「タンクデサント」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
ArthurBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: uk:Десант танковий
m ロボットによる: 文字置き換え (-対戦車火器 +対戦車兵器)
4行目: 4行目:


== 概要 ==
== 概要 ==
通常、戦車は戦場では随伴[[歩兵]]を伴って運用される。これは戦車単独では容易に歩兵や砲兵の[[対戦車器]]の砲火や肉薄攻撃に晒されてしまうからである。すなわち戦車は視界が狭く、機動や俯角に制限があり、さらには同時に対処できる目標が限られるため随伴歩兵の索敵・制圧力を必要とする。しかし随伴歩兵が徒歩のままでは[[戦車]]の機動速度についていけないという問題がある。また、随伴歩兵の移動速度に戦車の速度を合わせたのでは、戦車特有の機動性を発揮できない。そこで通常は歩兵が[[貨物自動車|トラック]]などの軽車両や[[装甲兵員輸送車]]などの[[装甲戦闘車両]]に乗って随伴する。何らかの理由により随伴歩兵用の車両が用意されなかった場合には戦車の上にまたがり、しがみついて移動することがある。これがタンクデサントである。通常は移動時だけ戦車に登っているがそのまま戦闘に突入させる場合もある。
通常、戦車は戦場では随伴[[歩兵]]を伴って運用される。これは戦車単独では容易に歩兵や砲兵の[[対戦車器]]の砲火や肉薄攻撃に晒されてしまうからである。すなわち戦車は視界が狭く、機動や俯角に制限があり、さらには同時に対処できる目標が限られるため随伴歩兵の索敵・制圧力を必要とする。しかし随伴歩兵が徒歩のままでは[[戦車]]の機動速度についていけないという問題がある。また、随伴歩兵の移動速度に戦車の速度を合わせたのでは、戦車特有の機動性を発揮できない。そこで通常は歩兵が[[貨物自動車|トラック]]などの軽車両や[[装甲兵員輸送車]]などの[[装甲戦闘車両]]に乗って随伴する。何らかの理由により随伴歩兵用の車両が用意されなかった場合には戦車の上にまたがり、しがみついて移動することがある。これがタンクデサントである。通常は移動時だけ戦車に登っているがそのまま戦闘に突入させる場合もある。


== タンクデサントの長所と短所 ==
== タンクデサントの長所と短所 ==

2010年10月12日 (火) 09:56時点における版

ファイル:Bt7 6.jpg
ソビエト軍のタンクデサント訓練(BT-7 1935年型)

タンクデサントロシア語:танковый десантタンコーヴィイ・ヂサーントラテン文字転写の例:tankovyy desant戦車跨乗;せんしゃこじょう)は戦車にまたがって移動したり戦闘に参加する歩兵の戦術である。戦車跨乗部隊のことをтанко-десантники,tankodesantnikiという。第二次世界大戦中のソ連赤軍等で行われたのがよく知られている。

概要

通常、戦車は戦場では随伴歩兵を伴って運用される。これは戦車単独では容易に歩兵や砲兵の対戦車兵器の砲火や肉薄攻撃に晒されてしまうからである。すなわち戦車は視界が狭く、機動や俯角に制限があり、さらには同時に対処できる目標が限られるため随伴歩兵の索敵・制圧力を必要とする。しかし随伴歩兵が徒歩のままでは戦車の機動速度についていけないという問題がある。また、随伴歩兵の移動速度に戦車の速度を合わせたのでは、戦車特有の機動性を発揮できない。そこで通常は歩兵がトラックなどの軽車両や装甲兵員輸送車などの装甲戦闘車両に乗って随伴する。何らかの理由により随伴歩兵用の車両が用意されなかった場合には戦車の上にまたがり、しがみついて移動することがある。これがタンクデサントである。通常は移動時だけ戦車に登っているがそのまま戦闘に突入させる場合もある。

タンクデサントの長所と短所

一般の随伴歩兵に対するタンクデサントのメリットは、歩兵のための車両が省けるというただ一点であるのに対し、タンクデサントのデメリットは数多い。タンクデサントはなんら保護されない生身の兵士であるから、攻撃に脆弱で砲撃銃撃により容易に死傷する。しかも最も目立つ上に隠れる場所の無い戦車の上に乗っているから簡単に狙い撃たれてしまう。また本来歩兵が乗る事を前提としていない場所にしがみつくので疲労が大きく、ともすれば振り落とされてしまう。戦車の方も急激な機動や砲塔の旋回を行なうと歩兵が転落しかねないので動きに制約を受ける。

