM曲製作まで多岐にわたっている。
デビュー前の活動としては、幼少時に行った[[ロイヤル・オペラハウス]]での[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]等クラシック曲のレコーディングから、航空会社ブリティッシュ・エアウェイズの機内曲、さらにチューインガムのCM曲製作まで多岐にわたっている。


かねてから学校の休暇中に渡米し、上記のような様々な音楽活動を行っていたが、[[2004年]]ごろから、主に[[マイアミ]]と[[ニューヨーク|NY]]を拠点として欧米各地でライブ活動を行うようになり、[[カナダ]]人のグレッグ・ウェルズをプロデューサーに迎えてアルバムの製作に着手する。
かねてから学校の休暇中に渡米し、上記のような様々な音楽活動を行っていたが、2004年ごろから、主に[[マイアミ]]と[[ニューヨーク]]を拠点として欧米各地でライブ活動を行うようになり、[[カナダ]]人のグレッグ・ウェルズをプロデューサーに迎えてアルバムの製作に着手する。


[[2006年]]に初シングルの『リラックス(テイク・イット・イージー)』をネット上で発表すると一躍人気を集め、翌年の初めには、その年の有望新人としてBBC等で大きく取り上げられるようになった。その直後に発売された『グレース・ケリー』はイギリスのシングルチャート1位を獲得、同年[[2月]]に発売されたデビューアルバムの『ライフ・イン・カートゥン・モーション』は、[[イギリス]]をはじめヨーロッパ諸国のヒットチャートで1位を記録する大ヒットとなった。
2006年に初シングルの『リラックステイク・イット・イージー』をネット上で発表すると一躍人気を集め、翌年の初めには、その年の有望新人としてBBC等で大きく取り上げられるようになった。その直後に発売された『グレース・ケリー』はイギリスのシングルチャート1位を獲得、同年2月に発売されたデビューアルバムの『ライフ・イン・カートゥン・モーション』は、[[イギリス]]をはじめヨーロッパ諸国のヒットチャートで1位を記録する大ヒットとなった。

== 音楽以外の活動 ==
モデルとして[[ポール・スミス]]の2007年春夏コレクションに登場し、[[渋谷駅]]前に特大ポスターが出現、話題となった。
アルバムジャケットのデザインを、実の姉で[[アーティスト]]であるヤスミーンと共に行う。2007年7月には、ロンドンの[[ソーホー]]にある[[ギャラリー]]にて姉と共同で個展を開催した。


== 音楽性 ==
== 音楽性 ==
Mikaは、好きな音楽のジャンルが極めて広いことで知られる。よく知られているものとしては[[ベック (歌手)|ベック]]、[[ビョーク]]、[[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]、[[セルジュ・ゲンスブール]]、[[ファイルーズ]]、[[ハリー・ニルソン]]など。
好きな音楽のジャンルが極めて広い。よく知られているものとしては[[ベック (歌手)|ベック]]、[[ビョーク]]、[[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]、[[セルジュ・ゲンスブール]]、[[ファイルーズ]]、[[ハリー・ニルソン]]など。


5[[オクターブ]]の音域と紹介されていることが多いが、本人の言によれば、3オクターブ半程度とのことである。
5[[オクターブ]]の音域と紹介されていることが多いが、本人の言によれば、3オクターブ半程度とのことである。
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== 日本との関わり ==
== 日本との関わり ==


日本のアニメやフィギュア(例:[[鉄腕アトム]])のマニアックなコレクターであることを公言しており、かなりの数のコレクションを保有、その為に自宅を改築しまた、[[たまごっち]]のコレクターであることはつとに有名である
日本のアニメやキャラクターフィギュアのマニアックなコレクターであることを公言しており、かなりの数のコレクションを保有、その為に自宅を改築までている。[[たまごっち]]のコレクターであることでも有名。

