「食糧管理法」の版間の差分

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戦中戦後の食糧不足の時代には必要性が高い法であったが、豊かになり洋食や麺等の多様化が進み、米が余るほどに生産されるようになった1970年頃から政府米の収支が逆ザヤとなる問題や、自主流通米以外のいわゆるヤミ米問題の問題が発生。また外国から米市場開放問題などが要求される。
戦中戦後の食糧不足の時代には必要性が高い法であったが、豊かになり洋食や麺等の多様化が進み、米が余るほどに生産されるようになった1970年頃から政府米の収支が逆ザヤとなる問題や、自主流通米以外のいわゆるヤミ米問題の問題が発生。また外国から米市場開放問題などが要求される。


1995年(平成7年)に廃止され、後継法は[[主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律]]に引き継がれた。
1995年(平成7年)に廃止され、後継法は[[主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律]](食糧法)に引き継がれた。


==関連項目==
==関連項目==

2010年10月23日 (土) 16:27時点における版

食糧管理法
日本国政府国章(準)
日本の法令
通称・略称 食管法
法令番号 昭和17年法律第40号
種類 行政法
効力 廃止
成立 1942年2月12日
公布 1942年2月21日
施行 1942年3月13日
主な内容 食糧の生産・流通・消費の管理
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食糧管理法(しょくりょうかんりほう)とは日本の法律。

概要

日中戦争の最中の1942年の戦時中の日本において東條内閣の頃に制定された。内容は、食糧の生産・流通・消費にわたって政府が介入して管理するというものであり、目的は食糧(主に米)の需給と価格の安定である。戦争のために必要とされた制度であったが、1994年まで続いた。

戦中戦後の食糧不足の時代には必要性が高い法であったが、豊かになり洋食や麺等の多様化が進み、米が余るほどに生産されるようになった1970年頃から政府米の収支が逆ザヤとなる問題や、自主流通米以外のいわゆるヤミ米問題の問題が発生。また外国から米市場開放問題などが要求される。

1995年(平成7年)に廃止され、後継法は主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)に引き継がれた。

関連項目