「内閣メールマガジン」の版間の差分

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'''内閣メールマガジン'''(ないかくめーるまがじん)は、[[2001年]]より[[内閣官房]][[内閣|内閣広報室]]から発行されている[[メールマガジン]]である。現在のメールマガジンタイトルは[[鳩山内閣メールマガジン]]。
'''内閣メールマガジン'''(ないかくめーるまがじん)は、[[2001年]]より[[内閣官房]][[内閣|内閣広報室]]から発行されている[[メールマガジン]]である。最も最近に発行されていたメールマガジンタイトルは[[鳩山内閣メールマガジン]]。


==概要==
==概要==
[[2001年]][[5月7日]]に行われた[[所信表明演説]]において、[[小泉純一郎]][[内閣総理大臣]]が「積極的な国民との対話」の一環としてメールマガジンを発行すると表明し、その約1ヵ月後の[[6月14日]]から[[小泉内閣メールマガジン]]の発行が開始された。これは小泉が総理を退いたのちも歴代の内閣によって引き継がれてい
[[2001年]][[5月7日]]に行われた[[所信表明演説]]において、[[小泉純一郎]][[内閣総理大臣]]が「積極的な国民との対話」の一環としてメールマガジンを発行すると表明し、その約1ヵ月後の[[6月14日]]から[[小泉内閣メールマガジン]]の発行が開始された。これは小泉が総理を退いたのちも歴代の内閣によって引き継がれてきたが、[[[2010年]][[6月8日]]に発足した[[菅内閣]]では発行されていない<!-- 2010年6月17日現在。 -->


総編集長は原則として内閣総理大臣、編集長は[[内閣官房副長官]]が務めるが、[[内閣総理大臣補佐官]]が編集長を務めたこともある<ref>安倍内閣メールマガジンの最初の編集長だった世耕弘成の身分は総理補佐官だった。</ref>。
総編集長は原則として内閣総理大臣、編集長は[[内閣官房副長官]]が務めるが、[[内閣総理大臣補佐官]]が編集長を務めたこともある<ref>安倍内閣メールマガジンの最初の編集長だった世耕弘成の身分は総理補佐官だった。</ref>。

2010年6月17日 (木) 14:31時点における版

内閣メールマガジン(ないかくめーるまがじん)は、2001年より内閣官房内閣広報室から発行されているメールマガジンである。最も最近に発行されていたメールマガジンタイトルは鳩山内閣メールマガジン

概要

2001年5月7日に行われた所信表明演説において、小泉純一郎内閣総理大臣が「積極的な国民との対話」の一環としてメールマガジンを発行すると表明し、その約1ヵ月後の6月14日から小泉内閣メールマガジンの発行が開始された。これは小泉が総理を退いたのちも歴代の内閣によって引き継がれてきたが、[[[2010年]]6月8日に発足した菅内閣では発行されていない。

総編集長は原則として内閣総理大臣、編集長は内閣官房副長官が務めるが、内閣総理大臣補佐官が編集長を務めたこともある[1]

歴代の内閣メールマガジン

  • 配信期間、発行号数に創刊準備号は含めない。
メールマガジン名 総編集長 編集長 配信期間 発行号数
1 小泉内閣メールマガジン 小泉純一郎 安倍晋三
細田博之
杉浦正健
長勢甚遠
2001年6月14日 - 2006年9月21日 250
2 安倍内閣メールマガジン 安倍晋三 世耕弘成
大野松茂
2006年10月12日 - 2007年9月13日 46
3 福田内閣メールマガジン 福田康夫 大野松茂
塩谷立
2007年10月11日 - 2008年9月4日 46
4 麻生内閣メールマガジン 麻生太郎 松本純 2008年10月9日 - 2009年9月3日 44
5 鳩山内閣メールマガジン 鳩山由紀夫 松野頼久 2009年10月8日 - 2010年6月3日 33

脚注

  1. ^ 安倍内閣メールマガジンの最初の編集長だった世耕弘成の身分は総理補佐官だった。

関連項目

外部リンク