[[日本語]]堪能で、インタビューでは[[J-POP]]に大きな影響を受けたと述べている。また好きなJ-POPアーティストとして、[[椎名林檎]]、[[PUFFY|パフィー]]、[[菅野よう子]]、[[THE YELLOW MONKEY|イエローモンキー]]、[[三味線]]の[[吉田兄弟]]などの名を上げている<ref>[http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/mika/uicu1139.html/ UNIVERSAL INTERNATIONAL MIKA DISCOGRAPHY]</ref><ref>[http://www.j-wave.co.jp/original/tokiohot100/guest_past/past_20070715.htm/ J-WAVE WEBSITE Guest Room]</ref>。

[[2007年]][[5月]]に初来日。[[7月]]には[[フジ・ロック・フェスティバル]]に出演し、その翌日に恵比寿の[[LIQUIDROOM]]でライブを行った。この際ファンからプレゼントされたたまごっち柄の手製浴衣で登場し話題となった。またこの折、実妹とともに「ハッピー・エンディング」を披露した。


[[日本語]]堪能で、インタビューでは[[J-POP]]に大きな影響を受けたと述べている。また好きなJ-POPアーティストとして、[[椎名林檎]]、[[PUFFY|パフィー]]、[[菅野よう子]]、[[THE YELLOW MONKEY|イエローモンキー]]、[[三味線]]の[[吉田兄弟]]などの名を上げている<ref>[http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/mika/uicu1139.html/ UNIVERSAL INTERNATIONAL MIKA DISCOGRAPHY]</ref><ref>[http://www.j-wave.co.jp/original/tokiohot100/guest_past/past_20070715.htm/ J-WAVE WEBSITE Guest Room]</ref>。
日本盤『ライフ・イン・カートゥン・モーション』:日本限定のボーナストラック「ユア・シンパシー」、「グレース・ケリー」のビデオ及び特製ステッカーなど、日本盤だけの特典がついていた。


2007年5月に初来日。7月には[[フジ・ロック・フェスティバル]]に出演し、その翌日に恵比寿の[[LIQUIDROOM]]でライブを行った。この際ファンからプレゼントされたたまごっち柄の手製浴衣で登場し話題となった。またこの折妹とともに「ハッピー・エンディング」を披露した。
[[王立音楽大学]]では日本人の学生と組んでおり、彼女の名前の一部から芸名を本名のMicaからMikaへ改めた。


日本盤『ライフ・イン・カートゥン・モーション』:日本限定のボーナストラック「ユア・シンパシー」、「グレース・ケリー」のビデオ及び特製ステッカーなど、日本盤だけの特典がついていた。<!--
[[2009年]][[7月]]には、[[友達|友人]]の[[宇多田ヒカル]]とともに[[秋葉原]]を観光した。
またライブで宇多田ヒカルを呼びともにLet It Snowを歌った。非常に仲が良い模様。


2009年7月には、[[友達|友人]]の[[宇多田ヒカル]]とともに[[秋葉原]]を観光した。
== 備考 ==
またライブで宇多田ヒカルを呼びともにLet It Snowを歌った。非常に仲が良い模様。--><!-- 時事トピック・憶測-->
本名については、デビュー当初 Wikipedia およびいくつかの新聞含むメディアで Michael Holbrook Penniman と記載されていたこともあるが、本人がメディアでのインタビューにおいて数度「Mica」であると述べている他、少年の時に出演した[[レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ]]の歌劇「天路歴程」のクレジットにおいても「Mica Penniman」と記載されている。


== ディスコグラフィー ==
== ディスコグラフィー ==
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*Live In Paris
*Live In Paris


== 注 ==
== 出典・補注 ==
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2011年2月28日 (月) 16:57時点における版

Mika
基本情報
出生名 Michael Holbrook Penniman
生誕 (1983-08-18) 1983年8月18日(40歳)
出身地 レバノンの旗 レバノンベイルート
ジャンル ポップ・ロック
パワー・ポップ
ポップス
エレクトロニカ
Rock
職業 シンガーソングライター
担当楽器 キーボード
活動期間 2000年 - 現在
レーベル カサブランカアイランド
公式サイト Mikasounds.com

