「山瀬幸宏」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Chujuki (会話 | 投稿記録)
→‎特徴・評価: {{スポーツ選手の出典明記|section=1|date=2010年12月}}
Kazu1840 (会話 | 投稿記録)
84行目: 84行目:
|-
|-
|[[2010年のJリーグ|2010]]||鳥栖||7||J2||21||2||colspan="2"|-||2||2||23||4
|[[2010年のJリーグ|2010]]||鳥栖||7||J2||21||2||colspan="2"|-||2||2||23||4
|-
|[[2011年のJリーグ|2011]]||鳥栖||7||J2||||||colspan="2"|-||||||||
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始|2|日本|J1}}46||4||12||2||2||0||60||6
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始|2|日本|J1}}46||4||12||2||2||0||60||6
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行|日本|J2}}45||4||colspan="2"|-||5||4||50||8
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行|日本|J2}}45||4||colspan="2"|-||5||4||50||8

2011年1月13日 (木) 09:23時点における版

山瀬 幸宏
名前
愛称 山ちゃん、ユッキ、Y氏、山P[1]
カタカナ ヤマセ ユキヒロ
ラテン文字 YAMASE Yukihiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-04-22) 1984年4月22日(39歳)
出身地 北海道
身長 176cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム サガン鳥栖
ポジション MF
背番号 7
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2009.5
2009.5-現 在
横浜F・マリノス
サガン鳥栖
460(4)
450(4)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年12月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山瀬 幸宏(やませ ゆきひろ、1984年4月22日 - )は、北海道札幌市出身でサガン鳥栖所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

実兄は山瀬功治。父はサラエボ冬季五輪バイアスロンで出場した山瀬功

来歴

横浜F・マリノスユースを経て、2003年から横浜F・マリノスに入団。2007年はリーグ戦第4節からスタメンに定着。第7節の大分トリニータ戦では、前半11分に自らの23歳の誕生日を祝うプロ入り初ゴール。さらに後半43分には幸宏のアシストで兄もゴールを決め、Jリーグ史上2組目となる同一試合兄弟アベック弾というおまけがついた。続く第8節のアルビレックス新潟戦、第19節の横浜FC戦でも兄弟アベック弾を達成した。なお、これらの試合ではそれぞれ5, 6, 8得点とチームも大量得点を挙げて勝利している。

2008年シーズンは主に右サイドでの起用をされているが、逆足(右足)でのプレーが不得手なため、精彩を欠くプレーが多くなってしまっている。

2009年シーズン途中よりサガン鳥栖に期限付き移籍。主にフォワードとして起用された。

2010年1月8日、サガン鳥栖への完全移籍が発表された。

特徴・評価

左サイドでのプレーを得意とする。兄である山瀬功治同様にドリブルを得意としているが、切れ味鋭いドリブルをする兄とは異なり、独特のリズムがあるドリブルを披露する。そのプレーは一部サポーターからは「ヌルヌルドリブル」と言われている。また精度が高いミドルシュートを打てるのも魅力である。

人物

  • 愛称の「Y氏」はキックオフ!!F・マリノスの番組中に、寮の部屋のレポーター役をしていた尾本敬に「某Y氏」と呼ばれたことに端を発し、司会(当時)の水沼貴史がそう呼ぶようになったのが由来である。また、知人からは「ユッキ君」とも呼ばれている[2]
  • コンサドーレ札幌のユースへの入団を考えていたが、その札幌のトップチームに入団が既に決まっていた兄から横浜のユースを勧められて、進路を決めたという。
  • 2005年のACLでは、兄・功治がリーグで使用している背番号10で出場した。これは、ACLでは背番号がレギュレーションで30以下に制限されており(そのため背番号35の河合竜二も20で出場した)、兄が怪我のため選手登録されていなかったためである。
  • 整理整頓が出来ず、部屋が汚いことがテレビなどで暴露されている。そのためか、趣味は漫画喫茶に出かける事。「あそこ(漫画喫茶)には全てがある」と、チームメイト(横浜FM所属時)の小宮山尊信を引き込んだこともある。
  • Jリーグ初出場となった2005年5月8日のサンフレッチェ広島戦では兄弟揃ってボランチとして出場し、チームは久々の勝利を挙げた。

所属クラブ

ユース経歴

  • 札幌SSSジュニア
  • 札幌SSSジュニアユース
  • 横浜F・マリノスユース

プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2003 横浜FM 32 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2004 横浜FM 32 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2005 横浜FM 32 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2006 横浜FM 32 J1 6 0 0 0 1 0 7 0
2007 横浜FM 32 J1 30 4 8 1 1 0 39 5
2008 横浜FM 16 J1 9 0 4 1 0 0 13 1
2009 横浜FM 16 J1 0 0 0 0 - 0 0
鳥栖 34 J2 24 2 - 3 2 27 4
2010 鳥栖 7 J2 21 2 - 2 2 23 4
2011 鳥栖 7 J2 -
通算 日本 J1 46 4 12 2 2 0 60 6
日本 J2 45 4 - 5 4 50 8
総通算 91 8 12 2 7 4 110 14
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2004 横浜FM 32 1 0
2005 横浜FM 10 1 0
通算 AFC 2 0

経歴

脚注

  1. ^ ハーフナー・マイク オフィシャルブログ「Tell’eM」12月10日より
  2. ^ 本多玲奈のLEINA'S BLOG - 兄である山瀬功治の夫人の友人のブログ

関連項目