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「アルフォンソ・デ・カスティーリャ」の版間の差分

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アルフォンソ誕生の翌1454年に父フアン2世が死去すると、王位を継承した異母兄エンリケ4世はアルフォンソを母、姉とともに追放した。しかしエンリケ4世には男子がなく、唯一生まれた娘[[フアナ・ラ・ベルトラネーハ|フアナ]]にも出生を巡って疑惑があった。そのため、カスティーリャ貴族の一部はエンリケ4世を見限り、アルフォンソを次の王位につけようとした。
 
1464年、アルフォンソに[[アストゥリアス公]]の称号が贈られた。カスティーリャ王位継承者の称号であり、すでにフアナに授けられていたが、エンリケ4世もこれを認めた。その後、アルフォンソは「[[カスティーリャ]]王'''アルフォンソ12世'''」として[[対立王]]に推戴され、内乱が起こったが、1468年にアルフォンソは14歳で病死した。
異説では[[毒殺]]されたという。
 
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