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[[Image:Die Uniformen der Allgemeinen SS 32-45.jpg|150px|thumb|right|一般親衛隊の黒服の制服のイラスト]]
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'''一般親衛隊'''(Allgemeine SS)は、[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)の[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊(SS)]]のうち[[武装親衛隊]](waffen-SS)をのぞいた全ての親衛隊組織を指す。武装親衛隊員は軍人扱いで[[ドイツ国防軍|国防軍]]軍人が持つ給与支給帳(Soldbuch)と軍歴手帳(Wehrpaß)を所持していたが、一般親衛隊員は軍人とは認められていなかったのでこれを所持していなかった。
'''一般親衛隊'''(Allgemeine SS)は、[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)の[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊(SS)]]のうち[[親衛隊特務部隊]](SS-VT)・[[武装親衛隊]](waffen-SS)をのぞいた全ての親衛隊組織を指す<ref name="山下30">山下、30頁</ref>。武装親衛隊員は軍人扱いで[[ドイツ国防軍|国防軍]]軍人が持つ給与支給帳(Soldbuch)と軍歴手帳(Wehrpaß)を所持していたが、一般親衛隊員は軍人とは認められていなかったのでこれを所持していなかった。なお[[親衛隊髑髏部隊]](SS-TV)は、はじめ一般親衛隊扱いだったが、1941年4月22日より給与支給帳と軍歴手帳を支給されるようになったため、以降は武装親衛隊(軍人)扱いとなっている<ref name="山下87-88">山下、87-88頁</ref>


== 一般親衛隊について ==
== 概要 ==
1934年に親衛隊内部に戦闘部隊の[[親衛隊特務部隊]](SS-VT、後の武装親衛隊)が創設されるとともに非戦闘員の親衛隊員は「一般親衛隊(アルゲマイネSS)」と呼ばれるようになった。一般親衛隊に分類される親衛隊機関は[[国家保安本部]]や[[親衛隊経済管理本部|経済管理本部]]なが有名であ[[親衛隊名誉指導者|名誉隊員]]やパートタイム隊員なども一般親衛隊に分類される。19398月に一般親衛隊員は48万5000ほどだった(うち18万人は予備役)
1934年に親衛隊内部に戦闘部隊の[[親衛隊特務部隊]](SS-VT、後の武装親衛隊)が創設されるとともに非戦闘員の親衛隊員は「一般親衛隊(アルゲマイネSS)」と呼ばれるようになった。武装親衛隊は[[第二次世界大戦]]中に急増したが、一般親衛隊の人員数は常に20万人上ほどであった1939年12月には一般親衛隊20万1910人、親衛隊特務部隊5万6546人だったが、19453月に一般親衛隊20万48人、武装親衛隊829400であった<ref name="山下37">山下、37頁</ref>


武装親衛隊の隊員は給与支給帳(Soldbuch)を所持し、全員に給料が支払われていたが、一般親衛隊は給与支給帳(Soldbuch)がなく、給料は[[親衛隊中将]]以上の階級の者か、常勤の隊員にしか支給されなかった。一般親衛隊の非常勤隊員はそれぞれ仕事をもって日常生活を送りながら、ナチ党の集会や党大会の時だけ親衛隊の制服を着て出席していた。一般親衛隊の隊員は職業を持って空き時間を使って自発的に党活動に参加する事を期待されていた。親衛隊は本来は公務員ではなくナチ党の構成員だからである。とはいえ一般親衛隊員の多くがナチ党政権下で公務員として働いていたのでそちらの立場から給料をもらっていることが多かった<ref name="山下38">山下、38頁</ref>。
しかし[[第二次世界大戦]]開戦で一般親衛隊員も動員され、17万人が[[ドイツ国防軍|国防軍]]にとられ、3万5000人が武装親衛隊に取られた。10万ほどの隊員のみが一般親衛隊に残されるだけとなった。しかし長期化・泥沼化する戦争によってさらに一般親衛隊員が動員されていった。1945年の親衛隊員総数は84万人だったが、このうち一般親衛隊員は4万8500人にとどまっている(一方武装親衛隊は60万人)。戦時中、一般親衛隊は規模も重要性も名声も武装親衛隊に後れを取ることとなった。かつてはエリートの象徴だった一般親衛隊の黒服も戦争後期には兵役逃れの臆病者の象徴として笑い者にされるまでになり下がっていたという(ただ戦時中には一般親衛隊員は灰緑色の制服を着用している者が多く、黒服はパートタイム隊員や占領地の外国人隊員など一部の者が着用していたにとどまる)。