ミーカ(Mika、1983年8月18日 - )は、レバノン出身、現在ロンドン在住のシンガー・ソングライター音楽プロデューサーグラフィック・デザイナー正式名マイケル・ホルブルック・ペンニマン・ジュニア (Michael Holbrook Penniman, Jr.)[1][2][3] 。またミカ・ペンニマン (Mica Penniman のち Mika Penniman) としても知られる。

2007年にデビュー。裏声を多用する高音のボーカルを武器に、ウィットに富んだ純度の高いポップチューンが特徴。その音楽性は、しばしばフレディ・マーキュリーシザー・シスターズエルトン・ジョンらと比較される。そのスタイルからゲイではないかという憶測が生じ、本人はそれについての言及を避けてきたが、2009年9月に発売されたオランダのゲイ雑誌『ゲイ&ナイト』で「僕のことを定義づける言葉が必要なら、バイセクシュアルを使えばいい」と述べた[4][5]

正式名「マイケル」(Michael) の短縮形が「ミカ」(Mica または Mika) で、このいずれもが本名である。当初は Mica の方を使っていたが、それが「マイカ」と誤読されることがあまりにも多いことに閉口して、これを Mika と改めた[6]。デビュー当初日本でも「ミカ」と表記されるのが一般的だったが、日本語では同音の「美香」や「三佳」が女性の名を連想させるものであることから、やがてこれを「ミーカ」と改変して表記する媒体も現われ、しばらくはこの二つが混在していた。しかしアルバムが正式に日本でリリースされるのを機会に、以後の国内盤CDや音楽関係の印刷媒体においてはその名の表記を「ミーカ」に統一することが申し渡された。本項の記事名もこれに準拠してしている。

来歴

レバノンベイルートでアメリカ人の父とレバノン人の母のもと、5人兄弟の3番目として生まれる。姉がふたり、妹と弟がひとりづついる。

1歳の時に内乱が再燃し収拾不能な状態となったため、家族は国外退去を余儀なくされてパリへの移住した。さらに、9歳の頃、こんどは父親がクウェートアメリカ大使館に人質として監禁されると、一家はイギリスの庇護を受けるためにロンドンに移住する。そうした波乱に満ちた少年時代に、オペラ声楽の訓練を受けたのきっかけとして音楽に目覚める。初めての作曲は7歳の時のことで、『Angry』というピアノ曲を作曲をしているが、本人によればこれは「ひどい」曲だったという。

ロンドンではフランス人学校に入学するが、散々なイジメに遭い、難読症にも悩まされたため(現在も難読症である)、数ヶ月母親による家庭内教育を受けつつ、いくつかの学校を転々とした。この6~7ヶ月間の家庭学習期間に、ロシア人のソプラノ歌手に歌の指導を受け始めた。大学はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに進学するが1日で退学し、名門音楽学校である王立音楽大学に入学した。それも中途退学すると、本格的なミュージシャンとして活動を始め、アルバムの制作にはいった。

音楽活動

デビュー前の活動としては、幼少時に行ったロイヤル・オペラハウスでのモーツァルト等クラシック曲のレコーディングから、航空会社ブリティッシュ・エアウェイズの機内曲、さらにチューインガムのCM曲製作まで多岐にわたっている。

かねてから学校の休暇中に渡米し、上記のような様々な音楽活動を行っていたが、2004年ごろから、主にマイアミニューヨークを拠点として欧米各地でライブ活動を行うようになり、カナダ人のグレッグ・ウェルズをプロデューサーに迎えてアルバムの製作に着手する。

