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'''スミソニアン協定'''(Smithsonian Agreement)とは[[1971年]]12月に[[ワシントンD.C.]]の[[スミソニアン博物館]]で開かれた[[十ヵ国蔵相会議]]で決定した協定のことである。 |
'''スミソニアン協定'''(Smithsonian Agreement)とは[[1971年]]12月18日に[[ワシントンD.C.]]の[[スミソニアン博物館]]で開かれた[[十ヵ国蔵相会議]]で決定した協定のことである。 |
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2010年9月21日 (火) 23:33時点における版
スミソニアン協定(Smithsonian Agreement)とは1971年12月18日にワシントンD.C.のスミソニアン博物館で開かれた十ヵ国蔵相会議で決定した協定のことである。
解説
ここでの10カ国とは、当時のIMFの10カ国グループ(G10)を指す。
スミソニアン協定が有効である状態をスミソニアン体制と呼び、1973年まで継続した。
スミソニアン協定が結ばれた背景には、1971年8月に米国が米ドルの金との交換性を停止したことによるブレトン・ウッズ体制の崩壊がある(ニクソン・ショック)。
しかし協定締結後もアメリカの貿易赤字の拡大などが続き、固定相場制そのものへの信頼性が低下。
1973年2月には日本(田中角榮政権)が変動相場制に移行。続く3月にはEC諸国も変動相場制に移行。ここにおいて、スミソニアン体制は完全に崩壊した。