随伴歩兵についての補足

戦車にとっては周囲警戒の目と反撃の為の戦力が車上に存在することになるため、戦車の生残性向上が期待できる。また戦車兵にとっては防衛拠点構築や野営を手伝わせることができて負担がへるというメリットも有る。

歴史上のタンクデサント

ソビエト連邦の赤軍

ファイル:Soviet pressing 1944.JPG
T-34から飛び降りるソ連兵(1944年)

赤軍ではタンクデサントが多用され、ノモンハン事変などで広く見られた。第二次世界大戦が始まるとソ連は戦車などの主力兵器に生産力の大半を消費し、歩兵に供するべき軽車両の生産は極めて少なかった。補給などに必要最低限な車両も米国のレンドリース法による供与に頼っていたほどである。さらに、ソ連は、偵察用に装甲車を配備する一方、ドイツのSd Kfz 250 / 251やアメリカのM3ハーフトラックのような装甲兵員輸送車の開発を怠っていた。そのため十分な歩兵を戦車に随伴させることができず、戦歩分離された状態で戦車部隊が戦闘に突入し、対戦車攻撃によって大損害を受けることが多くあった。それへの窮余の策としてタンクデサントが多用され、一般的な運用法と化していた。こうなるともはや一時的な方策ではなくはじめから運用が前提とされているところがあり戦車にはタンクデサント用の取っ手がつけられた。また赤軍はタンクデサントを敵の塹壕に手っ取り早く歩兵を送り込む手段とみなしていた節があり跨乗させたまま戦闘に突入することも多かった。このような理由からタンクデサントの死傷率はとても高く平均寿命は2 - 3週間と言われる。消耗品として懲罰大隊(1942年から終戦までに実に1049個大隊も編成)の兵士によって構成されることが多く、実際にタンクデサントが多用された戦争後半ほど懲罰大隊の編成数も比例するように増加している。 そのため、死傷率を少しでも下げようとSN-42のような金属製鎧が配備されたりもしたが、あまり効果があったとはいいがたい。

戦後のソ連軍はタンクデサントの犠牲の大きさに対する反省として装甲兵員輸送車の生産に力を入れ、BTR-40 / BTR-152 / BTR-50 / BTR-60 / BTR-70 / BTR-80などを開発した。しかし、ソ連軍の装甲兵員輸送車歩兵戦闘車の多くは居住性や生存性に問題があり、兵はことさら車上に乗ることを好んだ。ただしソ連軍の戦闘教義ではこれらの行為は容認しておらず、訓練も行なわれてはいない。

戦後の訓練風景の映像ではT-54/55系などに乗ったタンクデサントの姿が見られたが、これは見た目が勇ましさを表現したプロパガンダであり、実戦で行われることはなかった。

第二次大戦中の日本軍

第二次大戦中の日本軍では、兵員輸送車を配備する国力がなく、トラックも不足していたためしばしば見られた。全般的に小さい日本戦車には跨乗が難しかったため、九五式軽戦車の後部に空のドラム缶を取り付け、そこに歩兵を跨らせるなどの工夫が行われた。

第二次大戦後

ベトナム戦争にてM48戦車の車上に乗って移動する米海兵隊員

ベトナム戦争時のアメリカ軍アフガニスタン戦争でのソ連軍チェチェン紛争でのロシア軍でも、装甲兵員輸送車内部の兵員室ではなく車上に乗って移動することが行なわれていた。これは地雷に巻き込まれる事を防ぎ、装甲兵員輸送車への攻撃からすばやく逃げるためである。RPGシリーズのように安価で強力な携行対戦車兵器が普及すると歩兵戦闘車の防御力不足が問題になった。各国は装甲を強化することで対応したが、出力の余裕や予算上の問題で十分に対策できないことも多く、しばしば車内で一網打尽にならないため車外に跨乗して警戒することを選んだ。特にM113の初期型やBTR-60/70などガソリンエンジンの車両は容易に燃料が引火して爆発炎上するため、兵に嫌われた。初期のBMPシリーズのように燃料タンクが剥き出しで危険なものも同様である。

また20世紀末になると各国軍で砲弾片に有効なボディアーマーが普及し、タンクデサント最大の弱点である砲爆撃からの脆弱性が軽減された。