一般親衛隊といえば黒い制服が有名である。黒服はもともと親衛隊組織全ての制服であったが、戦闘組織の[[親衛隊特務部隊]]や[[強制収容所 (ナチス)|強制収容所]]勤務の[[親衛隊髑髏部隊]]はやがて国防軍型の制服を導入したため、黒服を着用しなくなった。そのため一般親衛隊のみが黒服を着用するようになった。しかし1938年には一般親衛隊の常勤隊員の日常業務制服として[[ペイルグレー]]の制服が導入された。常勤隊員は黒服に代わってこれを着用するようになったが、4万人ほどの非常勤隊員にはグレーの制服が支給されず、彼らは黒服を使用し続けた。そのため、かつてはエリートの象徴だった一般親衛隊の黒服も戦争後期には兵役逃れの臆病者の象徴として笑い者にされるまでになり下がっていたという<ref name="ラムスデン65">ラムスデン、65頁</ref>。
なお強制収容所の運営にあたっていた[[親衛隊髑髏部隊]]員は一般親衛隊と思われがちであるが、実際には武装親衛隊扱いで給与支給帳(Soldbuch)や軍歴手帳(Wehrpaß)も所持していた。ただ彼らを統率していた経済管理本部は一般親衛隊で占められていた。


階級は一般親衛隊、武装親衛隊ともに[[突撃隊]](SA)の階級が元になっており、基本的に同じであったが、一部だけ名称が異なった。たとえば[[親衛隊二等兵]]の階級は武装親衛隊では「SS-Schütze」、一般親衛隊は「SS-Mann」の階級をつかった。同様に[[親衛隊一等兵]]も武装親衛隊は「SS-Oberschütze」、一般(アルゲマイネ)SSは「SS-Obermann」の階級をもちいていた。また武装親衛隊のみの階級として[[親衛隊准尉]](SS-Sturmscharführer)というものがあった。さらに[[親衛隊少将]]以上は武装親衛隊では国防軍と同様の階級を用いていた。ただ武装親衛隊員には一般親衛隊員の階級も併せて授与されるのが通例であった。親衛隊の階級の詳細は'''[[親衛隊階級]]'''を参照のこと。
階級は一般親衛隊、武装親衛隊ともに[[突撃隊]](SA)の階級が元になっており、基本的に同じであったが、一部だけ名称が異なった。たとえば[[親衛隊二等兵]]の階級は武装親衛隊では「SS-Schütze」、一般親衛隊は「SS-Mann」の階級をつかった。同様に[[親衛隊一等兵]]も武装親衛隊は「SS-Oberschütze」、一般(アルゲマイネ)SSは「SS-Obermann」の階級をもちいていた。また武装親衛隊のみの階級として[[親衛隊准尉]](SS-Sturmscharführer)というものがあった。さらに[[親衛隊少将]]以上は武装親衛隊では国防軍と同様の階級を用いていた。ただ武装親衛隊員には一般親衛隊員の階級も併せて授与されるのが通例であった。親衛隊の階級の詳細は'''[[親衛隊階級]]'''を参照のこと。

