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1958年のセッションを中心としたアルバム。 |
1958年のセッションを中心としたアルバム。 |
2010年2月28日 (日) 09:01時点における版
概要
1958年のセッションを中心としたアルバム。 特に1958年のセッションはカインドオブブルー参加メンバーによるスタジオセッションとなる。
本作はレコーディングされてから、長い間日の目を見ることなく、お蔵入りしていたセッションを 1979年に日本企画盤として1枚のアルバムに仕上げたのである。 なお、このころのマイルスは長期休養中であり、また長期休養前の演奏スタイル(電化+ファンク+ロック等の融合体)からは かけ離れたスタイルの演奏である。
よって本作はマイルスの作品群においては比較的地味であり、今日においてはなかなか話題に挙がらない作品ともなっている。
本アルバムの内容
特に傾聴に値する、1958年に演奏された曲目はスタンダード3曲、マイルス作1曲(妻フランシスに捧げたフランダンス)であり 曲目も演奏も比較的落ち着いたくつろぎの有るセッション内容となっている。演奏は味わい深く、且つ聞き手を選ばない優秀盤でもある。
また、1958年はカインドオフブルーをレコーディングする前年であり、マイルスがハードバップからモードジャズへと本格移行する間の 貴重なスタジオ音源である。 (なお、モードへのアプローチは同じく1958年にレコーディングされたマイルスストーンにて行われている)
1958年にレコーディングされた作品との比較
本作と同様のメンバーにて1958年はライブ版2作(アットニューポート1958、アットザプラザVol1)が リリースされているが、ライブ盤ということも有り、本作とはアルバム全体の雰囲気が異なる。 共に味わい深く、傾聴に値する作品であるが、マイルスの繊細さ、リリシズムを感じ取るには 本作が一番と思われる。
その他エピソード
なお、このころマイルスは付き合っていたフランシステイラーと再び生活を共にするようになり 1958年の出来事で最も重要な出来事であったようである。 このことは自身の自叙伝にも書かれており、同曲はフランシスに捧げた曲として 1958年近辺のライブでは頻繁に演奏されているようである。
本アルバムのジャケットは日本人の池田満寿夫によりデザインされており、この時期にレコーディングされ発売された 作品群とは異なる仕上がりとなっている。デザインは秀逸であり、本作のルーツを語る上でも外せない要素であろう。