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==基本データ==
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*成立年: 昭和16年 ([[1941年]])
*成立年: 昭和16年 ([[1941年]])
*作詞者・作曲者: 宇田博 (旅順高等学校 1回生)
*作詞者・作曲者: 宇田博 (旅順高等学校 1回生。[[1922年]]生 - [[1995年]][[8月9日]]没)
歌詞・曲ともに[[日本音楽著作権協会|JASRAC]]管理楽曲であり、利用には注意が必要である。(JASRAC作品コード 077-0199-3)
歌詞・曲ともに[[日本音楽著作権協会|JASRAC]]管理楽曲であり、利用には注意が必要である。(JASRAC作品コード 077-0199-3)


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旧制旅順高等学校は、昭和20年 ([[1945年]]) 8月、日本の[[第二次世界大戦]]敗戦と共に廃校となった。他の[[旧制高等学校]]と異なり後身校は存在せず、寮歌としての歴史はここで終了となった (寮歌祭では、同校同窓生により寮歌の一つとして歌われ続けている)。一方で、この歌は戦後、[[うたごえ運動|歌声喫茶]]で作者不詳の歌として流行した。恐らく、作者の卒業した一高・東大あたりから歌声喫茶に広まったものと思われるが、詳らかでない。
旧制旅順高等学校は、昭和20年 ([[1945年]]) 8月、日本の[[第二次世界大戦]]敗戦と共に廃校となった。他の[[旧制高等学校]]と異なり後身校は存在せず、寮歌としての歴史はここで終了となった (寮歌祭では、同校同窓生により寮歌の一つとして歌われ続けている)。一方で、この歌は戦後、[[うたごえ運動|歌声喫茶]]で作者不詳の歌として流行した。恐らく、作者の卒業した一高・東大あたりから歌声喫茶に広まったものと思われるが、詳らかでない。


昭和36年 (1961年)、この歌は[[コロムビアミュージックエンタテインメント|日本コロムビア]]のプロデューサや小林旭に見い出され、同社からレコード化されて大ヒットした。(この際 作者捜しが行われ、当時 TBS社員だった宇田の名乗り出旅順高校時代の友人が持っていたメモから、作者が確定したという。) 歌のヒットにより、小林が主演する映画 『渡り鳥シリーズ』 の昭和37年 ([[1962年]]) 正月封切り版 『北帰行より 渡り鳥北へ帰る』 の主題歌となった。
昭和36年 (1961年)、この歌は[[コロムビアミュージックエンタテインメント|日本コロムビア]]のプロデューサや小林旭に見い出され、同社からレコード化されて大ヒットした。(この際 作者捜しが行われ、当時 TBS社員だった宇田の名乗り出 および 旅順高校時代の友人が持っていたメモから、作者が確定したという。) 歌のヒットにより、小林が主演する映画 『渡り鳥シリーズ』 ([[日活]]) の昭和37年 ([[1962年]]) 正月封切り版 『北帰行より 渡り鳥北へ帰る』 の主題歌となった。


==関連項目==
==関連項目==

2005年10月1日 (土) 11:56時点における版

北帰行 (ほっきこう) は1961年 (昭和36年) にヒットした日本の歌謡曲である。歌手小林旭。原歌は、旧制旅順高等学校 (旅高) の愛唱歌 (広義の寮歌)。

基本データ

歌詞・曲ともにJASRAC管理楽曲であり、利用には注意が必要である。(JASRAC作品コード 077-0199-3)

なお、歌謡曲版と寮歌版とでは、歌詞・曲ともに若干異なる。歌謡曲版の歌詞は 3番までだが、寮歌版は 5番まで存在する。

概要

作者 宇田博は元々建国大学予科 (満州国新京) の生徒だったが半年で退学となり、昭和15年 (1940年)、開校したばかりの旧制旅順高等学校に入学した。宇田は同校の第一回寮歌 『薫風通ふ春五月』 (村岡楽童 作曲) を作詞している。しかし戦時体制下の新設校だった同校に、宇田の望んだバンカラで自由な校風は存在せず、彼は常々生活指導の教官に目を付けられていた。

昭和16年 (1941年) 5月、宇田はメッチェン (女の子) とデートして戻ったところを教官に見つかり、"性行不良"で退学処分となった。彼が同校への訣別の歌として友人たちに遺した歌が、この 北帰行 である。そのため、同校の正式の寮歌ではないが、広義の寮歌として歌われてきた。宇田はその後 内地に渡り、 旧制第一高等学校 (一高) を卒業した。彼は東京大学を経て東京放送 (TBS) に入社し、後に同社の常務・監査役を歴任している。

継承

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旧制旅順高等学校は、昭和20年 (1945年) 8月、日本の第二次世界大戦敗戦と共に廃校となった。他の旧制高等学校と異なり後身校は存在せず、寮歌としての歴史はここで終了となった (寮歌祭では、同校同窓生により寮歌の一つとして歌われ続けている)。一方で、この歌は戦後、歌声喫茶で作者不詳の歌として流行した。恐らく、作者の卒業した一高・東大あたりから歌声喫茶に広まったものと思われるが、詳らかでない。

昭和36年 (1961年)、この歌は日本コロムビアのプロデューサや小林旭に見い出され、同社からレコード化されて大ヒットした。(この際 作者捜しが行われ、当時 TBS社員だった宇田の名乗り出 および 旅順高校時代の友人が持っていたメモから、作者が確定したという。) 歌のヒットにより、小林が主演する映画 『渡り鳥シリーズ』 (日活) の昭和37年 (1962年) 正月封切り版 『北帰行より 渡り鳥北へ帰る』 の主題歌となった。

関連項目

書籍

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  • 『平成の愛唱寮歌八十曲選』 (尾崎良江著、1997年11月、国書刊行会 刊。ISBN 4336040443)

外部リンク