一般親衛隊は武装親衛隊に比べると悪印象をもたれていることが多いが、[[国家保安本部]]や[[親衛隊経済管理本部]]といった[[ユダヤ人]][[虐殺]]をはじめとする残虐行為の執行機関が含まれるせいであると思われる。ただし一般親衛隊にも残虐行為に関与していない組織や人はいるし、武装親衛隊の中にも残虐行為に関与した組織や人はいるので、「一般親衛隊=犯罪者、武装親衛隊=勇者」のような単純な決めつけはできない。また両者は同じ親衛隊組織であったため、完全に分離しているわけでもなく、その区分は曖昧なところも多かった<ref name="山下38">山下、38頁</ref>。

== 一般親衛隊の編成 ==
一般親衛隊の隊員(特に非常勤隊員)は、親衛隊歩兵連隊(SS-Fuß Standarte)の大隊・中隊・小隊に属し、歩兵連隊の単位ごとに行動していた。最初にできた親衛隊歩兵連隊は1925年11月9日に[[ヨーゼフ・ディートリヒ]]の指揮下にミュンヘンに発足した親衛隊第一連隊(1.SS-Standarte)である<ref name="Yerger169">Yerger、169頁</ref><ref name="山下32">山下、32頁</ref>。

親衛隊歩兵連隊は当初、ナチ党の大管区ごとに置かれた「大管区親衛隊指導部」(Gau-SS Leitung)に属していたが<ref name="山下19">山下、19頁</ref>、1931年に[[突撃隊]]をモデルに「親衛隊上級指導者管区」(SS-Oberführerbereich)が設置されると、親衛隊歩兵連隊はそれに属した。さらに1932年にはその上に「親衛隊集団」(SS-Gruppe)が創設され、1933年11月に親衛隊集団が「[[親衛隊上級地区]]」(SS-Oberabschnitt)に改組され、また親衛隊旅団(SS-Brigade)が親衛隊地区(SS-Abschnitt)に改組された。親衛隊歩兵連隊はその下に属した<ref name="山下31">山下、31頁</ref><ref name="Yerger169">Yerger、169頁</ref>。

したがって1933年11月以降、一般親衛隊は以下のように編成された。

[[親衛隊上級地区]](SS-Oberabschnitt)、[[親衛隊地区]](SS-Abschnitt)、親衛隊歩兵連隊(SS-Fuß Standarte)、親衛隊大隊(SS-Sturmbanne)、親衛隊中隊(SS-Sturme)、親衛隊小隊(Trupen)、親衛隊分隊(Scharen)、親衛隊伍(Rotten)である<ref name="ラムスデン27">ラムスデン、27頁</ref>。1934年10月に小隊は分隊と統合されて、Scharenが小隊となり、Rottenが分隊となった<ref name="ラムスデン27">ラムスデン、27頁</ref>。

さらに以下の専門職部隊がある。親衛隊騎兵連隊、親衛隊通信大隊、親衛隊工兵大隊、親衛隊衛生中隊、親衛隊輸送中隊、親衛隊レントゲン大隊、親衛隊壮丁隊(SS)

連隊に所属する一般親衛隊の隊員は連隊番号の襟章を着用した。また[[カフタイトル]]の縁取りの色で所属大隊(第1大隊は緑、第2大隊はダークブルー、第3大隊は赤、予備大隊はライトブルー)、番号で所属中隊を示した<ref name="山下32">山下、32頁</ref>。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書
*ロビン・ラムスデン著「ナチス親衛隊軍装ハンドブック」原書房 ISBN 4562029293 ISBN 978-4562029297
|author = [[山下英一郎]]
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|year = [[1997年]]
|title = SSガイドブック
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|publisher = [[新紀元社]]
|isbn = 978-4883172986
}}
*{{Cite book|和書
|author = [[ロビン・ラムスデン]]
|translator = [[知野龍太]]
|year = [[1997年]]
|title = ナチス親衛隊軍装ハンドブック
|series =
|publisher = [[原書房]]
|isbn = 978-4562029297
}}
*{{Cite book
|author = Mark C. Yerger
|year = [[2002年]]
|title = Allgemeine-SS
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|publisher = Schiffer Pub Ltd
|language = [[英語]]
|isbn = 978-0764301452
}}


