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'''恵那櫻 徹'''(えなざくら とおる、[[1960年]][[7月29日]] - )は、[[岐阜県]][[恵那郡]][[坂下町 (岐阜県)|坂下町]](現在の[[中津川市]])出身で[[押尾川部屋]]所属の元[[大相撲]][[力士]]である。最高位は西[[前頭]]筆頭([[1990年]]11月場所)。本名は'''早川 徹'''(はやかわ とおる)。現役時代の体格は181cm、132kg。得意手は[[突っ張り]]、押し、右四つ。一時「恵那桜」と新字の「桜」を使った時期もあったが、本記事では便宜上「恵那櫻」の表記で通す。
'''恵那櫻 徹'''(えなざくら とおる、[[1960年]][[7月29日]] - )は、[[岐阜県]][[恵那郡]][[坂下町 (岐阜県)|坂下町]](現在の[[中津川市]])出身で[[押尾川部屋]](現在廃止)所属の元[[大相撲]][[力士]]である。最高位は西[[前頭]]筆頭([[1990年]]11月場所)。本名は'''早川 徹'''(はやかわ とおる)。現役時代の体格は181cm、132kg。得意手は[[突っ張り]]、押し、右四つ。一時「恵那桜」と新字の「桜」を使った時期もあったが、本記事では便宜上「恵那櫻」の表記で通す。


== 来歴 ==
== 来歴 ==

2010年1月22日 (金) 21:30時点における版

恵那櫻 徹(えなざくら とおる、1960年7月29日 - )は、岐阜県恵那郡坂下町(現在の中津川市)出身で押尾川部屋(現在廃止)所属の元大相撲力士である。最高位は西前頭筆頭(1990年11月場所)。本名は早川 徹(はやかわ とおる)。現役時代の体格は181cm、132kg。得意手は突っ張り、押し、右四つ。一時「恵那桜」と新字の「桜」を使った時期もあったが、本記事では便宜上「恵那櫻」の表記で通す。

来歴

県立恵那北高校を中退後、押尾川部屋に入門。もともとは料理人志望で、中学卒業後は料理の専門学校に通うつもりでいた。入門の動機は、押尾川(元大関大麒麟)から勧誘を受けた時に「力士になれば、ちゃんこ料理を作れるよ」と言われた事だという。なお、父親はタクシー運転手であった。

1977年3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は本名の「早川」。同部屋の同期生には騏ノ嵐佐賀昇がおり、3人とも幕内まで出世した(ただし、3人が同時に幕内にいた事はない)。1986年3月場所、25歳で十両に昇進。1987年11月場所、27歳で新入幕を果たした。その後も順調に昇進し、前頭筆頭まで番付を上げた。大関横綱との対戦経験もあり、横綱には勝てなかったものの、大関・小錦との一番は2戦2勝と一度も負けなかった。他、対大関では北天佑朝潮からそれぞれ1勝を挙げている。

真面目な性格で稽古熱心。回転のいい突っ張りに威力があったが、現役晩年に肘を痛めた事もあり、三役にはあと一歩届かなかった。しかし晩年は骨折を押してまで本場所に出場し、十両優勝を成し遂げた事もあった。

四股名の由来は、出身地である中津川市付近に位置する恵那山の「」と、憧れの力士であった富士櫻(現・中村親方)の「櫻」。

序ノ口から一度も休まず相撲を取り続け、1994年7月場所を最後に33歳で引退。引退後は年寄錣山」を襲名(後、「竹縄」に名跡変更)したが、1999年7月に日本相撲協会を退職した。以後、相撲料理店「ちゃんこ恵那櫻」を経営していたが、現在は店を閉めている。

主な成績

  • 幕内在位:26場所
  • 幕内成績:175勝215敗 勝率.449
  • 現役在位:105場所
  • 通算成績:555勝565敗 勝率.496
  • 連続出場:1120回(序ノ口以来、1977年5月場所-1994年7月場所)
  • 三賞:敢闘賞1回(1989年5月場所)
  • 各段優勝:十両1回(1992年3月場所)

改名歴

  • 早川 徹(はやかわ とおる)1977年5月場所-1980年3月場所
  • 恵那櫻 徹(えなざくら -)1980年5月場所-1994年7月場所

年寄変遷

  • 錣山 徹(しころやま とおる)1994年7月-1995年11月
  • 竹縄 徹(たけなわ -)1995年11月-1999年7月

関連項目