2006年に初シングルの『リラックス(テイク・イット・イージー)』をネット上で発表すると一躍人気を集め、翌年の初めには、その年の有望新人としてBBC等で大きく取り上げられるようになった。その直後に発売された『グレース・ケリー』はイギリスのシングルチャート1位を獲得、同年2月に発売されたデビューアルバムの『ライフ・イン・カートゥン・モーション』は、イギリスをはじめヨーロッパ諸国のヒットチャートで1位を記録する大ヒットとなった。

音楽性

好きな音楽のジャンルが極めて広い。よく知られているものとしてはベックビョークプリンスセルジュ・ゲンスブールファイルーズハリー・ニルソンなど。

5オクターブの音域と紹介されていることが多いが、本人の言によれば、3オクターブ半程度とのことである。

ライブやTV出演などでカバーした曲には、ユーリズミックスの「スウィート・ドリーム」、ジャクソン5の「アイ・ウォント・ユー・バック」、ザ・ビューの「セイム・ジーンズ」などがある。

日本との関わり

日本のアニメやキャラクターフィギュアのマニアックなコレクターであることを公言しており、かなりの数のコレクションを保有、その為に自宅を改築までしている。たまごっちのコレクターであることでも有名。

日本語に堪能で、インタビューではJ-POPに大きな影響を受けたと述べている。また好きなJ-POPアーティストとして、椎名林檎パフィー菅野よう子イエローモンキー三味線吉田兄弟などの名を上げている[7][8]

2007年5月に初来日。7月にはフジ・ロック・フェスティバルに出演し、その翌日に恵比寿のLIQUIDROOMでライブを行った。この際ファンからプレゼントされたたまごっち柄の手製浴衣で登場して話題となった。またこの折に妹とともに「ハッピー・エンディング」を披露した。

日本盤『ライフ・イン・カートゥン・モーション』:日本限定のボーナストラック「ユア・シンパシー」、「グレース・ケリー」のビデオ及び特製ステッカーなど、日本盤だけの特典がついていた。

ディスコグラフィー

アルバム

2007年
  • Life In Cartoon Motion - メジャーデビューアルバム
2009年
  • The Boy Who Knew Too Much

シングル

2006年
  • Relax (Take It Easy)
2007年
  • Grace Kelly
  • Love Today
  • Lollipop - ダウンロードのみでのリリース(UK)
  • Big Girl (You Are Beautiful)
  • iTunes限定で、iTunesフェスティバルでのライブ音源を発表。
2009年
  • We Are Golden

ミュージック・ビデオ、DVD等

2008年
  • Live In Cartoon Motion
2009年
  • Live In Paris

出典・補注

  1. ^ Pareles, Jon ( エラー: この日付はリンクしないでください。). “A rising British pop star revives a Mercurial style”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2007/03/31/arts/music/31mika.html 2007年6月22日閲覧。 
  2. ^ Mccaffrey, Julie; and Adam Luck ( エラー: この日付はリンクしないでください。). “Mika, Teenage prodigy of the Royal Opera”. The Daily Mirror. http://www.mirror.co.uk/archive/tm_method=full%26objectid=18545057%26siteid=89520-name_page.html 2007年6月22日閲覧。 
  3. ^ Cotton, Fearne; and Adam Luck ( エラー: この日付はリンクしないでください。). “Mika at Live Lounge”. Radio One. http://www.bbc.co.uk/radio1/livelounge/artist/090928_mika.shtml 2009年9月29日閲覧。 
  4. ^ http://www.gay.eu/article/16135/
  5. ^ http://www.pinknews.co.uk/news/articles/2005-14195.html
  6. ^ (August 21, 2007). "Mika: 10 things you never knew about your favourite star", The Gold Coast Bulletin, p. 28。王立音楽大学のときに組んでいた日本人留学生の名の一部 Mika から着想したものだという。
  7. ^ UNIVERSAL INTERNATIONAL MIKA DISCOGRAPHY
  8. ^ J-WAVE WEBSITE Guest Room

外部リンク