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=== 2003年 ===
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年明けに入ってもいい実績を残せなかったが、[[安田記念]]の前哨戦[[京王杯スプリングカップ]]で久々の勝利を挙げるが、本番の安田記念では主戦の勝浦が騎乗停止処分となったため、[[ミルコ・デムーロ]]が手綱を取るが7着と敗退。内側有利の前の馬が残る馬場であり、大外から後方一気で追い込むテレグノシスとっては不利な条件であった。その後夏場は[[フランス]]へと遠征し、同馬主で同一路線を歩む[[ローエングリン]]と共に海外GI戦に挑戦。[[ジャック・ル・マロワ賞]]が3着、[[ムーランドロンシャン賞]]は12着。帰国後の[[マイルチャンピオンシップ]]は14着、[[香港マイル]]は7着であった。
年明けに入ってもいい実績を残せなかったが、[[安田記念]]の前哨戦[[京王杯スプリングカップ]]で久々の勝利を挙げるが、本番の安田記念では主戦の勝浦が騎乗停止処分となったため、[[ミルコ・デムーロ]]が手綱を取るが7着と敗退。内側有利の前の馬が残る馬場であり、大外から後方一気で追い込むテレグノシスとっては不利な条件であった。その後夏場は[[フランス]]へと遠征し、同馬主で同一路線を歩む[[ローエングリン (競走馬)|ローエングリン]]と共に海外GI戦に挑戦。[[ジャック・ル・マロワ賞]]が3着、[[ムーランドロンシャン賞]]は12着。帰国後の[[マイルチャンピオンシップ]]は14着、[[香港マイル]]は7着であった。
=== 2004年 ===
=== 2004年 ===
年明けから3ヶ月の休養ののち、京王杯スプリングカップが2着と復調。本番の安田記念では[[ツルマルボーイ]]の差のない2着と敗退。秋は[[毎日王冠]]を制覇して東京の重賞レース3勝目を挙げる。続く[[天皇賞|天皇賞(秋)]]では[[ゼンノロブロイ]]と人気を分け合い、2番人気に支持されるが11着と敗退してしまう。このレースでは直線で大外通った人気馬らが揃って敗退し、内を通った人気薄の馬が2、3着を占めるという結果となった。この結果で鞍上の勝浦に対する信頼感が失われた。マイルチャンピオンシップでは[[横山典弘]]が手綱を取り、3着。香港マイルは14着となる。
年明けから3ヶ月の休養ののち、京王杯スプリングカップが2着と復調。本番の安田記念では[[ツルマルボーイ]]の差のない2着と敗退。秋は[[毎日王冠]]を制覇して東京の重賞レース3勝目を挙げる。続く[[天皇賞|天皇賞(秋)]]では[[ゼンノロブロイ]]と人気を分け合い、2番人気に支持されるが11着と敗退してしまう。このレースでは直線で大外通った人気馬らが揃って敗退し、内を通った人気薄の馬が2、3着を占めるという結果となった。この結果で鞍上の勝浦に対する信頼感が失われた。マイルチャンピオンシップでは[[横山典弘]]が手綱を取り、3着。香港マイルは14着となる。

2010年6月4日 (金) 11:27時点における版

テレグノシス
(2005年10月9日、東京競馬場)
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1999年5月11日
死没 (現役種牡馬)
トニービン
メイクアウイッシュ
生国 日本北海道千歳市
生産者 社台ファーム
馬主 (有)社台レースホース
調教師 杉浦宏昭(美浦
競走成績
生涯成績 37戦5勝(うち海外4戦0勝)
獲得賞金 4億4637万8000円(中央のみ)
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テレグノシス(英語表記Telegnosis、香港表記千里通)は日本競走馬で、2002年の第7回NHKマイルカップの優勝馬である。主戦騎手勝浦正樹。馬名は、造語で「千里眼」・「遠知能力」を意味する"Telegnosis"から名づけられた。


トニービン産駒らしく東京コースを得意にしていた。NHKマイルカップ以外の重賞勝利に毎日王冠(2004年)、京王杯スプリングカップ(2003年)があり、これらも東京競馬場で施行されている。また、重賞以外の勝利も東京競馬場でのもので、その勝ち鞍の全てが東京競馬場ということになる。