== 出典 ==
<references />


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2010年10月5日 (火) 04:31時点における版

ファイル:Die Uniformen der Allgemeinen SS 32-45.jpg
一般親衛隊の黒服の制服のイラスト

一般親衛隊(Allgemeine SS)は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の親衛隊(SS)のうち親衛隊特務部隊(SS-VT)・武装親衛隊(waffen-SS)をのぞいた全ての親衛隊組織を指す[1]。武装親衛隊員は軍人扱いで国防軍軍人が持つ給与支給帳(Soldbuch)と軍歴手帳(Wehrpaß)を所持していたが、一般親衛隊員は軍人とは認められていなかったのでこれを所持していなかった。なお親衛隊髑髏部隊(SS-TV)は、はじめ一般親衛隊扱いだったが、1941年4月22日より給与支給帳と軍歴手帳を支給されるようになったため、以降は武装親衛隊(軍人)扱いとなっている[2]

一般親衛隊について

1934年に親衛隊内部に戦闘部隊の親衛隊特務部隊(SS-VT、後の武装親衛隊)が創設されるとともに非戦闘員の親衛隊員は「一般親衛隊(アルゲマイネSS)」と呼ばれるようになった。武装親衛隊は第二次世界大戦中に急増したが、一般親衛隊の人員数は常に20万人上ほどであった。1939年12月には一般親衛隊20万1910人、親衛隊特務部隊5万6546人だったが、1945年3月には一般親衛隊20万48人、武装親衛隊82万9400人であった[3]

武装親衛隊の隊員は給与支給帳(Soldbuch)を所持し、全員に給料が支払われていたが、一般親衛隊は給与支給帳(Soldbuch)がなく、給料は親衛隊中将以上の階級の者か、常勤の隊員にしか支給されなかった。一般親衛隊の非常勤隊員はそれぞれ仕事をもって日常生活を送りながら、ナチ党の集会や党大会の時だけ親衛隊の制服を着て出席していた。一般親衛隊の隊員は職業を持って空き時間を使って自発的に党活動に参加する事を期待されていた。親衛隊は本来は公務員ではなくナチ党の構成員だからである。とはいえ一般親衛隊員の多くがナチ党政権下で公務員として働いていたのでそちらの立場から給料をもらっていることが多かった[4]

一般親衛隊といえば黒い制服が有名である。黒服はもともと親衛隊組織全ての制服であったが、戦闘組織の親衛隊特務部隊強制収容所勤務の親衛隊髑髏部隊はやがて国防軍型の制服を導入したため、黒服を着用しなくなった。そのため一般親衛隊のみが黒服を着用するようになった。しかし1938年には一般親衛隊の常勤隊員の日常業務制服としてペイルグレーの制服が導入された。常勤隊員は黒服に代わってこれを着用するようになったが、4万人ほどの非常勤隊員にはグレーの制服が支給されず、彼らは黒服を使用し続けた。そのため、かつてはエリートの象徴だった一般親衛隊の黒服も戦争後期には兵役逃れの臆病者の象徴として笑い者にされるまでになり下がっていたという[5]

階級は一般親衛隊、武装親衛隊ともに突撃隊(SA)の階級が元になっており、基本的に同じであったが、一部だけ名称が異なった。たとえば親衛隊二等兵の階級は武装親衛隊では「SS-Schütze」、一般親衛隊は「SS-Mann」の階級をつかった。同様に親衛隊一等兵も武装親衛隊は「SS-Oberschütze」、一般(アルゲマイネ)SSは「SS-Obermann」の階級をもちいていた。また武装親衛隊のみの階級として親衛隊准尉(SS-Sturmscharführer)というものがあった。さらに親衛隊少将以上は武装親衛隊では国防軍と同様の階級を用いていた。ただ武装親衛隊員には一般親衛隊員の階級も併せて授与されるのが通例であった。親衛隊の階級の詳細は親衛隊階級を参照のこと。

