「第六次イゾンツォの戦い」の版間の差分

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==戦闘==
8月6日、ゴリツィアで衝突があり、攻撃が開始された。[[8月8日]]にゴリツィアはイタリア軍によって落とされ、イゾンツォ川を渡す橋頭堡がつくられた。オーストリア・ハンガリー軍は、防衛線を突破されるのを防ぐために、前線のゴリツィアに軍を送った。だが、橋頭堡を確保することに満足したカドルナは、8月17日に攻撃を終了した。ゴリツィアへの攻撃はイゾンツォ戦線に沿って行われたイタリアの攻撃の中で最もうまくいったもので、軍の大いに士気が高まることにつながった。そして[[8月28日]]それまで同盟国と協商国に分かれつつも中立を維持していたイタリア政府は[[ドイツ帝国|ドイツ]]は遂対しても宣布告争状態に突入した。
 
後年の歴史家達はこのゴリツィア攻勢がカドルナ体制での唯一最大の戦略的勝利であったと評した上で、戦争の趨勢に与えた影響は低かったと指摘した。死傷者数に大きな差は無かったものの、死者数の割合がイタリア側で非常に多かった。これはカドルナがイタリア陸軍の装備の劣悪さを[[歩兵突撃]]で挽回しようとした事と、同様に性能で上回るオーストリア軍の野戦砲によって生まれた結果だった。またオーストリア軍は戦力を温存して防御体制を維持した。
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