主戦は勝浦だったが、2006年安田記念以降は乗り代わりとなり、引退まで一度も騎乗していない。

2006年11月22日、競走馬登録を抹消し引退、種牡馬入りすることが発表され、早来で静養した後に、2007年よりレックススタッドで繋養されている。

年度別競走成績&主な勝鞍

2001年

新馬戦では藤田伸二が手綱を取るが11着と敗退。折り返しの新馬戦で初勝利。12月の暮れの500万下特別のさざんか賞ローマンエンパイアの2着となる。

2002年

若竹賞は2着、うぐいす賞で2勝目を挙げた。重賞初挑戦となったスプリングステークスではタニノギムレットとの差のない2着となり、実力が大きく評価された。本来なら皐月賞へ出走する権利があるが、得意の東京コースを選ぶと共に間隔を空けてNHKマイルカップに出走。4番人気で初GI制覇を成し遂げた。鞍上の勝浦正樹と調教師の杉浦も初GI制覇となった。同レースでは2回斜行し、進路妨害による降着かと思われたが、15分の審議の結果降着処分にはならなかった。被害を受けたタニノギムレットの鞍上武豊はこの事に激怒したという。次走の東京優駿(日本ダービー)では11着に敗退する。秋シーズンはマイル路線に集中して古馬と対戦するが、全く実績を残せなかった。

2003年

年明けに入ってもいい実績を残せなかったが、安田記念の前哨戦京王杯スプリングカップで久々の勝利を挙げるが、本番の安田記念では主戦の勝浦が騎乗停止処分となったため、ミルコ・デムーロが手綱を取るが7着と敗退。内側有利の前の馬が残る馬場であり、大外から後方一気で追い込むテレグノシスとっては不利な条件であった。その後夏場はフランスへと遠征し、同馬主で同一路線を歩むローエングリンと共に海外GI戦に挑戦。ジャック・ル・マロワ賞が3着、ムーランドロンシャン賞は12着。帰国後のマイルチャンピオンシップは14着、香港マイルは7着であった。

2004年

年明けから3ヶ月の休養ののち、京王杯スプリングカップが2着と復調。本番の安田記念ではツルマルボーイの差のない2着と敗退。秋は毎日王冠を制覇して東京の重賞レース3勝目を挙げる。続く天皇賞(秋)ではゼンノロブロイと人気を分け合い、2番人気に支持されるが11着と敗退してしまう。このレースでは直線で大外通った人気馬らが揃って敗退し、内を通った人気薄の馬が2、3着を占めるという結果となった。この結果で鞍上の勝浦に対する信頼感が失われた。マイルチャンピオンシップでは横山典弘が手綱を取り、3着。香港マイルは14着となる。

2005年

6歳馬となったこの年は確かな衰えを感じさせるレースとなり、安田記念では香港の最強短距離馬であるサイレントウィットネスブリッシュラックなども参戦。その中で1番人気に支持されるが6着と敗退。秋シーズンも毎日王冠の2着が最高で、未勝利に終わった。

2006年

引き続き現役を続けるが、主戦の勝浦を外して結果を残そうとするが未勝利で終わり、安田記念は9着、最後のレースのマイルチャンピオンシップは11着となり、間もなく引退発表となった。

種牡馬として

初年度2007年の種付け料は受胎確認後条件20万円が、産駒誕生後条件30万円で併養開始。産駒のデビューは2010年となる。


テレグノシス血統(ゼダーン系(グレイソヴリン系)/Hyperion4×5=9.38%) (血統表の出典)

*トニービン
Tony Bin
1983 鹿毛
父の父
*カンパラ
Kampala
1976 黒鹿毛
Kalamoun *ゼダーン
Khairunissa
State Pension *オンリーフォアライフ
Lorelei
父の母
Severn Bridge
1965 鹿毛
Hornbeam Hyperion
Thicket
Priddy Fair Preciptic
Campanette

メイクアウィッシュ
1987 栗毛
*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
母の母
*メッシーナ
Messina
1975 栗毛
Secretariat Bold Ruler
Somethingroyal
Aphonia Dunce
Gambetta F-No.5-h