「早川勝 (政治家)」の版間の差分
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[[1994年]]6月、[[村山内閣]]の成立後、[[村山富市]]首相の発案により新設された[[内閣総理大臣補佐]]に就任<ref>「内閣総理大臣補佐」の原型は[[細川内閣]]で[[新党さきがけ]]の[[田中秀征]]が務めた非公式のポストである「内閣総理大臣特別補佐」で、村山が首相就任後、公式に「内閣総理大臣補佐」のポストが設置され、後に「[[内閣総理大臣補佐官]]に改められた。</ref>。 |
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[[1996年]]1月党名変更[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]結党に参加するも、9月には社民党を離党し、[[民主党 (1996-1998)|旧民主党]]に合流。[[1996年]]の[[第41回衆議院議員総選挙]]には出馬せず、同年11月の豊橋市長選挙に出馬し当選した。[[2000年]]、[[2004年]]の市長選でも再選。 |
[[1996年]]1月党名変更[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]結党に参加するも、9月には社民党を離党し、[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]に合流。[[1996年]]の[[第41回衆議院議員総選挙]]には出馬せず、同年11月の豊橋市長選挙に出馬し当選した。[[2000年]]、[[2004年]]の市長選でも再選。 |
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[[2008年]][[11月9日]]の豊橋市長選挙に4選を目指して出馬したが、元[[国土交通省|国土交通]][[官僚]]の[[佐原光一]]、前愛知県会議員の[[小久保三夫]]の後塵を拝し、落選した。 |
[[2008年]][[11月9日]]の豊橋市長選挙に4選を目指して出馬したが、元[[国土交通省|国土交通]][[官僚]]の[[佐原光一]]、前愛知県会議員の[[小久保三夫]]の後塵を拝し、落選した。 |
2011年1月16日 (日) 12:12時点における版
早川 勝 はやかわ まさる | |
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生年月日 | 1940年12月21日 |
出生地 | 愛知県豊橋市 |
出身校 |
愛知大学 立教大学大学院 |
所属政党 | 日本社会党 |
選挙区 | 旧愛知5区 |
当選回数 | 3 |
在任期間 | 1986年 - 1996年 |
当選回数 | 3 |
在任期間 | 1996年 - 2008年 |
早川 勝(はやかわ まさる、1940年12月21日 - )は、日本の政治家。
経歴
愛知県立時習館高等学校、愛知大学法経学部経済学科卒業。立教大学大学院経済学研究科修士課程修了。日本社会党職員を経て、1986年の第38回衆議院議員総選挙に社会党公認で旧愛知5区から出馬し、初当選。1991年5月、土井たか子日本社会党委員長の辞任により、後任の委員長に就任した田邊誠の下、党政策審議会長、社会党シャドーキャビネット官房長官に就任。1992年のはPKO国会では政府案を一旦は廃案に追い込んだが、与党側の巻き返しによりPKO協力法は成立。社会党は同年7月の第16回参議院議員通常選挙で敗北し、1993年に田邊委員長が辞任したのに伴い、早川も政策審議会長を離任。
1994年6月、村山内閣の成立後、村山富市首相の発案により新設された内閣総理大臣補佐に就任[1]。
1996年1月党名変更社民党結党に参加するも、9月には社民党を離党し、旧民主党に合流。1996年の第41回衆議院議員総選挙には出馬せず、同年11月の豊橋市長選挙に出馬し当選した。2000年、2004年の市長選でも再選。
2008年11月9日の豊橋市長選挙に4選を目指して出馬したが、元国土交通官僚の佐原光一、前愛知県会議員の小久保三夫の後塵を拝し、落選した。
外部リンク
- 秘書課 - 豊橋市役所
公職 | ||
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先代 高橋アキラ |
愛知県豊橋市長 第29 - 31代:1996年 - 2008年 |
次代 佐原光一 |