一般親衛隊は武装親衛隊に比べると悪印象をもたれていることが多いが、国家保安本部親衛隊経済管理本部といったユダヤ人虐殺をはじめとする残虐行為の執行機関が含まれるせいであると思われる。ただし一般親衛隊にも残虐行為に関与していない組織や人はいるし、武装親衛隊の中にも残虐行為に関与した組織や人はいるので、「一般親衛隊=犯罪者、武装親衛隊=勇者」のような単純な決めつけはできない。また両者は同じ親衛隊組織であったため、完全に分離しているわけでもなく、その区分は曖昧なところも多かった[4]

一般親衛隊の編成

一般親衛隊の隊員(特に非常勤隊員)は、親衛隊歩兵連隊(SS-Fuß Standarte)の大隊・中隊・小隊に属し、歩兵連隊の単位ごとに行動していた。最初にできた親衛隊歩兵連隊は1925年11月9日にヨーゼフ・ディートリヒの指揮下にミュンヘンに発足した親衛隊第一連隊(1.SS-Standarte)である[6][7]

親衛隊歩兵連隊は当初、ナチ党の大管区ごとに置かれた「大管区親衛隊指導部」(Gau-SS Leitung)に属していたが[8]、1931年に突撃隊をモデルに「親衛隊上級指導者管区」(SS-Oberführerbereich)が設置されると、親衛隊歩兵連隊はそれに属した。さらに1932年にはその上に「親衛隊集団」(SS-Gruppe)が創設され、1933年11月に親衛隊集団が「親衛隊上級地区」(SS-Oberabschnitt)に改組され、また親衛隊旅団(SS-Brigade)が親衛隊地区(SS-Abschnitt)に改組された。親衛隊歩兵連隊はその下に属した[9][6]

したがって1933年11月以降、一般親衛隊は以下のように編成された。

親衛隊上級地区(SS-Oberabschnitt)、親衛隊地区(SS-Abschnitt)、親衛隊歩兵連隊(SS-Fuß Standarte)、親衛隊大隊(SS-Sturmbanne)、親衛隊中隊(SS-Sturme)、親衛隊小隊(Trupen)、親衛隊分隊(Scharen)、親衛隊伍(Rotten)である[10]。1934年10月に小隊は分隊と統合されて、Scharenが小隊となり、Rottenが分隊となった[10]

さらに以下の専門職部隊がある。親衛隊騎兵連隊、親衛隊通信大隊、親衛隊工兵大隊、親衛隊衛生中隊、親衛隊輸送中隊、親衛隊レントゲン大隊、親衛隊壮丁隊(SS)

連隊に所属する一般親衛隊の隊員は連隊番号の襟章を着用した。またカフタイトルの縁取りの色で所属大隊(第1大隊は緑、第2大隊はダークブルー、第3大隊は赤、予備大隊はライトブルー)、番号で所属中隊を示した[7]

参考文献

  • 山下英一郎『SSガイドブック』新紀元社エラー: この日付はリンクしないでください。ISBN 978-4883172986 
  • ロビン・ラムスデン 著、知野龍太 訳『ナチス親衛隊軍装ハンドブック』原書房エラー: この日付はリンクしないでください。ISBN 978-4562029297 
  • Mark C. Yerger (2002年) (英語). Allgemeine-SS. Schiffer Pub Ltd. ISBN 978-0764301452 

出典

  1. ^ 山下、30頁
  2. ^ 山下、87-88頁
  3. ^ 山下、37頁
  4. ^ a b 山下、38頁
  5. ^ ラムスデン、65頁
  6. ^ a b Yerger、169頁
  7. ^ a b 山下、32頁
  8. ^ 山下、19頁
  9. ^ 山下、31頁
  10. ^ a b ラムスデン、27頁