「日祐」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{Otheruseslist|鎌倉時代の僧侶|安土桃山時代時代の僧侶|日祐 (僧侶)|佐賀県のスーパーマーケット|日祐 (スーパー)}}
{{otheruses|人物|佐賀県のスーパーマーケット|日祐 (スーパー)}}


'''日祐'''(にちゆう、[[1298年]][[永仁]]6年) - [[1374年]][[629]][[文中]]3年/[[応安]]7年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]))は、[[鎌倉時代]]の[[日蓮宗]]の[[僧]]。[[千葉宗胤]]の[[猶子]]<ref>正東山古文書</ref>。[[下総国]]の出身。号は浄行院。
'''日祐'''(にちゆう、1298年(永仁6年) - 1374年77日(応安7年5月19日))は、[[鎌倉時代]]の[[日蓮宗]]の[[僧]]。[[千葉宗胤]]の[[猶子]]<ref>正東山古文書</ref>。[[下総国]]の出身。号は浄行院。


== 概要 ==
== 概要 ==
日祐は17歳で中山本妙寺(現在の[[中山法華経寺]])3世となった。[[千葉胤貞]]の[[外護]]を受けて、[[日本寺 (多古町)|日本寺]]をはじめ、[[千田荘]]・[[八幡荘]]・[[臼井荘]]の各地に寺院を建立する<ref>千葉胤貞譲状</ref>。墓所は[[中山法華経寺]]。
1314年(正和3年)中山本妙寺(現在の[[中山法華経寺]])3世となった。[[千葉胤貞]]の[[外護]]を受けて、[[日本寺 (多古町)|日本寺]]をはじめ、[[千田荘]]・[[八幡荘]]・[[臼井荘]]の各地に寺院を建立する<ref>千葉胤貞譲状</ref>。墓所は[[中山法華経寺]]。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
13行目: 13行目:
[[Category:法華系仏教の人物]]
[[Category:法華系仏教の人物]]
[[Category:鎌倉時代の人物]]
[[Category:鎌倉時代の人物]]
[[Category:下総国の人物]]
[[Category:1298年生]]
[[Category:1298年生]]
[[Category:1374年没]]
[[Category:1374年没]]

2011年1月24日 (月) 18:50時点における版

日祐(にちゆう、1298年(永仁6年) - 1374年7月7日(応安7年5月19日))は、鎌倉時代日蓮宗千葉宗胤猶子[1]下総国の出身。号は浄行院。

概要

1314年(正和3年)中山本妙寺(現在の中山法華経寺)3世となった。千葉胤貞外護を受けて、日本寺をはじめ、千田荘八幡荘臼井荘の各地に寺院を建立する[2]。墓所は中山法華経寺

脚注

  1. ^ 正東山古文書
  2. ^ 千葉胤貞譲状